第一話 最高の事務処理と最低の相性
こちらは【短編】の連載版です。
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すでに短編を見られた方は、第十話からお入りくださいませ。
「相性100%の婚約者ですか?」
私、リリアーナ・フォルティアは、父の言葉を静かに聞き返した。声には一切の動揺を含ませない。それが公爵令嬢としての、そして前世の記憶を持つ者としての私の流儀。
対する父、フォルティア公爵は興奮で顔を紅潮させている。彼にとって、この報せは最高の栄光なのだろう。
「そうだ、リリアーナ! 神の測定盤が示した運命の相手だ。聞いて驚け! なんと、セラス王国の王太子ディオン殿下だ! どうだ! 最高の相手だぞ!」
父は胸を張り、得意満面だ。
周囲の者たちも、この世紀の吉報に感嘆の息を漏らしている。誰もが羨む王太子との婚約。
相性100%という、神に祝福された運命。
(完璧、ね。むしろ最悪)
私は内心、冷ややかに呟いた。
相性100%。それはつまり熱すぎるということだ。感情が絡み合い、すべてが完璧に噛み合う。普通ならば喜ぶべきことだろう。だが、私にとっては破滅を意味する。
なぜなら、この世界は私が前世で遊んだ乙女ゲーム、『ロイヤル・オーダー』の世界。そして私は、その中でヒロインをいじめ、最後には断罪される悪役令嬢リリアーナなのだから。
ディオン殿下との婚約は、まさしく破滅フラグそのもの。ゲーム本編の断罪ルートに真っ直ぐに繋がる一本道。彼の隣で私が取る行動は、すべてヒロインを虐げる行為と見なされ、そして最後の婚約破棄の場面で感情のままに逆上し、国外追放、あるいは投獄という結末を迎えることになる。
私の目的はただ一つ。
それは平穏に生きること。そのためには、感情を乱す要素は徹底的に排除しなければならない。
私は静かに口を開く。
「申し訳ございません、お父様。私はこの婚約、辞退させていただきますわ」
部屋の熱気が一瞬で冷めた。
父の顔から血の気が引く。
「な、なんだと!? なぜだ、リリアーナ! 正気の沙汰か!?」
「私にはすでに心に決めた人がいますの」
私の言葉に父は激昂する。
「誰だ、その相手は!? 王太子殿下を差し置いて、いったい誰と!」
私は迷わず視線を部屋の隅に向けた。
そこには公爵家の膨大な書類を抱え、文字通り固まっているひとりの青年がいた。
――丸メガネ、猫背、地味な灰色の上着。誰が見ても地味な文官見習い。モブ中のモブ。
「ひゃ、ひゃい!? 僕でありますか? 冗談ですよね?」
書類がガサリと音を立て、アルク・グラディスは全身で動揺ている。しかし、その動揺は他の使用人や父の驚愕とは比べ物にならないほど、静かで事務的に見えた。
「冗談などではございませんわ。私はアルク、あなたを愛していますの」
部屋の空気が、今度こそ完全に凍りついた。
〜第一章:最高の事務処理と最低の相性〜
アルク・グラディス。文官見習いで私の従者。
彼の能力自体は優秀、ですが発言力はゼロ、コミュ力皆無。でも私にとって彼は、この世界で最も価値のある人。
私がアルクに惹かれた理由。
それは、感情に振り回されない人間だということ。社交界で誰もが私を恐れ、お世辞と恐怖の目で私を見ていた。私が少しでも微笑めば、「機嫌が良い」と喜び、眉をひそめれば「激怒している」と、恐れられた。
公爵令嬢である私の感情の起伏は、周囲の人々にとって常に最大の関心事であり、彼らはその感情に合わせて行動を変えた。
しかし、アルクだけは違った。
彼だけは私を「リリアーナ様」という一つの事務手続き上の名称として扱っていた。
私が怒鳴っても、八つ当たりで高価な花瓶を床に投げつけても、アルクの対応はいつも最高に事務的だった。
「リリアーナ様、花瓶の破損報告は『物損申請書・様式B』で提出をお願いします。あと現場写真の添付と証人のサインも必要です」
その言葉を聞いた時、私の心は歓喜に震え踊った。
(なんて冷静なの! この事務的な対応、最高に安心しますわ!)
アルクの言葉には恋愛感情もお世辞も、ましてや恐怖や同情も含まれていない。ただの報告と指示。その冷たさが私の心をいつも救ってくれた。
王子の甘い言葉より、アルクの「リリアーナ様、提出文書に誤字が三箇所あります」という指摘のほうが、何倍も私を癒してくれる。
そう、アルクは、私の感情安定剤なのです。
お読みいただきありがとうございます。
初日は第十話まで投稿。
明日は12時と18時、21時に最終話まで投稿します。
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