逢魔時
寛永十六年十月 大和国柳生庄
夕焼けから宵闇に包まれつつある森の中で笠を被った壮年の武士が瞑目して佇立していた。
打裂羽織に伊賀袴を身に着けた武士は腰に典太光世の太刀を差しており、ただ佇立しているように見える姿からは一切の隙が無かった。
武士の名は柳生十兵衛三厳。
幕府惣目付の柳生但馬守宗矩の嫡男であり、剣客として世に知られている人物である。
十兵衛は瞑目して、歳の離れた弟であり自身が剣才があると見込んで可愛がっていた柳生左門友矩の事を思い返していた。
(左門に何の罪があったのか……。上様の御寵愛を受けていた事は事実だが、左門が上様を籠絡した訳ではない。世間では上様と衆道の関係があったなどと囁かれておるが事実無根だ。左門は周囲の者への配慮を常に怠らず、目上の者に常に敬意をもって慎み深く接していた。上様が御寵愛なされたのはその配慮に感じいったからであろう)
柳生左門友矩は寛永十六年六月に謎の死を遂げた。幕府には父の但馬守宗矩から病死したと届出が出されたが十兵衛は弟が父が放った刺客によって斬られた事を知っている。
将軍家光は家康、秀忠と違い自身は生まれながらの将軍であり、諸侯には何の借りも無いと居丈高な態度をとった事で知られているが、それが不安の裏返しである事を友矩から聞かされた事がある。友矩はややもすれば不安感を口にする家光に、新陰流の教えをわかりやすく説明し、常に自然体である事が重要だと諭し、家光の不安感を和らげていた。
その事が家光からの厚い信頼を受ける事に繋がり、友矩を柳生家から独立して別家を興させ自身の直臣にすることを決意させた。
だが、その厚意は父の宗矩からすれば絶対に容認出来ないものと思われた。宗矩の家禄は一万石だが、家光は友矩にそれ以上の石高で自身の直臣になることを命じたのである。
家光に仕えてから時間が経っておらず、目立った功績の無い友矩が徳川家康から三代に渡って奉公してきた父よりも多くの所領を得るようになれば、世間に誤って流布された家光との関係で贔屓をされたと受け取られかねない。
諸侯を監視する役目を負っている宗矩からすれば、友矩がそのように別家を興すような事が起きれば、柳生家に対する世間の目は厳しいものとなり、将軍を籠絡したとの悪評が広まり勤めに悪影響がでる恐れがあった。
それ故に友矩を柳生庄に戻し、密かに門弟に命じて友矩を討った。十兵衛はその事実を宗矩の三男である弟の宗冬から聞いており、父の対応に対して憤っていた。
父の卑劣なやり方に嫌悪感を覚えた十兵衛は将軍家への兵法指南を辞退し、今後、己が何を為すべきかを考えていた。
(父上は祖父石舟斎様より新陰流を受け継いではおらぬ。その父が将軍家指南役など笑止千万な話しよな。流儀は叔父上に伝えられた。石舟斎様は父を新陰流を受け継ぐ者として否定したのかもしれぬ。新陰流を政に持ち込むなど流祖伊勢守様に申し訳が立たぬと思ったのであろうか……)
十兵衛の祖父柳生宗厳が上泉伊勢守から新陰流を継承したが、流派の正統は宗矩ではなく叔父の柳生兵庫助に伝授された。
十兵衛は江戸から柳生庄に戻る際に尾張に立ち寄り、叔父の兵庫助から指導を受けていた。剣客としての十兵衛の腕は現新陰流宗家の兵庫助にも匹敵し、一門で敵う者はいない域に達していた。
だが、十兵衛から不穏な気配を感じた兵庫助は十兵衛にくれぐれも軽率な真似はせず、柳生庄でしばし鍛錬に励む事を進めた。十兵衛が目を掛けていた左門を闇討ち同然に始末した宗矩と決定的な対立をすることを恐れたのである。
叔父の兵庫助の助言に従い、柳生庄に戻り鍛錬を続けていたが、十兵衛の胸の中には左門を失った悲しみと平然と左門を闇討ち同然に始末した父への怒りが充満していた。
周囲が闇に包まれ、静けさを感じた十兵衛は完全に日が落ちる前に屋敷へ戻るべく森の中の道を歩きながら異変に気付いた。
