第26話 頭がクラクラしてきました
皇宮の奥深く。カビ臭く空気まで湿ってしまった廊下を皇太子と歩いている。手入れのされていないその場所は、歩くたびにぎぃーっと怪しい音を出し、背筋が寒くなった。
「殿下、こんなところに、本当に本があるのですか?」
「あぁ、この奥にある」
「本って、湿気を嫌うものではないのです? とてもジメジメしていて、本が保管されるような場所に感じませんが……」
私の方を見ながら、ふっと笑う皇太子を下から睨みつけた。淀んだ空気が気分を悪くさせているのだ。嘘だと分かったら、とっちめてやると心に決めて、皇太子の後に続く。
不意に手を繋がれ、「どうかしましたか?」と聞く。ジメジメした空気の中で、皇太子の手の温もりは安心できた。
「もう少ししたら、さらに暗くなるから、危ないかと思って」
「それでしたら、私、夜目が利きますので、大丈夫ですよ」
「……そ、そうか」
少し残念そうに私を見てから、前に視線を移す。夜目が利くとはいえ、慣れない服を着ているので、手を握ってくれていることは、とても助かった。
「優しいのですね?」
「当たり前だろう? 桜妃は皇太子妃なのだから」
「それもそうですね。今、私は皇太子妃でした。すっかり忘れていました」
2人で笑い合っていると、目の前に大きな扉が現れた。皇太子が、「ここだ」というので、手を離して鍵を開けてくれるのを待つ。そろそろ湿気で服も濡れてきて重くなっている。中も期待していないでいたが、扉を開けたとき、カラッとした空気が私の頬を撫でた。
古い紙と墨汁の匂いが鼻をかすめていく。目の前に広がる光景に私は言葉を失った。
「すごい数の本です! 殿下」
「あぁ、そうだな。すごい数だ」
「……どれくらいあるのですか?」
「さぁ? 数えたことがないから、知らぬ」
引き寄せられるように部屋に入ると暖かな日差しもあった。辺りを見回すと、床にまで置かれている本の間に、ちょうど空間がある。明らかに、人により作られたその場所は、椅子やベッド、そのほかに蝋燭など、ここに住んでいる人がいるかのようなものが置いてあった。
「あれらは、殿下のものですか?」
「あぁ、そうだ。1日中、この場にいるから、いろいろと用意してある。お茶も飲めるし、昼寝もできる。快適空間だな」
私はなんて羨ましいのだろうと、皇太子を見上げた。いつにも増して、自信があるように感じるのは、自分だけの居場所にいるからなのだろうか?
「どれくらいの本を読みましたか?」
「そうだな、まだ、三分の一にはいかないはずだ。この場所を偶然見つけたのは、5年ほど前だったからな」
「それでも、この数ですから、すごい読書量ですね」
「本で得た知識は、なかなか深いぞ?」
笑っている皇太子に私は感心した。ボンクラとか遊び回っているとか言われていた彼は、周りに見せていた自分と全くの別人であることを教えられた。
……宰相様は、私に何をさせたかったのかしら? これほどの努力をしている人に今更、大学を教えたところで、なんの役にもたたない。それ以上の知識があるのだから。
「どうして、誰にも言わないのです? 殿下の努力は、もっとたくさんの人に知られるべきです」
「そうしたくないから。遊び人でどうしようもない皇太子を演じることは、次の皇帝を選ぶときに必要だと思っているからだ」
足元に落ちていた本を拾って、何気なく読んでいる。それは、今は使われていない古代文字の本で、私は目を見張った。
「それも読めるのですか?」
「まぁ、読めるかな。蔣も読めるぞ?」
「……私、なんだか、頭がクラクラしてきました」
あまりにも急展開を見せられ、演じていた皇太子に驚かされてしまう。へなへなと力が抜けて座りかけたとき、椅子へと誘導してくれたのだった。