【短編】婚約破棄のお相手は魔女
よくある婚約破棄もの、ややざまあ、悪役令嬢(仮)、恋愛要素薄めです。
書きたいところだけ書いた短編です。
「メルセデス侯爵令嬢アイリーン! 前へ!」
王国中の貴族子女が集う王立学園の卒業式典。その後に行われる記念パーティーで、めでたい席に関わらず鋭い声が響いた。
呼び立てたのはホール奥の壇上に立つ、この国の王太子フーディオ・フォルクス。彼もまたこの学園の卒業生である。
呼び立てられたのは、王国筆頭侯爵家であるメルセデス侯爵家の一人娘、アイリーン。彼女は王太子フーディオの婚約者で、同じく今日学園を卒業した一人だ。
パーティーの出席者たちが彼女に気づいて舞台までの道を開けたため、まるで花道を歩くが如く、彼女は颯爽とフーディオが見下ろすその場へ歩み出た。
「招致に参上いたしました。殿下」
言って、アイリーンは深く美しい礼をする。
「この私、『王太子』フーディオ・フォルクスは、メルセデス侯爵令嬢アイリーンとの婚姻契約を今この時をもって解消する!
お前のような恐ろしく残忍な令嬢には、のちの王妃、国母を任せられはしない! 領地へ戻り永蟄居せよ!」
アイリーンは顔を上げない。フーディオが楽にせよと言わないからである。フーディオはそれに気づかず重ねて声を上げた。
「聞いているのかアイリーン! 応えよ!」
「発言をお許しください殿下」
「許す」
「ありがとうございます。婚姻契約の解消の命、確かに承りました。しかし、本契約締結における主体は国王陛下と我が父メルセデス侯爵でございます。つきましては、御前を辞し、父へ報告に上がらせていただきたいのです」
「ならぬ」
「――なぜ、でございますか」
この間、一度としてアイリーンは顔を上げていない。フーディオはそれに気付いているのか何も言わない。周囲の子息子女たちは、めでたいパーティーの場でありながら固唾を呑んで見守るほかない。
「お前はこのまま領地へ戻り蟄居せよ。父王と侯爵には私から伝える」
「婚姻契約の解消については、確かに承りましたが、蟄居を命ぜられる理由を伝えられておりません。また、我が国において、刑罰としての永蟄居は書面にて通達されることとなっております。正式通達なく勝手に領地へ下がるわけには参りません」
アイリーンは王太子の婚約者として、王城で教育を受け、公務をいくらか担っている身である。つまり、仕事があるのに勝手にひきこもれと言われても困るのである。しかもそれは『王族の仕事』だ。
「書面も後日通達をする」
「それでは、書面が届くまではわたくしは平素と変わらぬ、ということでございますから、まずは父へ婚姻契約の解消の報告を――」
「ならぬと言っている!」
王太子が声を荒げる。
アイリーンはなお顔を上げない。
「アイリーン様! どうか罪をお認めになってください!」
そこへ、やたらと甲高い声が響いた。
舞台のすぐ下へ、何人かの男性に囲まれて、ピンクプラチナの髪をふわんふわんとたなびかせた令嬢が歩み出る。
王族と公爵令嬢の会話に割り込む令嬢の姿に、周囲の者たちはため息を吐いた。それに、彼女は気づかない。
「フー様が詳しくおっしゃらないのは温情です、どうか――これ以上、罪を重ねないでくださいませ」
「トラジェニー!」
令嬢が重ねて告げると、フーディオはひらり、と壇上から彼女の側へ飛び降りた。そして彼女――トラジェニーの肩を抱き、改めてアイリーンを見やる。
「トラジェニーの言うとおりだ。これは私の温情だった。何も言わず下がるならばまだこれ以上の恥をかかずにすんだものを」
フーディオはトラジェニーの肩を抱く手とは反対の手を額に当てると、芝居がかった様子で首を振った。それからまたアイリーンを睨むように顔を上げる。
「アイリーン! 貴様は、ヒュンディー男爵令嬢トラジェニーに、己の身分を傘に来て悪逆の限りを尽くした! 同じ学園、同じ学年で学ぶ同士でありながら、彼女を無視し、己の派閥の者たちも遠ざけ、多くの子女を招いた茶会にも呼ばず、孤立させようとしたそうではないか! 社交界の頂点に立たねばならぬ立場になろうという我が婚約者の態度として、到底認められぬものではない!