屋敷の近くにある森には何度も足を踏み入れており、十兵衛が佇立して思案していた場所は、辺りが開けたいつもの場所である。
だが、十兵衛は奇妙な気配を感じて立ち止まり、周囲の状況に気を配った。
(この奇妙な気配な一体何だ。いつもこの道を行き来しておるがこのような気配は感じた事が無い。野の獣の気配ではない。何が起こっておるのだ……)
十兵衛は瞑目して、周囲の状況に気を配っていた。目に見える事よりも瞑目して意識を集中する事で僅かな異変を感じ取る事が出来ることもある。
そして微かな悲鳴が聞こえた瞬間、悲鳴が聞こえた場所へ走り出していた。
やがて、森の獣道のような場所で一人の女子が三人の浪人に囲まれているのを発見した。男たちは下卑た笑いを浮かべており、女子に何をしようとしているのを十兵衛は即座に理解した。
『お主らは、この柳生庄で何をしておる。疾く立ち去るがよかろう。黙って去るなら見逃してもよい』
十兵衛の見た限りでは、男たちは野伏せりや夜盗とおもわれたが、十兵衛の忠告を無視して太刀を抜いた。
『問答無用か。ならば是非もない。但しお主らのような獣風情に情けは掛けぬ』
十兵衛はあえて男達を挑発した。実力がかけ離れている事は一目で理解できたが三人が動きを合わせて攻撃を仕掛けてくれば不覚を取りかねない。ゆえに挑発する事で男達を怒らせ、冷静さを失わせた。
一人目の男が上段から袈裟懸けに太刀を振り下ろしてきたが、十兵衛は僅かに体を左に開き男の斬撃を躱して、抜き打ちで男の首筋を薙いだ。
二人目の男は青眼に構え、突き繰り出したが十兵衛は太刀筋を見切って、太刀で男の突きをはじき、脇腹を切り裂いた。
それと同時に最後の男が下段から逆袈裟の斬撃を見舞ってきたが、十兵衛は相手の太刀の間合いを読み切り、微かに下がった直後に即座に踏み込み、袈裟掛けに相手を斬り伏せた。
勝負は一瞬でついたが、男達に囲まれた女は恐怖で硬直しており十兵衛に怯えていた。十兵衛は目の前で人が斬られた事を目撃した事で女が怯えていると理解し、穏やかに話しかけて恐怖心を除こうとした。
『儂は柳生十兵衛と申す柳生家の者だ。お主はどこの村の者だ。このような刻に女子が一人で森の中を歩くのは感心出来ぬ。他にもこのような者達がおるやもしれぬ故に、この近くに村があるなら儂が送って進ぜよう』
齢は十六を過ぎた程度であろう女は若干戸惑いながらも十兵衛に村まで送ってもらうように頼んだ。
『ご迷惑かも存じませぬが、そのようにして頂けるならば助かります』
やがて、女が歩き出し十兵衛はその後を静かに歩いていた。
十兵衛が村まで送る事を言い出したのは、女子がこの時刻に一人で歩く事が危ないと承知しているからでもあるが、それ以上にこの付近には村が存在していないはずだと記憶していたからである。
(柳生庄は山に囲まれ、多くの者が住む村がこのような山の中にあるなど聞いた事が無い。この女子はどこに住んでおるのだ……)
女子の後をついて歩いていた十兵衛は中規模な村に到着した。
このような村があるとは柳生庄の門弟たちから聞いていない。十兵衛は何故に山の中に村があるのか不思議に思った。
女子は村の名主と思われる大きな屋敷に入り、屋敷の入り口に十兵衛に座るように促し、姿を消した。十兵衛は玄関から奥への通路を見渡したが、きれいに掃除がなされており人が住んでいる事を確認し、狐や魑魅に誑かされているとの考えを捨てた。
やがて、女子は十兵衛の足を洗うためのに水を入れた桶を手に持ち、十兵衛の足を洗おうとした。だが十兵衛はその厚意を断り、己で足を洗い屋敷の主への対面を求めた。
女子は十兵衛を座敷へ案内し主を呼びに行ったが、十兵衛は奇妙な違和感を覚えた。
(これ程の屋敷ならば、多くの者が主に仕えていても不思議では無い、だが、実際に出迎えに出た者はおらぬ。どういうことだ、これほどの屋敷に二人しかおらんのか……)
