十六
城下の一等地。その中でもひときわ豪華絢爛な作りをした劉邸は、ピリピリとした雰囲気に覆われていた。
「丁明燕……まさか、あいつだとは……」
憎々しげな声が、邸主である劉石燕から発せられた。肉付きのよい手が、爪が食い込むほど強く握られている。
「やはりあの時、殺しておけばよかったのです!奴隷として売り払うなんて温情を見せるから、こうしてのこのこと……!」
「そんなこと儂だって分かっておるわ!」
金属をひっかくような女の声を遮る。峻嶮な顔をして隣に立っている女は、劉石燕の正妻である劉夫人だ。
「アイツがいなければ、燕雨は国試及第してたのだ!女の身で官吏になろうとは、なんと恥知らずな」
吐き捨てるように石燕がいう。
石燕は今の帝も、その政策も気に食わない。女など部屋で男を待ち、夜は喜ばせ、子を作ればそれでいいと思っているのだ。
劉夫人は、先程までの怒気をスッと収めると夫である石燕に向き直り、よく肥えた夫の腕に手をかける。
若い頃はさぞや秀麗だったであろう顔に、冷徹な笑みが宿った。
「……今からでも、遅くはありませんわ。あなた、丁明燕を消してくださいませ。」
甘えるようなその声色に、石燕はフンと鼻を鳴らした。
「無論、そのつもりだ。今美紅に探らせている。」
石燕はすり寄る妻に、知恵のない子供に言い聞かせるような猫なで声で言う。
しかし、その表情は固い。美紅が最近自分の思うように動かなくなったことを思い出したのだ。せっかく女官にした娘だったが、帝が女を好まないというのならば、力を伸ばす同門の貴族にくれてやるつもりだった。しかし美紅は決して嫁ぐつもりはないとの書面を石燕のみならず先方にも送ってしまったのである。自分の潰された面目のぶん、今回の協力で白紙に戻してやろうと思っている。
「あいつが消えれば、及第次点だった燕雨を代わりに差し出せばいい。男である上、さる大貴族劉家の子息だぞ。国にとっても、政府にとっても断然燕雨のほうがいいに決まっとるわ」
「ええ、もちろんですわ。燕雨は良く出来た、私達の自慢の息子ですもの。きっと重用されます」
「当たり前だ。燕雨には、あの食えん帝の側にいてもらわなきゃならん。我が劉家が政権の中枢を取り戻すためにもな!蒼止水……傀儡にしてくれるわ」
劉石燕がそう言いきった時、急いだ足音が廊下から聞こえてきた。
「石燕様、高でございます」
「……入れ」
機嫌の悪い主人の様子に、低く頭を下げながら家人の男が入ってくる。
「美紅様から文が届きましたのでお持ちいたしました」
「寄越せ!」
石燕は横暴に文を奪い取ると、娘からの吉報を期待した様子で開いた。
しかし、石燕は一瞬目を見開くと息つく間もなくただでさえ赤い顔をさらに赤くする。そして怒気のままに文を破り裂いた。
劉夫人も夫のただならぬ様子に一歩引き下がる。
「美紅……育ててやった恩を忘れたか……!クソっ!!!」
石燕は破り裂いた文を、床に叩きつけ踏みつけた。
「美紅は何と書いていたのです……?」
劉夫人がおそるおそる尋ねる。
「明燕暗殺の協力はせぬ、劉家と縁を切る、と!」
「……縁を切る…ですって?」
「ああそうだ!!!あの役立たずがっ!!!!!」
夫人が破られた文の半分を拾うと、石燕の支援を受けずとも充分に暮らしていける金はもうある、これよりは全くの他人だとしたためられていた。
女が働きに出る、とはこういうことなのかと、家を捨てることもできるのか、と衝撃を受ける。
「……美紅は、私の裏の仕事についても薄々気づいていたらしい……。なんと忌々しい……」
石燕は歯ぎしりをすると、家人の頭を乱暴に上げさせた。ぐっと息のつまった声がする。
「いいか、計画は変更だ!今すぐ明燕を殺す手段を整えろ。毒殺でも何でもいい。黒幕が美紅だと工作することだけ忘れるな」
「は、はい…」
家人が震える声で返事をすると、石燕は耐えかねたように怒鳴った。
「出てけ!!今すぐにだ!!」」
「しっ失礼いたしました!」
ギロリと妻の方を向く。
「旦那様……」
「お前もだ、早く出ていけ!!」
石燕は誰もいなくなった部屋で怒りを沈められずにいた。
二人の娘が敵になるとは全く思っていなかった。明燕はともかく、美紅に関しては予想だにしていなかった。自分を裏切るのなら、たとえ娘であれ死ねばいい。
「二人まとめて、消してくれるわ」
暗い声が、部屋に響いた。




