枯れ葉令嬢と幽霊貴公子の闇討ち相談会
枯れ葉シリーズは、枯れ葉と呼ばれる少女のお話です。
作品はそれぞれ別個の主人公のお話です。
よろしくお願いいたします。
成り上がりのオルセン伯爵家には、有名なものが2つあった。
1つは、お金。オルセン家は公爵家よりも財産家であると評判であった。
もう1つは、双子の姉妹。
金髪青目の姉、パトレシア。
茶髪茶目の妹、メリージェン。
姉妹には、それぞれ婚約者がいたのだが。
「あの男っ! 婚約するならば美人のパトレシアの方がよかった、枯れ葉のメリージェンは不満だった、だから浮気をした、ですって!! メリージェンは可愛いわよ、だって私とメリージェンは双子で同じ顔をしているのよ!!」
パトレシアが不快感を抑えきれずキリキリと眉を吊り上げる。憤りに黒く燃えるようだ。
「婚約の破棄によって親から叱責されて家での立場を廃されて、無様な男! 私の可愛い妹を蔑ろにした罪を嘆き苦しむといいわ!!」
王国では金髪銀髪が尊ばれ、王族ならびに上位貴族は輝く金髪の者が多かった。その上位貴族の社交場に、平民や下位貴族の色彩と言われる茶髪茶目のメリージェンが出席すると〈枯れ葉〉と嘲笑された。花のように美しい令嬢たちの中に茶色い枯れ葉が交ざっている、と。
メリージェンの婚約者は同格の伯爵家の次男であったが、最初の顔合わせの時からメリージェンを見下していた。
露骨にオルセン家の財産目当ての婚約だというのに、メリージェンを大事にすることもしなかった。あげくに、婚約を結んでたったの半年で浮気をして破棄となってしまったのである。
妹のメリージェンを愛する姉のパトレシアが、怒り狂うのも無理はないことであった。
「怒らないで、お姉様。私は、あの方と破棄となって喜んでいます。私を〈枯れ葉〉と嘲るあの方と結婚だなんて考えるのも嫌ですし、お父様はお父様で、あちらの家との事業提携の出資金の回収をチラつかせて恩を売る形に持ち込み、大きな貸しとすることができてご機嫌ですし」
「そうよね。その関係で、この由緒ある没落した伯爵家の屋敷を買い取れたのですものね」
古い歴史を誇る屋敷は失われた権勢を幻影として刻むこともなく、大きな鳥が羽根をひろげているような風格があり、季節を彩る設計をされた庭園は花々が四季を通して絶えることなく咲きこぼれていた。
建物にそわせた樹高の高い薔薇は、アーチやポールやフェンスに仕立てられて鮮やかな緑の葉と華やかな花の色と調和して、柔らかな香りを漂わせている。
低い植え込みには、様々な薔薇とハーブ。
人魚の彫像が泳ぐ噴水からは豊かな水が流れ、庭園を取り巻いていた。
成り上がりのオルセン伯爵は、自家にはない格式を求めて手に入れた古い屋敷にすこぶる満足していた。何故ならば、この屋敷は幽霊が出るとの噂があるのだ。オルセン伯爵は、歴史ある建物にこそ幽霊はふさわしいとの考え方であったので、待望の幽霊が見られるかも知れないとワクワクしていたのだった。
「お父様は、屋敷の名義を私にして下さいました。いずれ私のものとして屋敷の女主人となるように、と」
くすり、メリージェンは唇を綻ばせた。胸元で水の雫のようなアクアマリンのネックレスが輝いて揺れる。
「どうやらお父様は、あの方の浮気性をご存知だったようです。なので婚約の契約書に浮気は絶対に不可との一文を。あの方の家はオルセン家からの出資金欲しさに署名しましたが、始終見張りを置かれていたのに結局あの方は浮気を。愚かな息子を持つと家は苦労しますね」
「おかげでお父様は憧れの幽霊屋敷を入手できたのだから、愚息さまさまね。あちらの家からの紹介がなければ購入できなかった屋敷だもの」
パトレシアもクスクスと笑った。パトレシアの胸元にもアクアマリンのネックレスが光に反射して輝いていた。
「贅沢をやめられずに家が没落したというのに、体面を気にして売る相手を選んで。お貴族様はたいへんね」
「お姉様、私たちも貴族です」
「幽霊好きのね。ねぇ、本当に幽霊が見られるのかしら?」
「見られるといいですね」
「是非とも見たいわ!」
あの父にして、この娘あり。
幽霊、幽霊、あれかしと夜毎オルセン伯爵もパトレシアもメリージェンも待ち構えているのである。残念ながら、屋敷を徘徊しても幽霊発見には至っていなかったが。
そして、その夜のこと。
