第60話 桜妃は進むのだろう
父が目を開いて、こちらを見る。困ったような表情は変わらず、もう一度、大きなため息をついた。父にも思うところがあることくらい、わかっている。
「わかった。ただ、煌蔣殿下との婚姻は、今は、まだ、許すことはできない」
「……どうしてですか?」
「婚姻による利益不利益が生じると困るのは、桜妃の方だからだ」
「それは、どういう意味でしょう」
私は、父の言う意味がわからなかった。おもむろに立った父が、執務机へと向かっていく。私はその後ろ姿を見て、文箱から手紙を取り出したのを見た。私が執務室へ入ったとき、読んでいたものだろう。
「桜妃は、官吏になりたいとずっと言っていたな。今では、街の子どもたちに、教えているくらいには、知識も豊富だろう。私が役職についていることも大きく関わっているかもしれない。私が父であることが、今後、桜妃にとって、障害になる可能性もある」
私の前に座り直した父。鋭い視線は変わらずだ。持った手紙を机に置き、お茶を入れ直した。私は、その様子を見守る。
殿下との結婚は、私が不利になる。お父様が障害になることって……、一体、お父様は、私に何を隠しているのかしら?
「お……」
「桜妃にとって、朗報がひとつある」
「……朗報?」
「あぁ、聞くかい? この話を桜妃が聞いたら、もう、今の生活には戻れない可能性もあるし、今後の人生が大きく変わることになる。思い描いた未来は、もしかしたら来ないかもしれないし、普通の人生ではなくなる可能性が大きい」
父は私に微笑んだ。父にとってではなく、私にとっての朗報なのだろう。私にその話を聞く勇気はあるのかと尋ねてくる父は、さっきとは違い、心配しているのだという優しい視線に変わった。
「どうする?」
私に委ねられた返答に、少しの迷いが生じた。内容はまだ分からず、ただ、人生が大きく変わるとだけいう父。心配してくれているので、父にとっては、喜ばしい話ではないのだろう。
……皇太子妃になる話ではなさそうだけど、人生が変わるかもしれない話って、どんな話なのだろう?
「桜妃の返答によっては、今後の芳家のあり方も、この国の法も変わってくる。よく考えてほしい」
「……お父様、その内容は、伺ってもいいのですか?」
「もちろんだよ。この話を聞いて、桜妃がどうするか、じっくり考えてから答えを出せばいい。夢を聞いた限り、桜妃は進むのだろうと、私は思っているけど……」
私はうなずき、父に話の先を促した。決断するのは私であると言われ、その返答次第で、国をも変えることにつながるかもしれないと言われれば、怖くもある。
「女性官吏の登用について、皇太子殿下の責任のもと、試験導入されることになった」
私は驚きのあまり言葉を失う。女性官吏の登用の試験導入を私が後宮にいたときに、皇太子が陛下に進言した。皇太子が私と過ごす中で、男性ばかりの宮中に疑問を抱いたそうだ。私の勉強の姿勢を見て、男性女性変わらず、この国に仕えたいものがいれば、受け入れたらどうだろうと提案したと。父もその場にいたらしく、相当な騒ぎになったらしいが、後宮にいた私の耳には入ってはこなかった。つい先ほど、皇帝が、皇太子の進言を吟味した結果、試験的に登用が決定したらしい。




