第36話 とても有意義なひと月
私の顔をひと月ぶりに見た父は安心したように私を抱き寄せ、「家に帰ろう」と促してくれた。変わらぬ優しい父に私もホッとしてうなずく。
それを少し離れたところから見ていた皇太子は、親子の再会をひとしきり見たあと、ゆっくり近づいてきた。
「芳太傅」
「御用でしょうか?」
父は私からそっと離れ、皇太子の方に体を向ける。皇太子を見たときから、なんだかうれしそうにしている父を私は見上げた。
「桜妃と過ごさせてくれてありがとう。次は別の形で……」
私とのひと月の間に「ありがとう」という言葉を覚えた皇太子。今まで、皇帝や皇后に使うことはあっても、他のものに使ったことがなかったらしい。私があちこちで「ありがとう」と言うのを聞いて、理由を聞いてきたことがあった。「運気が上がるんですよ!」と教えたら、それから皇太子もなるべく言うようになったようだ。明明たちも言われたことがあったらしく、嬉しそうに口もとを緩めていた。少し前の話なのに、昔の話のようで懐かしく思えてしまう。
「……、殿下、そのお返事にはお答えしかねます。私は、殿下の望むようには、判断いたしません。今回は、宰相様からの申し出と私情も相まって、娘を後宮に送り出しましたが、次はないと考えてください。では、勤めを無事に果たした娘を早く家に帰したいので、御前を失礼します」
私と父は皇太子への挨拶を済ませ、早々に城を出た。恋しくてやまなかった我が家に帰れるのだと思うと嬉しくてたまらない。連珠も首を長くして待っていてくれるに違いない。馬車に揺られ、窓から花の香りがしてきた。ふと、煌蔣から懐かしい香りがしたことを思い出す。
「お父様」
「どうかしたのか?」
「お願いがあります」
「なんだ。なんでも言ってくれ。お前を後宮に送り出してしまったこと、毎日毎晩後悔が絶えなかった。桜妃の願いなら、なんでも叶えてやるぞ」
父は私を見て、すまなそうにしているが、私は首を横に振った。もちろん、望んで皇太子の後宮に上がりたいとは思っていない。ただ、今回、こんな機会を得て、得られたものもたくさんあったので、父がそこまで申し訳なさそうにする必要はなかった。
「お父様、ご心配なく。今回、後宮に参内いたしましたが、何一つ悪いことはございませんでした。宰相様の行き届いた目のおかげで、辛い想いもせず、ただ、毎日、好きな勉強をして、体を動かし、たくさん本を読んだり、皇太子殿下や講師の方から学ぶよい機会となりました。私は、井の中の蛙。まだまだだと、実感させられました」
「……桜妃」
「とても有意義なひと月でしたことをお父様に報告しますわ!」
私は大きな父の手を取り、「ありがとうございます」と言葉を添えた。私の元気な姿を見られればいいとだけ思っていたらしい父からすれば、娘が成長していることを感じ、目頭をそっと抑えていた。




