思考の至高
バランサー。
それは、ある状態やシステムを安定させるための要素や装置を言う。
天秤が一番解りやすい。
文鎮十グラムを一つ。
文鎮二グラムを五つ。
これでバランスが取れる。
ただし。
どちらかが過多、過不足になると、天秤は平行にならずアンバランスになる。
人生に置き換えてみよう。
簡単な話、この世の悩みのほとんどは人間関係に収束する。
人間関係の不均衡は、人間の『生』に不幸をもたらす。
喋り過ぎれば疎まれ、口を閉ざしすぎては舐められる。
配慮を欠けば嫌われ、気遣いが過ぎれば自滅する。
お金が全て、しかし、お金が全てではなかった、と語るのが真実。
日本人に限った話ではなく、人類共通の命題。
戦争がその最悪の結末と言えるだろう。
片足立ちで倒れないように必死で均衡を保とうとして。
三百六十度どの方向へ倒れても少なくとも怪我をするが故に。
そうならないために馬鹿みたいに右往左往するのだ。
手足をバタバタと赤子のように動かして、だ。
にっちもさっちもいかない理解しがたい心理と心情を読み解き、配慮と遠慮を持ち合わせて他者と接する——逆に、自分勝手にふるまい、周囲を、世間を、世界を支配しようと働く——愚かな罰と罪。
陰口悪口不平不満愚痴。
自分を見ているようで見ていない。
他者と付き合っているようで付き合っていない。
その矛盾。
文鎮で重さを均等にしようが、屋外での使用では天候の変化、さらには昆虫や動物による接触、果ては経年劣化による不均衡はもはや致し方なく。
世俗から離れて仙人的生活を送ろうとも、必ずそのアンバランスはやってくる。
スピリチュアル的に言うと、『流れ』、だろうか。
人間関係を捨てようと、眼を背けようとも、その課題は必ずやってくる。
無視し続けた先の、その大きな代償とツケは、もはや取り返しのつかない現実へと変貌する。
家族や友人との別れは辛かろう。
夢や目標を捨てた人生は虚しかろう。
進めなければならない。
進まなければならない。
それが人生であり、自身の物語のページをめくる読者として在らなければならない。
プレイヤーでもあり、ゲームマスターでもあるその人生を。
バランスを図り、山あり谷ありの人生を突き進むその意志を。
誰とも知れない誰かに、示し続けなければならない。
それが人間である。
誰かが言った。
人間は考える葦である、と。
葦のように小さくか細い存在で、それでいて思索する術を忘れず、ある問いに答えを出す人物こそが格を為す。
思考こそがその全てなのだ。
バランスは、思考の至高である。
自身の課題や問題点を乗り越え、思考を改善して世界を押し広げ、視野を広く持ってまた世界を見る。
この世界は何と儚く、そして美しいことか。
バランスの本質は平穏、つまりは不変。
至高に達する人は皆、まさしく神様に近いのだろう。
故に皆が求めるのだ。
平和を。
【争い】の無い【自由】な【世界】を。
——と。