第68話 月下老人に祈りを捧げたとして
もう一度、筆に墨を吸わせる。煌蔣への文面を考えていると、筆に墨が付きすぎてしまっていた。
「ふぅ……考えごとをすると、ダメね」
「お嬢様は、考えて動くより、動いてから考えるか、動いてから……」
「それ以上言わなくても、私の性格くらいわかっているわ」
墨を拭いながら、手紙を書くために紙と向き合った。書き始めようとしたとき、連珠に止められてしまう。私は連珠を見上げると、、「こちらにしましょう」と桜の模様の透かしが入った紙を持ってきてくれた。
「これは?」
「お嬢様の恋文用の紙です。いつか、この紙が日の目を見る日が来ることを願って、私が密かに作っておきました。この恋文用の紙を使われる気配もなく、お嫁に行かれないかと思う日々、、やっと、連珠の想いが天に……天帝に届いた気分です!」
夢心地でとても嬉しそうに、天帝に祈りを捧げている連珠。なんだか申し訳ないが、恋の神様は天帝ではなく『月下老人』だ。赤い糸で運命の人を結んでくれるという神様である。年頃の娘がいる家では、毎月のように寺院へお祈りに行くことも多いが、我が家は誰も行っていない。
私が、こんな状況なので、みなに「結婚はしないだろう」とか、「婚姻相手はすでに決まっているから祈る必要はない」なんて言われていたので、我が家とは無縁に近い神様であった。。
「月下老人に祈りを捧げたとして、どれほどの人が運命の赤い糸を結んでもらえるのかしらね?」
「それは……わかりませんけど、お嬢様はすでに結ばれていたのでしょうね。確か、匂い袋の『桜』の文字は、赤い糸で作られた記憶があります」
私は、連珠の言葉にハッとして、自身が作ったボロボロの匂い袋を思い出した。確かに、赤い糸で『桜』と刺繍していたことに、恥ずかしくなってきた。
「……私、さっき、天帝にお祈りしてましたね。そっか、月下老人が恋の神様でしたね。芳家は、無縁の神様でしたから、すっかり忘れてしまっていました」
私を見ながら、連珠は私の指摘にうなずいた。そのうえで、「うちのお嬢様は……」と小言を言って、荷物の仕分けの続きを再開させた。
連珠の後ろ姿を見ながら、心配してくれていたことに「ありがとう」と感謝した。
「何か言いましたか?」
「何も。領地へ行く前に、月下老人が祀ってある有名な寺院があるから、一緒に行きましょう。私の恋より、連珠の恋も大事よ」
「もう、お嬢様! からかうのはやめてください! 私は、お嬢様の幸せのために、その寺院でたくさん祈りますからね!」
「じゃあ、私は、連珠の幸せをたくさん祈るわ! 本人が祈るより、誰かが相手の幸せを祈る方が、効果があるのよ!」
驚いた表情をする連珠は、そのあと優しい笑みを浮かべた。連珠にも想う人はいる。私は、連珠にも幸せになってほしいと思っているので、領地への旅の計画に寺院へ行くことを決めたのである。