その上、彼女のそのような窮状を知った私が彼女の手助けを始めた頃より、嫉妬のあまり嫌がらせも始めただろう! 命の危険すらあったのだ! それは我が婚約者としてのみならず、人として許されることではないと知れ!」
「フー様! それ以上は! わたくしが悪いのです。貴族としての振る舞いがおぼつかないわたくしを、仲間に入れたくないのは当然のこと。ただ、その後のことは――とても怖かったです。だからせめて、謝っていただけたらとフー様にご相談したのですから」
「ああ、トラジェニー。だが、言った通り、これは人として超えてはならぬ線を超えたのだ。それはきちんと王族として示し償わせなければならない。私も公の場でこのようなことはしたくなかったが、こらえてくれ」
「フー様!」
周囲の子女たちは冷めた目でこの二人と、その取り巻き――王太子フーディオの側近候補たちだ――を見つめている。
というのも。
トラジェニーの言う通り、マナーのおぼつかない彼女は、現状、学内で子女たちが主催する多くの茶会に招待されなくなっている。というのも、最初のうちは呼ばれていたのだが、最初の1、2回はいざしらず、指摘されてもマナーが改善されることがなかったからである。スプーンを舐めない、というただそれだけのことすら守らなかったのである。
指摘されても「だってもったいないじゃないですか」「下町ではみんなこうしていました」といって聞かない。もともとマナーの実践の場、茶会主催の練習の場として開かれる学内の子女主催の茶会でそのような『改善する気のない』客を招かなくなっていくのも当然のことだった。その上、『全員を招く』という前提で開かれ、招かれた茶会でも、やれ菓子が少ない、もてなしが足りないとばかり言う。更には己で開催することで返礼するということもない。
王太子フーディオが関わるようになってからは、彼が主催する茶会と、彼がねじ込んだ茶会に、彼に伴われて出席するが、主催への挨拶もおざなりで、まるでフーディオとのデートで茶店にやってきたかのような振る舞いをするので、『呼ばされた』側も『同じ会に呼ばれたほかの子女』たちも、ほとほと疲れる、という有様なのだった。
フーディオはフーディオで、貴族らしからぬ気安さで己を呼び、頼り、甘えてくるトラジェニーの『女の仕草』に、あっさりと取り巻きごと陥落しており、トラジェニーを諫めることはなかった。むしろ、皆これくらい可愛げを持てばよいのにくらいに思っている。
なので、トラジェニーが必要以外で遠巻きにされるのは、ある意味自然の流れだった。
それでも、アイリーンは折りに触れ、トラジェニーにマナーを守ること、貞淑であることを解いてきた。
が。結果がこれである。結果にすらなっていないとも言う。
「発言を、許していただけますか」
礼の姿勢を崩さず、ピクリとも震えぬまま、アイリーンが告げた。
いい加減姿勢を楽にさせて上げてくれと周囲は思うけれど、王太子たちは何も言わないままだ。
「まだなにかあるか。お前の罪は明確ではないか」
フーディオがそう問えば、アイリーンは礼をして隠れている口元に、しっかりと笑みを浮かべる。
「婚姻契約の解消はお伝えしました通り承りました。学内の茶会や人間関係に関しましては、私の不徳の致すところもあったかと思われますが、あくまでも『人間関係』の範疇。蟄居となる理由とはなりません。
嫉妬のあまりの嫌がらせ、命の危険、に関しましては――わたくし、事実無根である証拠を持っております。こちらを披露させていただきたいと思いますので、姿勢を正させていただいてよろしいでしょうか」
――事実無根の証拠がある。
そのセリフに、フーディオは目を丸くし、トラジェニーは息を呑んだ。
よくある話、それはトラジェニーの狂言だ。証拠などあるわけもない。トラジェニーは状況証拠と口八丁手八丁、ついでに涙と己の胸囲の柔らかさで持ってフーディオを押し切ったに過ぎない。フーディオは真面目で頭は悪くないのだが、直情的でわかりやすく、そして『うぶ』だった。
もともと下町で平民ぐらしをしており、母と一度関係があったと言うだけでヒュンディー男爵家に庶子として引き取られたトラジェニーにしてみれば、ちょろいとしか言いようのない相手だった。少し過剰に触れるだけ。潤んだ目で見上げて、胸元を押し付けるだけ。それから「本当はあなたのことを――」と結びを口にしないまま見つめるだけ。たったそれだけだ。
だから今回だって、状況証拠と王子様の権威で謝らせてトラジェニーが王子の婚約者として玉の輿に乗れればそれで良かった。
だが。
証拠があり、トラジェニーこそが悪役にされると言うなら話が違う。
「フー様!」
止めようとしても直情的で単純な王子は止まらない。
「よかろう! 見せてみるがいい。捏造であれば罪が増すだけだからな!」
「ありがとう存じます!」
アイリーンは言って素早く立ち上がり姿勢を正した。
翻りたなびく黒い髪が真紅のドレスに際立つ。赤い唇は美しく笑みを描いている。
「では皆様、このめでたき場をお騒がせしたお詫び。茶番の総仕舞としてどうぞご笑覧くださいませ!