十兵衛が考え事をしていた時、座敷の外から声が掛けたられた。女子の者ではなくある程度の年輩の男の声だった。
『当家の主の甚左衛門と申します。ご挨拶が遅れ申し訳ありませぬ。失礼してもよろしいでしょうか』
男の声や部屋の付近から不審な気配を感じなかったので、十兵衛は部屋に入るように返答した。
『突然、お邪魔し申し訳御座らぬ。遠慮は無用ゆえお入り下され』
十兵衛が答えてから一拍子おいて襖を開いて、五十前後と思われる男が部屋に入ってきた。十兵衛は非礼にならない程度に男の様子を観察したが、特に男から敵意などは感じなかった。
そして、十兵衛に対し甚左衛門は礼の言葉を口にした。
『この度は我が娘の危ういところを御救い頂き、お礼の申しようもありませぬ。何もない村ですがせめて今宵は某の屋敷にてお休みくだされ』
せめてもの礼として泊まることを進めてきた甚左衛門の頼みをわざわざ拒絶する必要もないと感じた十兵衛は、その言葉に甘えることにした。無論、なぜこのような村がここにあるのかを聞き出すつもりだった。
『されば、お言葉に甘えさせて頂く事に致そう。それと甚左衛門殿、後程時間を頂きたい。貴殿にはいくつかお聞きしたい事が御座る』
その後、十兵衛は山の幸をふんだんに使った夕餉を取り、甚左衛門を呼んだ。
『十兵衛様、お呼びと伺いましたが、某に何用に御座いますかな』
甚左衛門は特に怯えた様子もなく飄々として十兵衛に呼び出した理由を尋ねた。
十兵衛は単刀直入に尋ねた。
『甚左衛門殿。この村はいつから此処にあるのだ。某は柳生家のものだが、このような山奥に集落があるなど聞いた事が無い』
甚左衛門はまるでその質問を予期していたかのように平然と答えた。
『昔よりこの村は存在しております。但し普通の方には知られる事はありませぬが』
十兵衛はその答えを聞いた瞬間、左手に太刀を引き寄せて甚左衛門殿に殺気を放ちながら質問した。
『普通の方には知られる事は無いとは如何なる意味だ。お主は儂を謀るのか。返答次第によっては斬る事も考えておる。言葉に注意して説明せよ』
十兵衛が殺気だつのも当然である。
普通の方には知られる事は無いということは、普通でないものは知ることができるという意味にも解釈できる。受取り方によっては、相手を馬鹿にしているともとれる危険な発言である。
『十兵衛様の御気に触れるような無礼な発言をどうかお許し下され。わが娘たるお冬を救って頂いたことも御座います故、真実を話しますが嘘と思われるか、真と判断されるかは十兵衛様にお任せいたします』
十兵衛は甚左衛門が嘘をついているように思えなかったので、話しの続きを促した。
『承知した。まずは甚左衛門殿の話しとやらを伺いたい』
甚左衛門は十兵衛に問いかけた。
『失礼ですが、十兵衛様は逢魔時をご存じでしょうか。人の世では人に非ざる者に出会う刻とされておるようですが。また鬼という存在もお聞きになられた事があるかと存じます。角があり、鋭い牙を持ち、人を喰らうと言われて居りますが、実際は違いまする、鬼とは隠ぬとの意味にて、人の世から隠れた者を言いまする。全ての者が特別に強い力を持っているわけでは居りませぬ。むしろ、人と変わらぬものが多いかと存じます』
十兵衛は甚左衛門の口にした事が俄かに信じられなかった。
そもそも何故目の前にいる初老の男がそのような僧侶や陰陽師が知るような事を知っているのか理解できない。
やがて十兵衛は甚左衛門に質問をした。
『お主はこう言いたいのか。鬼とは特別な力を持つ者ではなく、人の世で生きていけなくなった者の成れの果てだと。そして、人が鬼になるのは逢魔時が関係しておるのだと』
甚左衛門は穏やかな笑みを浮かべて十兵衛の質問に答えた。
『十兵衛様。逢魔時とは人が住む世と鬼が住む世が最も近づく刻に御座います。そしてその刻に鬼の住む世界の近くで、死を覚悟したり、生きる事に絶望したり、尋常ではない怒りの感情を持つような人がいれば、鬼の世界へ呼び寄せてしまうのです』
