黄泉通愛迷路 (よみにかようあいのメール)
一
「あなたがこのメールを読むころ、わたしは千の風になって大空を吹き渡っているわ。悲しまないでね。わたしは、いつもあなたのそばにいるのよ。だから」
メールは、ここで切れている。
亮はこの最後のメッセージを何度開いただろうか。そのたびに熱い苦しみが胸の底からわき上がってくる。
大空でなく、ぽっかりとあいたこの胸のすき間に君の風が満ちてほしい。彼は、にじんだ携帯のディスプレーをじっと見つめた。
彩が旅立ってからひと月がたった。
だが、まだ彼女の死が信じられない。いまにも、メールの着信音がひびいてきそうな気がして、テーブルに置かれた 携帯をじっと見つめる日が続いている。
葬儀から帰ってベッドに倒れ込んだ亮の耳に、突然あのメロディーが聞こえてきた。
まさか、と思ったが、本当に彼女からだった。死のまぎわ、残る力を必死にしぼって、打った予約メールが届いたのだ。
あと、何時間、何十時間か後には自分がこの世から消えてしまう。それを考えながら一文字一文字キーを打つ彼女の 胸のうちを察すると、いたたまれないほどの苦痛がわきあがってくる。
部屋に閉じこもったまま携帯を見つめる息子に、家族は胸を痛めた。
「少しは、外へ出て歩いてみたら。あなたがそんなに落ち込んでいたら、彼女だって悲しむわ」
やさしく声をかける母親にも、亮はただ、さびしそうにかすかな笑みを返すだけだった。
二
親しい者だけのささやかな四十九日が行われた。
友人は、亮と親友の美幸だけが招かれた。
写真がほほ笑む祭壇の前で、彼は手を合わせたまま長いあいだ動こうとしなかった。その姿に、参列者はハンカチを目にあてた。
彩は、勉強でも音楽でも他にぬきんでていた。何かにつけて前向きで、まわりの者をぐいぐいと引っ張っていく活発な娘だった。
一方の美幸は無口でおとなしく、まわりに合わせるタイプだ。だから積極的な彩とウマが合ったのだろう。中学時代からの親友だった。
彩は亮と出かけるときにも、よく美幸を誘った。三人で泳ぎに行ったり、キャンプに出かけたりして、楽しい学園生活をおくっていた。
二人の仲がうまくいかなくなったりすると、お互いの相談相手にもなるなどしていたから、美幸はどんなに彼らが深く愛し合っているかをよく知っていた。それだけに、彼のことが心配だった。
「何でもいい、彼女の声が聞けたら。もう一度でいい。あいつの言葉がほしい」
うめくようにつぶやく彼に、美幸はかける言葉が見つからなかった。
彼女が亮に好意を抱いていなかったといえばうそになる。だが、親友の恋人にそんな感情を持つことは、彼女にとって許されないことだった。
しかし、彼の苦しみを慰めてあげたい、そのためには、何でもしたいという思いは、日々つのっていた。
彩の写真をはさんでため息をつく二人を、妹の沙耶はカーテンのかげから複雑な表情で見つめていた。
三
沙耶がドアを開けると、亮が飛び込んできた。
「どうしたの、こんなに朝早く」
沙耶は、驚いて叫んだ。登校時間にしては早すぎる。
「彩からメールが来たんだ!」
これだけ言うと、かばんを抱えた彼はハアハアと苦しそうに肩で息をした。
「えっ、うそ」
彼女は絶句した。
姉が日時指定メールを送ったのは一度きりである。 臨終の意識が薄れゆくなかで、腕を支えられながら最後のメールを打つのを手伝ったのは、沙耶だった。
病院では携帯が使えないからパソコンを持ち込んで、無線LANから送信した。
それ以外に予約メールを送ったとは聞いていない。だから、姉からのメールが届くことはないはずだ。
「朝、携帯を確認すると、夜中にメールがあったんだ。それも、彩から」
沙耶は信じられなかった。何かの間違いだと思った。
亮はポケットをさぐると、携帯を目の前に差し出した。
「どうしてる、元気? 落ち込んでいちゃだめ。わたしがいなくても、ちゃんと勉強しなくちゃ。いま何してるの。ほら、ちらほらと雪が降ってきたわ。初雪の日にデートした恋人たちは幸せになるっていうでしょ。私たちのときも、あの冬はじめての雪の日だったわね」