月の光が雨のごとく降り落ちて、硝子のように透き通る淡い青と微かな緑と仄かな赤の月虹が夜空にかかっていた。
満ちた月と。
澄んだ夜空の星星と。
おぼろに霞む幻想的な月虹。
闇に浮かび出るような、逆に、底深く沈むような、儚い月の光が醸し出す美しい虹の夜であった。
「まぁ、珍しい」
メリージェンが窓に近寄る。しかし、ハッとして一歩後退り、
「きゃあぁぁぁ!」
とメリージェンが悲鳴を上げた。
窓の外には、半透明の若い青年の姿が空中に浮かんでいた。風のない部屋で空気が動く。すぅ、と壁を通り抜けて青年がメリージェンの部屋に入ってくる。金色のような銀色のような髪をした宝石のごとく整った美貌の青年だった。
「その『きゃあ』って歓喜の悲鳴に聴こえたんだけど。普通は、恐がるとか怯えるとかするのが幽霊に対しての令嬢の礼儀だと思うんだけど」
半透明の青年がやや呆れた口調で言った。
「あら、ごめんなさい。『きゃあ』をちゃんとやり直しましょうか?」
メリージェンが慌てて口を両手で覆った。それでも嬉しそうな口元は隠しきれていない。
「幽霊と会話をするのは初めてなので、作法がわからないの」
「君、図太くない?」
「社交界で虐められているから神経が丈夫になったの」
「虐め?」
「ええ、私の髪の色が伯爵家の家格に泥を塗っているんですって。お父様もお姉様も私を慈しんでくれているのに、他人がアレコレ後ろ指を差すの。〈枯れ葉〉って。上位貴族の社交界はネチネチして嫌よね」
ふん、と鼻を小さく鳴らすメリージェンに青年が目を見張る。
「君、本当に図太いね」
「幽霊を見て歓喜の悲鳴を上げるくらいには図太いわ。でも、夜に貴族の娘の部屋に許可もなく入室する若い男性ほどには図太くないと思うわ」
「失礼。幽霊だから許してくれる?」
「貴方の名前を教えてくれたら許してあげるわ。私の名前はメリージェンよ」
メリージェンが淑女の礼をする。
青年も右足を引いて左手を腹部に水平に当てて優雅な動作でお辞儀をした。
「僕はリカルドだよ。リカルドと呼んで、メリージェン」
「リカルド。リカルドはこの屋敷の縁の人なの?」
メリージェンが小首を傾げる。問い掛ける瞳で青年を見た。
「元の所有者の伯爵は僕の祖父だよ。最低の男でね、祖父には3人の娘がいたんだけど家が贅沢な生活のために傾いた時に、3人とも売ったのさ。僕の母親は末の娘で、まだ15歳だったのに20歳も年上の侯爵の後妻になって僕を産んだんだ。その母親が一度だけ、この屋敷の記憶を話したことがあってね。薔薇の花の中で眠る妖精を見たことがある、と。その時に願いが叶う妖精の涙の雫をもらったらしい、もう使ってしまって現物はないのだが」
青年が言葉を続ける。
「僕も見てみたいと思ってね。ほら、幽霊になったから不思議現象と近い存在になったし、見れるかもって」
メリージェンの瞳が煌めく。
「妖精!?」
胸をおさえて声を弾ませる。
「なんて素敵なのかしら。幽霊に妖精まで! ああ、でも妖精の涙の雫ならば私も持っているわ。本物かどうかはわからないけど。お父様が私とお姉様にお揃いで買って下さったの」
ほら、とメリージェンが胸元のネックレスを見せる。銀のチェーンの先には1センチほどのアクアマリンが煌めいていた。
「メリージェン、君さ、ときめくポイントが普通の令嬢と異なっているよね」
「いいのよ、お姉様といっしょだから。そうだわ。ねぇ、リカルド、お姉様にも会ってくれないかしら? きっとお姉様も大喜びするわ」
「い・や・だ。ヘンな令嬢はメリージェンひとりで十分だ」
「あら? 私ってヘンかしら?」
「ヘンで図太い」
断言するリカルドにメリージェンは、楽しげにコロコロと笑った。
「昔は令嬢として認めてもらえるように頑張っていたのよ。でも、どんなに頑張ろうとも〈枯れ葉〉と社交界で貶められるの。ある時バチンと何かが切れてしまって、自分を蔑む人たちの顔色をうかがう生活なんてバカらしくなったのよ」
「どれほど善良に生きようとも必ず誰かに妬まれたり嫌われたりするものだ、とお父様がおっしゃったの。なるほど、と思って。だったら自分を嫌っている人ではなく、自分を慈しんでくれている人を大切にする方がいいし、好きなものを好きと言える生活の方が楽しいし」
メリージェンはニコニコ笑う。
