第十二話 ルークの誘拐と愛の証明
ある夜、自宅に戻ったルーク夫妻の元に、ルークの地味な丸メガネが置かれた脅迫状が届いた。
脅迫状にはルークが誘拐されたこと、そしてルークの解放と引き換えに『王室監査役の辞任と、すべての改革書類の破棄』という、感情的な要求が書かれていた。
リリアーナは初めて感情が業務を上回る危機に直面した。ルークへの母の愛が、彼女の冷静なリスク処理を完全に停止させたのだ。
「ルーク……!」
リリアーナの顔は青ざめ、手は震え、冷静な思考を失っている。
「リリアーナ様、落ち着いてください。感情的な動揺は最悪のリスクです」
アルクはリリアーナの動揺を見て、『感情安定剤』としての機能が、一時的に停止したことを悟った。
アルクは妻の感情を落ち着かせる術を持たない。
しかしアルクは業務を放棄することはなかった。
「わたくしは業務を続行いたします」
アルクはリリアーナの感情的な叫びを無視し、即座に『誘拐事件対応のための、法的根拠と捜索マニュアル(暫定版)』を徹夜で作成し始める。
アルクはルーク誘拐の『非効率な手順』を分析し、規定と法律だけを頼りに、冷静にルークの居場所を突き止めていく。
「誘拐犯は要求を文書で送ってきた。これは感情的な交渉を望まず、証拠を残すという、極めて非効率で素人の犯行であります。犯人の動機は感情的な利権の回復。居場所はゼクス伯爵の領地内にある、『監査対象から外れた倉庫』と推測されます」
アルクは騎士団の協力を得ず、彼の地味な協力者(元文官や、書類整理を愛する人々)と共に、ゼクス伯爵の領地内の倉庫を急襲した。
倉庫で発見されたルークは、丸メガネ姿のまま誘拐犯たちに囲まれていた。
誘拐犯はルークを人質に取り、アルクに感情的な交渉を迫る。
「書類の男! 貴様の大切な息子だぞ! 感情を見せろ! そして跪け!」
ルークは丸メガネ越しに誘拐犯をじっと見つめる。
そしてルークは泣き叫ぶ代わりに、地味な表情で誘拐犯に告げる。
「あのですね、監禁場所に関する報告書が様式Aで提出されていないのですが。これは手続きの不備であります」
やはり、ルークは地味な天才に育っていた。
その瞬間、誘拐犯たちがルークの冷静すぎる指摘に戸惑った隙を突き、アルクが突入。
無事にルークを救出することができた。
アジトに戻ったルークを抱きしめたリリアーナは、感情的な涙を拭い、アルクに告げる。
「アルク、わたくし感謝の言葉を感情ではなく、文書で伝えるべきだと認識いたしました」
リリアーナがアルクに差し出したのは、『終身伴侶への信頼と業務遂行に対する感謝状(最高評価)』という名の、地味な愛の証だった。
「あなたの冷静な業務遂行が、わたくしの感情リスクを最小限に抑え、息子を救った。わたくしの愛はあなたの業務能力にこそ存在します」
アルクは、その最高の業務評価を見て、静かに、しかし心から感動していた。
「リリアーナ様、わたくしどもは愛ではなく、書類によって、世界で最も確かな絆を結んでいるのであります」




