第六話 死が二人を分つまで
時が流れるにつれ、リリアーナとアルクの『婚約者業務』は、公爵家にとって不可欠なものとなっていた。
リリアーナは彼といることで感情の起伏が抑えられ、前世の記憶に囚われていた、『悪役令嬢としての破滅の運命』から完全に解放されていた。
彼女の顔からは、ゲーム序盤のヒロインへの嫉妬と怒りに満ちた表情が消え、代わりに冷静で知的な公爵令嬢としての本質が表れ始めていた。
一方、アルクはリリアーナの婚約者という公的な地位を得たことで、彼の地味な文官としての能力を最大限に発揮できるようになっていた。
リリアーナの権威と後ろ盾のもと、彼は公爵家の財政を一手に引き受け、無駄な支出を徹底的に削減し、提出書類の不備をゼロにした。
ある日の夕食後、リリアーナは庭のベンチで小さな電灯の光を頼りに、黙々と書類を整理するアルクを眺めていた。
彼の丸メガネ、猫背、事務的な指の動き。
すべてがリリアーナの心を静かに満たしていく。
「アルク」
リリアーナは静かに声をかけた。
「ひゃい。リリアーナ様、申し訳ありません、今『月間支出報告書』の最終チェックをしておりまして」
「報告書の話ではございませんわ」
リリアーナはベンチに座り、アルクの隣に静かに身を寄せた。アルクは少しだけ緊張したが、職務規定2項:感情の煽動をしないというルールに従い、平静を装った。
「アルク、わたくしあなたのことを本当に愛していますのよ」
リリアーナの言葉は、まるで告白というより、事実の確認のようだった。
アルクは一瞬だけ書類を持つ手が止まる。
しかしすぐに再開し、事務的なトーンで答える。
「ひゃい。『婚約者業務担当』として、リリアーナ様の精神の安定に寄与できているのであれば、これほどの喜びはございません」
彼は『愛』という言葉を、あくまで『安定への寄与』という『業務成果』として解釈した。
その恋愛感情の欠如が、リリアーナにはたまらなく安心できた。
「あなたは、わたくしが欲しいものをすべて与えてくれましたわ。ディオン殿下は100%の熱い愛情を押し付けてきた。それはわたくしの心を乱し、破滅へと導く毒でした」
リリアーナはアルクの肩にそっと頭を乗せた。
アルクは硬直したが、規定に反しないため、そのままの体勢を維持している。
「でも、あなたの0%の冷徹な客観性と地味で無関心な態度は、わたくしに最高の安定をもたらしてくれた。あなたはわたくしにとって、最も効率的で、安全で、そして必要な人ですのよ」
リリアーナは彼を心から愛している。
それは熱い情熱ではなく、絶対的な信頼と心の安堵感に基づいた愛。
「わたくしは、あなたとの『婚約者業務』を期限永遠と定めましたが、もしよろしければ期限を『死が二人を分かつまで』に、規定の変更を申請したいのですが、よろしくて?」
アルクは書類を胸に抱いたまま、小さく「ひゃい」と答えた。
「それでしたら、リリアーナ様。『婚約者業務担当』を『終身伴侶業務担当』へと名称を変更し、職務規定の再精査を行わせていただけますでしょうか?」
「ええ、もちろん。その申請書を至急提出してくださいませ」
その夜、リリアーナはアルクが作成した『終身伴侶業務担当への移行申請書』の美しい書体と完璧な文言を眺めながら、穏やかな眠りについた。
神が定めた100%の婚約者は、彼女を破滅へと導く毒だった。しかし、相性0%で始まった地味な従者との婚約は彼女に秩序と安定、そして本当の幸せをもたらした。
悪役令嬢、リリアーナ・フォルティアの物語は、熱狂的なロマンスではなく、地味で、静かで、そして完璧に整理された、愛と業務の記録として、幸せな未来へと書き換えられていく。