「そうしたら、こうなったのよ」
「はぁー、僕にもメリージェンくらいに柵をバチンと断ち切る強さがあったらなぁ」
「あら、リカルドったら。幽霊になっても悩み深い人なの?」
「そうなんだよ。ちょっと道理が分からない愚痴をこぼしてもいい?」
「どうぞ。幽霊の愚痴って私は興味津々だけれども、リカルドは貴族でしょう? 弱みを露呈するような愚行をしてもいいの?」
「だって、もう幽霊だし。困るのは生きている異母兄だし」
リカルドは、暗い光を宿した目を細めた。まるで深淵のような、ぽっかりと真っ暗な穴が開いたみたいな目であった。
「メリージェンこそいいのか? 持ち主の僕ですら制御できない負の感情を聞かされるのだぞ。言われて聞いてしまえば、メリージェンはそのことを考えるだろうし、他人に押しつけられた感情で悩むかも知れない」
「やだ、リカルド。死んでまで優しい人なのね」
メリージェンは溜め息をついた。
「こういう場合、惜しい人を亡くしたって言うべきなのかしら?」
「あーあ、リカルドが生きている時に会っていたならば、婚約を申し込むのに。優しいリカルドだったら、私を枯れ葉と蔑んで婚約破棄なんかしないでしょうから」
メリージェンは頬に指先を当てて首を傾げた。
「もっとも、あの婚約はお父様が元婚約者の家に貸しをつくるために仕組んだのですけどね。あちらの家の令嬢が私の事実無根の悪口を言いふらすことに立腹して。元婚約者が浮気をしなければ、たぶんハニートラップを仕掛けて婚約破棄をしていたでしょうし。あちらの家は貴族としての娘と息子の子育てに失敗して、そこをお父様に噛み千切られたのよ。オルセン家の財貨は清廉潔白なお金ばかりではないし、お父様は好機を逃がさないわ」
リカルドが肩を揺すってクックッと苦笑をもらす。
「それ、言ってはいけないことだよね?」
「そうよ、ナイショのことよ。でもリカルドは、これからもっと重大なことを私に話すのでしょう? 少しくらい等価交換をしないと。それにリカルドは他人の秘密をペラペラと喋る人ではない、と私は思うし、第一に幽霊と長々と話し込む人間なんてそうそういないわ。みんな逃げるもの」
「確かに幽霊と会話をしようだなんて少数派だよね」
納得、とリカルドは頷いた。
「僕はね、アンドリュス侯爵家の次男なんだよ。異母兄がいて、兄は先妻腹、僕は後妻腹で僕たちの仲は良くなかった。と言うか、異母兄が僕を嫌悪しているんだよ、僕が異母兄よりも優秀であるという評価が気に入らなくて」
「今までも異母兄とは色々あったけれども、今回のは酷かった。致死性の毒をもられたんだ」
メリージェンが息を呑む。
「なんてこと……っ!」
半透明のリカルドに駆け寄ってメリージェンは叫ぶように言った。
「だったら! こんな所で妖精ウンヌンなんて言っていないで、その異母兄の所へ化けて出なさいよ!」
メリージェンは拳を握った。
「演出も必要よ。そんな宝石のような綺麗な顔ではダメよ、毒ならば口から血を流して、表情も歪ませて怨み顔で!」
ふっ、とリカルドが息を吹き出す。
「怒ってくれてありがとう。異母兄の所へは行ったんだよ。両親の所にも。しかし誰も僕に気付いてくれなかった。メリージェンだけが僕を見つけてくれたんだよ」
メリージェンが眉を寄せた。
「待って。私、特殊能力なんてないわよ。幽霊だってリカルドが初めてだし。あれ、待って。そうよ、昔に読んだ本に書いてあったわ。満月の月虹の夜は摩訶不思議な現象が起こりやすい、て」
「リカルド! 今すぐにアンドリュス侯爵家に戻って! 月虹が出ている間に、その異母兄の所へ行って恐怖のどん底におとしてやるのよ!」
バタン、とメリージェンが窓を開ける。
「早くっ! もし不首尾だったら、次は私が覆面をして異母兄を闇討ちしてあげるから。でも、その時はきちんと調べるわよ。一方的に相手の言い分だけを私は信じないから。調査の上で、ちゃんと闇討ちをしてあげるわ」
「だから、たとえ月虹が消えてしまってリカルドが見えなくなっても必ず怨みを晴らしてあげるから。安心して行って」
力強く微笑むメリージェンに、リカルドは見惚れた。
「ちょっと会っただけの幽霊なのに……?」
「記念すべき初幽霊よ。いいじゃない、私がしたいからするのよ。大丈夫、絶対に身元がバレないように闇討ちをするから。オルセン家にはお金持ちの最終奥義、お金がたっぷりとありますからね」