着信時間は、夜中の一時過ぎだった。
「発信は彩のネットブックからだ。ちょっと、あのモバイルを見せて」
叫ぶなり彼は乗ってきた自転車を放り出し、彩の部屋に駆け込んだ。
道路に倒れかかった自転車を門の中に取り入れると、沙耶は彼の後を追って姉の部屋へ走った。
「あっ、やはりあった」
亮の驚き声で、姉のパソコンをのぞき込むと、送信済みアイテムの中に彼あての、同じメールが残っていた。発信は、携帯の時間と一致していた。
彼女は、背筋が凍るのを感じた。
四
次の日の午後、彩の部屋に亮、美幸、沙耶が集まった。
死者からメールが送られてくる。ホラー映画のような不思議な現象に、皆は戸惑っていた。
「そんなこと、ありえないわ。心霊現象ならともかく、メールのような具体的なメディアでメッセージが送られてくるなんて」
沙耶が、真っ先に口を開いた。
しかし、美幸は反論した。
「でも、幽霊が残した足あとが保存されているお寺や、キリストの姿が残っているという聖骸布もあるわ。一概におかしいとは、いえなんじゃないの」
二人は、亮を見た。彼がどう思っているのか、その言葉を聞きたかった。
「わからない」
ひと言ポツリともらすと、彼は黙り込んだ。
彼も、ありえないことだとは考えているようだった。だが、否定したくなかったのだろう。でないと、彼女が手の届かない遠くの方へ行ってしまったことを認めることになってしまう。
沙耶と美幸は、亮の携帯をもう一度調べた。差出人に間違いはない。彩の名前と、彼女のアドレスがしるされている。
今度は、彩のパソコンだ。携帯電話は解約したので、そちらからの通信はできない。
彼女のパソコンは、ずっと机の上に置いてある。パステルピンクのネットブックである。
送信済みアイテムに、はっきりと履歴が残っている。時間も合っている。彼の携帯にあるメールは、このノートから送られたものに違いない。
「やはり間違いないわ」
美幸は確認すると、ネットブックのふたを閉めた。
「このパソコンは、いつもここにあるのね?」
「そうよ、動かさないわ。だれも使わないんだけど、部屋のものはすべてそのままにしてあるの。両親も整理する気にならないって。わたしも」
美幸の問いに、沙耶は答えた。
「ぼくは、いつまでもそのままにしておいてほしい。もしかして、また」
亮は口ごもったが、まさかそれが現実のものになるとは、そのときだれも思わなかった。それも数時間とたたないうちに。
五
亮たちが帰り、しばらくして、リビングの電話が鳴った。
「ぼくたちの写真が添付ファイルで送られて来ている!」
彼のあわてた声が受話器の向こうから響いてきた。
沙耶は、言っていることがすぐに理解できなかった。一瞬間を置いたあと
「うそっ」
と、叫んだ。
「本当なんだ。家に着いたら、着信メールのメッセージがあった。さっき三人が集まっていた写真が、やはり彩から送られて来たんだ。ちょっとパソコンを見てきてくれないか」
彼女は信じられなかった。メールならともかく、写真まで。
急いで姉の部屋へ走った。そして、パソコンのふたをあけ、ブラウザを起動した。
沙耶は、息を呑んだ。送信履歴に添付ファイルつきのメールが残っている。あわてて開くと、つい先ほど三人が話していたときの写真が画面に現れた。
ベッド付近から撮られている。鳥肌の立つのを感じながら彼女はそちらを見た。
もちろん、その方向にはだれもいなかったし、三人ともカメラは持っていなかった。
だれが。
もしかして、姉の魂が部屋に残っていて、写真を撮り、メールを送り続けているのだろうか。
頭が混乱して、何も考えられなかった。
彼らが部屋を出るとき、彩のネットブックは、閉じて机の上に置かれていた。それから、わずか一時間あまり。だれが、送信したのだろうか。
机の前の窓から夕日が差し込んでピンクのノートを照らしている。すきま風が吹き込んできて、初めて寒さを感じた。彼女は、窓を閉めた。
そして、いすに座り、亮と美幸の二人のことを考えながら、じっと窓外を見つめた。