まず第一に、我がメルセデス侯爵家は代々魔力、魔導具、魔法、魔術、そういった超常のものをもって王家にお仕えする一門でございます。ですから、わたくし自身も、己の行動を記録する魔導具は常に身につけてございます。そしてそれは、『改変不可』の制約を持って、『王家の情報部』に共有されてございます。わたくしはこちらのペンダント。殿下も同じ作用のものを付けてらっしゃいますね?」
「何?」
「今そのお胸に輝く、王太子の証、外すことの許されない徽章でございます」
「!」
「私の記録、そして殿下の記録、その両方と、トラジェニー様がいつ命の危険にあったかがわかれば、少なくとも『わたくしがそれをなしたのか』は明確に否定されます」
「お前が魔術で行ったのだろう!」
「そんな繊細な魔力制御、私にできるとお思いですか」
「は?」
「メルセデス侯爵家の者たちは一人一芸です。魔導具に詳しいのは伯父ですし、暗殺のようなことに詳しいのは今は王家の暗部に所属する――続き柄は控えさせていただきますが、その者です。私の一芸は、『広域殲滅』。それもあって、殿下との婚姻契約が結ばれたことを、お忘れですか?」
「こういき、せんめつ……?」
「はい。先般、隣国との戦争が隣国の王都消滅で終結いたしましたが」
「まさか」
「はい。わたくしです。公務で隣国へ参ります、とお伝えしましたときに、戦争の心配もしていただけず、『私の経歴に傷をつけるな』と仰せになったときでございますね」
「……あのときは既に終わっていたのではなかったか?」
「まさかまさか! 我軍はいよいよ防衛線を守りきれぬ可能性があり、わたくしが呼ばれたのでございます。『このまま滅ぼされるくらいならば』と陛下のご下知でございます」
「そのようなはずがない!」
少し震える声でフーディオが言い募る。
アイリーンは美しくわらう。
「まあ。一介の令嬢に大量虐殺をさせておいてそこまで否定なさるのですか?」
「魔女め! 仮にトラジェニーの言うことが方便であったとしても! お前のなしたことは王太子妃にふさわしいものではないわ!」
「まあ。民を守るために戦うことが! 王太子妃のすることではないとおっしゃる!」
「そういうことではない! それに胸を痛めぬ有り様が」
「ふふっ。わたくしの心根が欠陥だらけであろうとおっしゃるならばそうでしょう。だって今、ここを起点に魔法を使いたくて仕方がありませんもの!」
「――!?」
「ええ、永蟄居。書面でいただけるならば承知いたしましょう。でもわたくし、実は先日の殲滅戦で少し、技術が上がったようなのです」
「…………」
聞きたくないと思いながら、フーディオはアイリーンを見返すほかない。
アイリーンはそれは美しく嗤う。
「領地からこちらの王城くらいまでなら、遠隔で滅ぼせそうなのです。ねえ、殿下。わたくしの一芸をご存知で、先日の殲滅戦をご理解いただけているわけですから、試せ、とお命じくださいますわよね?」