令嬢なのに殴りに行く気がまんまんのメリージェンが可愛い。
リカルドは、指先から足先から下の先からじわじわと迫り上がってくる感情に全身が侵食されて、涙が滲みそうになった。
世界で唯一見つけてくれた。
世界で唯一味方になると言ってくれた。
メリージェンが可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い──もう手離せない。
リカルドは、ふわり、と夜空に浮かんだ。
背後には、闇と、船の指針のような星星と、天の弓のように美しい月虹。
「ありがとう、メリージェン。行ってくるよ」
「ぎゃあああぁぁッッッ!!!!」
アンドリュス侯爵家の屋敷中に響くような魂切る悲鳴があがった。
「何事だ!?」
アンドリュス侯爵が使用人を引き連れて、悲鳴の上がった部屋に突入する。そこはリカルドの異母兄の部屋であった。
部屋の中央にはアンドリュス侯爵家の長男であるリカルドの異母兄が、腰を抜かして失禁をしていた。無理もない。異母兄の前には、口から血を垂らして憎悪に充ちた表情を露にしたリカルドが立っていたのだから。
埋葬された土中から手を伸ばすように、リカルドが異母兄に触れようとする。金色のような銀色のような髪が風もないのに揺らめく。
「やめ、やめてくれッ! 助けてくれッ! ど、毒を盛って悪かったッ! 謝るから助けてくれッ!」
異母兄が頭を両手で抱きかかえて泣き叫んだ。
「解毒剤は?」
異母兄の耳元で、死体を食む虫が蠢くようにリカルドが貴族独特の美しい発音で囁く。
「あ、あるッ! あそこにッ!」
異母兄は、ベッドの隣に置かれたチェストを震える指で指差した。
リカルドと異母兄の異常な姿にあんぐりと口を開けていたアンドリュス侯爵が、ハッと我にかえってチェストに駆け寄る。
「これかっ!?」
小瓶を手にかざして大声で異母兄に振り向く。
「そ、そうです、父上……」
父親のアンドリュス侯爵に怒鳴られて、異母兄がビクビクと身を縮こめた。
「そいつを見張れ。部屋から出すな!」
使用人たちに短く命令して、あわてて部屋から走り去るアンドリュス侯爵を見送って、リカルドが冷たく血も凍るような顔で笑った。
「残念だったね。僕は瀕死の状態だけど、まだ死んでいないんだよ。生霊って本当に存在するんだね」
10日後。
メリージェンはリカルドの婚約者となっていた。
「そうなのね、リカルドは生霊だったのね。でも霊は霊だもの」
メリージェンの胸元にはアクアマリンのネックレスがなかった。
「リカルドと会った翌朝に、妖精の涙の雫が消えていたの。もしかしたら本物だったのかも。私ね、誠実な婚約者が欲しい、幽霊にも会ってみたい、と願ったのよ。全部かなったわ」
名残の銀のチェーンを手首に三重に巻いたメリージェンが微笑む。
オルセン家の薔薇の庭園にある瀟洒なガゼボでメリージェンとリカルドは、婚約者としての距離を保ちつつお茶を飲んでいた。
薔薇の華やかな香りを運ぶ風に肺が満たされる。高い空の彼方を鳥が通り過ぎていった。名前の知らない鳥の鳴き声が笛の残響のようにか細く届いた。
「リカルドが生きていて良かったわ」
「たぶん僕が生霊になれたのも死神の鎌から逃れることができたのも、メリージェンのおかげだと思う。何度でも言うよ、ありがとう」
「感謝しているから私と婚約したの?」
「まさか! メリージェンを愛しているからだよ。心臓が痛いくらいメリージェンが好きなんだ」
甘い熱を宿す双眸に見つめられてメリージェンの鼓動が早鐘を打つ。
頬を花色に染めるメリージェンの手をリカルドは優しく握った。
メリージェンの手首で細い三重の鎖が、日差しを浴びてキラキラと輝く。リカルドの目が肉食の獣のように細まった──もう決して離さない、と。
手を取られて恥ずかしそうに俯くメリージェンは気がつかない。リカルドの鋭く鈍く光る眼差しに。目を閉じて、長い金色の睫毛を持ち上げたリカルドの双眸は甘く蕩けてメリージェンだけを映す優しい眼差しだったから。
「愛しているよ、メリージェン。君は僕を生かす心臓だ」
「カルテット、4/10000。」という連載を書いています。もしお時間がありましたらよろしくお願いいたします。
読んで下さりありがとうございました。