十兵衛は甚左衛門が自分に冗談を言ったとも思ったが、左門の事で言いようのない父への怒りを胸に秘めていたのであながち冗談には聞こえなかった。
だが、自分が鬼になるつもりは無い。あくまでも人として剣技を極める事を目標としていた。どうあっても、この鬼の世界から人の世界へ戻らねばならない。
『お主が言いたい事は分かった。だが儂は鬼になるつもりは無い。あくまでも儂は人として剣の奥義を、新陰流の極意を修める事を目標にしておる。人の世にもどる方法を教えてもらいたい』
甚左衛門は神妙な表情を浮かべて十兵衛の質問に答えた。
『方法は二つしかありませぬ。最も確実なのは胸に秘めている野望や妄念を捨て、穏やかに人の世で生きる事を望む事で御座います。恐れながら十兵衛様がこちらに来たのは尋常ならざる怒りを抱えておられるのが理由。もしそうであれば何度でも鬼の世界に呼びこまれます。もう一つは鬼をも凌駕する力を得る事。この世界には特別な力を持つ鬼が居りまする。それらを全て討てば望みが叶うとの伝承がありますが、誰一人としてそれを為したものはおりませぬ』
十兵衛はその言葉を聞き、唇を歪めて甚左衛門に尋ねた。
『お主の申す鬼は何匹おるのだ』
甚左衛門は十兵衛の表情が変わった事を気にしたが、まずは十兵衛の質問に答えた。
『鬼の数は八匹で御座います。なれど十兵衛様。全ての鬼を倒せば鬼の持つ力を得る事になります。鬼の力とは単純な力や妖術では御座いませぬ。人が捨てる事の出来ぬ想い、仁、礼、信、義などの八つの徳を捨てさる事になりかねませぬ。そうなれば、仮に人の世に戻っても人としての生活はできませぬぞ』
それを聞いた十兵衛は高らかに笑った。
『儂は人の世で永遠に生きようとも、鬼の力を使って剣の極意を得ようとも思っておらぬ。剣の極意を極めた後で己の父を討つ。その後ならば鬼の世に住むことも厭わぬ。父を討てば、人の世には住めぬゆえにな』
甚左衛門から鬼の居場所を聞き出した十兵衛は翌朝に出発した。
見送りに来たのは、甚左衛門とお冬の親子だけである。
十兵衛の姿が見えなくなるまで見送っていた甚左衛門はお冬に尋ねた。
『お冬、十兵衛殿が気になるか?』
お冬は甚左衛門からいきなり思いも寄らない質問をされたので答えられなかった。だがその頬はうっすらと紅く染まっている事から、十兵衛の身を案じている事は容易く想像できた。
それを見た甚左衛門は童に諭すようにお冬に話しかけた。
『十兵衛殿は、鬼になるつもりも人として穏やかに生きるつもりもなかろう。かの御仁は人の身で鬼の力を得る御積りだ。そうなれば、人でも鬼でもない異形のものになる。おそらくお前と会う事は二度とあるまい。諦めたほうがお前の為だ』
だが、お冬は十兵衛が見えなくなった後も、歩き去った道を見続けていた。
何かを伝えようとするかような表情で道を見ている娘を見た甚左衛門は嘆息した。
(人は鬼になれる。だが、鬼が人になった事は聞いた事がない。十兵衛殿が目指した事は鬼、いや神仏ですら無しえる事ができぬ事。できればお冬とともに我等と過ごしてもらいたかったが、これも運命か……)
ままならぬ現実を前に娘のお冬と同様に甚左衛門もまた、十兵衛の立ち去った方角を見つめていた。
そして、この後の柳生十兵衛の消息を知る者は誰も居なった。
人の世では、柳生十兵衛が慶安三年に原因不明で死去したと伝えられているが、十兵衛が甚左衛門のもとを去った後に何をしたのかは謎に包まれている。
但し、十兵衛の父、但馬守宗矩が死去した後に十兵衛と弟の宗冬に父の遺領が分割して相続された。そのこと事から十兵衛と但馬守宗矩に不和があったと、当時様々な憶測が飛び交った。
十兵衛の死後に遺領を相続した宗冬は兄と父の死について、生涯口にすることは無かった。