第50話 桜妃が忘れていたなら、もう無効だろう?
「あの、殿下!」
「どうかした? 桜妃」
私の頬は熱く、先ほどからの二人の話が、私の感情を揺さぶってくる。私は恋なんてしないと思っていた。私に愛なんてないのだと考えていた。この沸き上がるような熱い想いは何だろうと思い、恥ずかしさも増してくる。
「その、私を娶るという話ですが」
……ずっと、この約束は冬嵐としたものだと思っていたの。そうじゃなかった。そうじゃなかったのね。これは、殿下と、三々とした約束だったんだ。
むしろ、私が言ったんだ。三々が欲しいって。なんて、大胆なことを言ったのかしら?
期待を込めて、私は恥ずかしさを抱えながら、答えを聞こうと決心した。私は、三々が欲しいと言ったことを思い出し、三々も迎えに来ると言ってくれていたのだ。
今、二人は再会したのだから、その約束は、果たされるのではないかと期待した。次の煌蔣の表情を見るまでは。
「幼いころの約束だ。桜妃が忘れていたなら、もう無効だろう?」
少し寂しいような諦めたような表情をしている煌蔣を見て、何かが終わったと私は悟った。柵の多い皇族の中でも、煌蔣の苦労は絶えない。辺境にある国防の最前線に煌蔣が身を置いているには理由があり、国内の権力争いに関わらないようにするためでもあった。後ろ盾のない煌蔣にとって、国内の権力争いごとに関われば、命を落としかねないからだ。皇子の中でも年若く、目をかけている重鎮も少ない。皇后の子である皇太子や貴妃の子である第二皇子がいるのだから、誰も寄り付かないというのが本当のところだろう。
本来、皇子である煌蔣にも、皇帝になる道筋はある。その力が、煌蔣には備わっていることを知らないものは少なくない。煌蔣の母の出身地である国からの支援もなく、寵姫の息子として遇されていても、寵姫とよく似た煌蔣は皇帝に冷たくされていると聞いていた。
「……でも、殿下は忘れていなかったじゃないですか! この香もこの匂袋も私のものです! 私は、忘れてしまっていましたが、殿下は何一つ忘れていなかった」
涙が溢れてきた。忘れていた私が悪いのに。幼かった三々が、大人になって目の前にいるのに気付けなかったのだから。
第三皇子の元服の行列で、煌蔣を見たとき、きっと、この人は、私に落胆したことだろう。あの約束は覚えていてくれなかったのだろうと。だから、今日、皇宮で会ったとき、縁はないと言い切ったのだ。私が全て悪いとはいえ、この胸の苦しさに押しつぶされそうであった。




