第89話 女性の顔を見て笑うのは失礼ですよ?
「見事な手刀だったね。流石に……」
「煌蔣様ならできると思いましたよ。それに冬嵐が煌蔣様に気を取られていたから成功したわけですし。助かりました」
私は煌蔣に深々と頭を下げると、「いいんだ」と頭を上げさせた。私が顔を上げると、煌蔣は少し困った顔をしたあと、クスクス笑い始めた。
「えっ?」
「桜妃……」
「女性の顔を見て笑うのは失礼ですよ?」
「そう思うなら、鏡で顔を見た方がいい。朝から何を食べたんだい?」
私は煌蔣に言われたことがわからず、首を傾げたが、「何を食べた」と問われたことに、ピンときた。
「煌蔣様にいただいたお菓子を食べました」
「じゃあ、それだね?」
手が伸びてきて、私の頬を手で撫でた。ザラっとした質感があったので、何かついていたのだろう。恥ずかしさのあまり、頬が火照った。
「人前に出るときは、少し気をつけなさい」
「ありがとうございます……」
消え入るような声でお礼を言ったあと、自室へ駆けた。恥ずかしさのあまり、その場にいられなかったからだ。
「桜妃、何かわからないことか私が必要な場合はいつでも呼んでくれ」
「ありがとうございます。朝から、お騒がせしました」
扉を挟んで話すしか、今の私にはできない。恥ずかしすぎて、煌蔣の顔が見られなかった。「帰るから」と言葉を残し、煌蔣は屋敷へ戻っていった。私はふぅっと大きく息を吐いてその場に座る。
……冬嵐には悪いことをしたな。でも、はっきり言わないと伝わらないし、たぶん、今も伝わっていないよね。
さらに大きなため息をついたあと、私はゆっくり立ち上がる。部屋から出て連珠を呼んだ。
「お嬢様、大丈夫でしょうか?」
「冬嵐のこと? 大丈夫だって思うしかないわ。私は私のできることをするしかないし、今は勉強続けるだけよ」
勉強道具を自室へ持ってきて欲しいと連珠にお願いして、私は机にある本を読み始めた。
あれから半年の時間を領地で過ごした。母と妹の命日に供養をし、領地の視察をしたり、科挙の勉強をしたり、忙しく過ぎていく。指折り数えて試験の日を考えながら、過ごしたこの半年は、あっというまであった。
冬嵐もあれ以降、領地へ来ることもなく、音信不通となった。私はこれでよかったんだと、幼馴染がいなくなった寂しさを感じた。
「もうすぐ、都だ。長旅大変だっただろ?」
科挙試験が行われる都まで、私は煌蔣に警護されてきた。この時期、科挙試験に滞在する費用を持った受験生が多くなるので、盗賊に狙われやすい。
領地から三人が受けることを知ったので、受験生を含め、一緒に戻ってきたのだ。
「煌蔣様にはよくしていただいて、なんてお礼をしたらいいのか。ありがとうございます」
「いいよ、これくらい。他の受験生も、科挙試験、頑張りなさい」
私たちは、芳家の屋敷の前まで送ってもらった。煌蔣も都の屋敷へ戻ると私たちに別れを告げて去っていく。
領地にいた間のことを振り返り、私は煌蔣の背中に深々と頭を下げる。
これからが本番だ。屋敷へと振り返ったら、出迎えに来た父に「ただいま」と笑いかけた。