六
「今夜から、姉の部屋で寝る」
沙耶は、亮に言った。
「そうしたら、だれもパソコンを使えないでしょ。もし、人が部屋に入ってきたら、寝込んでいてもわかるように、旅行みやげに買ってきたドアベルをつけておくから」
彼も、うなずいた。
「じゃあ、シャットダウンしておいた方がいいんじゃないかな。すぐには使えないように」
なるほど、と沙耶は思った。
次の朝、沙耶が服を着替えて部屋を出ようとしたところへ、ノックもそこそこに亮が飛び込んできた。
その目は、メールの着信があったことを示していた。
彼は、パソコンを立ち上げた。沙耶もじっとディスプレーを見つめた。起動するのももどかしく、彼はブラウザを開いた。そして、マウスのポインタを素早く送信済みアイテムへ運んだ。クリックすると、最下段に亮あての新しいメールが加わっていた。
二人は、目を合わせた。
「だって、きのうの晩は何事もなかったのに」
沙耶は泣き出しそうな顔になった。
七
突然、沙耶の携帯が鳴った。
目をしばたたかせながら、まくらもとの目覚ましを見た。午前六時を過ぎたばかりである。外はまだ暗い。
半分寝ぼけながら通話ボタンを押すと、美幸の息せき切った声が飛び込んできた。
「亮が入院したのよ。けさ、救急車で運ばれたんだって。知らなかった。もっと早くわかってあげていれば……」
沙耶の頭がはじけ飛んだ。
「どうして。何があったの、事故?」
ベッドに起き上がって、たずねる声がふるえた。
「すぐに行くわ。電話では話せない。待ってて」
こう言い置くと、通話は切れた。
八
「亮が、きのうの夜、突然、彩が窓の外に立ってると叫んで、はだしで飛び出したの。あわてて、家の人が連れ戻したんだけど、わけのわからないことをしゃべり続けるので、救急車を呼んで緊急入院したっていうの」
「ええっ」
沙耶は息をのんだ。予想さえしないことだった。
「弟さんから電話があって、すぐ彼の家へ行ってきたの。そこで、すべてがわかったのよ」
美幸は胸に手を当て、気を落ち着かせると、説明を始めた。
「彩のメールを送ったのは、彼だったの」
思わぬ言葉に、沙耶は耳を疑った。
美幸が亮の話を奇妙に感じたのは、最初のメールにあった初雪のくだりだった。
彼がメールを受け取ったという夜、美幸は試験勉強で徹夜していた。窓ぎわにいたが、雪を目にしなかった。
霊界からの通信だとしたら、この世の天気など関係はないのだろうが、気になったのでまわりの友達に確かめてみた。だが、だれも知らなかった。
それで、クラス全員に質問メールを送ってみた。すると、何人かから初雪を見たという答えが返ってきた。
山すその住宅地、つまり亮と同じところに住む級友たちだった。地形の関係から、ごく一部にだけ雪がちらついたようだった。
九
「けさ彼の部屋に入れてもらって、はじめてその秘密がわかったの」
美幸はくちびるをかんだ。
「机の上に彩のと同じパソコンが置いてあった。色も、ディスプレイの壁紙も、アイコンも。設定のすべてが同じパソコンが」
沙耶は、姉の友人の言うことがよく理解できなかった。
「そう、彩のネットブックと、彼のと二台のパソコンを使い分けながら、トリックを演じたのよ」
美幸は、悲しそうな目で机に置かれたピンクのネットブックを見やった。
「でも、どうやって姉のパソコンから送信したの? 送信記録のあったのは、姉のパソコンに間違いないわ。汚れや小さなキズなどもあるし、偽物だとすぐわかる」
沙耶は、説明に納得がいかなかった。
「これは、あくまで私の推理よ」
と、美幸は前置きして続けた
「四十九日のときにでも、彼は彩のパソコンを、持ってきたダミーと入れ替えたのだと思う。ずっと部屋にあったのは彩のでなく、彼のパソコンだったのよ」
彩のパソコンは机に置かれたままで、だれも触らない。細かいところまで注意して見るわけでもなく、だれも気づかなかったのだろう。
「一回目のメールが着いたと飛び込んできたとき、あなた彼と一緒に彩の部屋へ入った?」
たずねられた沙耶は、その日のことを思い出し首を振った。
「ううん、彼の自転車を取り入れてから後を追ったの」
「あなたが部屋へ入ってくる前に、カバンに入れてあったパソコンと取り換えたのよ」
彼は前夜、彩のネットブックで彼の携帯へメールを送信して履歴を残したのち、ダミーとすり替えたという。
「じゃあ、写真の件は?」
「それが、なかなかわからなかったの。でも、けさ彼の弟から聞いてやっとわかったわ。やはり彼が携帯で撮ったのよ。サイドテーブルに置いて、タイマーで」
「うそよ。だって、携帯ならシャッター音で気づくはずよ。あなたも私もいたんだもの。わからないはずないわ」
「彼のは、最近はやりのスマートフォンといってパソコンの機能を組み込んだ機種だったの」
「それが、どうしたの」
「これだと、ある種のソフトをインストールすると、簡単にシャッター音を消すことができるのよ。普通の携帯では難しいけど」
「でも、携帯からの送信じゃなかったわ。あれも、お姉さんのパソコンから送られてたのよ」
沙耶は、さらに疑問をぶつけた。
当日は、三人で彩のパソコンを検証したから、ダミーであるはずはない。部屋を出たのもいっしょで、細工するようなスキはなかった。そのすぐあとで亮から写真を受け取ったという電話があったのである。
「彩の机は窓のすぐ前でしょ。窓のカギはいつも確認してる? 多分、部屋を出るとき、彼は掛け金を外しておいたのだと思うわ」
美幸は、皆が集まった日のことを思い出すような表情で説明を続けた。
「私たちと別れたあと、裏庭へ忍び込んで、窓から取り出した彩のパソコンを使ったと思う。携帯で撮影した写真を送信して、机にまた戻す。庭からでも、家の無線LANが使えるから」
「なら、わたしが一晩見張っていたときは?」
沙耶はたたみかけるように尋ねた。
「そのときは、亮のパソコンから送ったんじゃないかな。そして、送信データをSDカードに取り込み、起動時に手早く彩のにコピーしたんだと思う。細工する時間を稼ぐため、前夜いつものスタンバイモードでなく、シャットダウンさせたに違いないわ」
「でも、それはあくまで推測でしょ。証拠はないんでしょ」
理屈に合わないとはいえ、沙耶も姉のメールをまったくのうそと否定されたくなかった。
「これを見てちょうだい」
美幸は、彩のワイヤレスネットワークを開いた。
そこには、彼女の家の無線LAN以外に、見知らぬネットワークシステムがあった。
「これは、亮の家で使っている無線LANなの。送信したあと、消し忘れたのね」
美幸は、大きなため息をついた。
あまりにも重苦しい事実に、二人はぐったりと疲れきってしまった。
「でも、なぜ亮さんはそんなことをしたのかしら」
沙耶はつぶやいた。
弟の話によると、さびしさを紛らすため、はじめは自分でつくったメールを彩からのものだと自分自身に言い聞かせ、携帯へ送っていたらしい。
いつしか、それで満足できなくなった彼は、周りの者にもそれが事実だと思い込ませたくなった。それによって彼の心の中で、さらに彼女の存在を確実なものにしたかったのだろう。そこで、これらのトリックを使うようになった。
「お医者さんの話だと、そのころから彼の精神がバランスを崩し出したのではないかというの。亮と彩を演じ合っているうち、彼の精神が二人の人格に分裂していったらしいわ」
彩の気持ちになってメールを打っている彼は、完全に彼女となり、受け取るときは亮に戻る。いまや、彼の中には二人の人格が共生しているのではないかという。
「彩の存在があまりにも大きすぎたのね。彼女がいなくなっても、だれひとり心の中に入れないほど」
美幸のひとみが、うっすらと光った。
ネットブックに雪がちらつき始めた。木々の間をゆっくりと雪粒が通り過ぎてゆく。少しずつ少しずつ降り積もり銀世界が画面いっぱいを覆うスクリーンセーバーをじっと見ているのは、彩の大好きな時間だった。
(終)
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