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これは『僕』の物語

あの、夏の日に――。

作者: イトウ モリ

一年前に投稿した短編、【あの日の夏祭り】から生まれた、もう一つの夏の物語です。


「おい、お前の担当の――小山田(おやまだ)繁臣(しげみ)。また()()()()ぞ」

 同僚の田山が俺の肩を叩く。


 小山田繁臣(おやまだしげみ)――。

 その名前を聞いた瞬間、俺はこみ上げてくる不快感が抑えられなかった。


 ……またか。くそ、性懲(しょうこ)りもなく……!


「はは、その眉間のシワ……。真面目だなぁ」


 俺の顔を見た田山が苦笑いする。


「真面目でも真面目じゃなくても、この案件は誰だって嫌な気分になる」


「そうかぁ? お前は正義感が強いからなぁ。胃に穴が開くぜ?」


「余計なお世話だ」


 席を立った俺を、田山が茶化す。


「おっと、トイレかい?」


「……小山田のところに行ってくる」


「真面目だなぁ。あんまり熱くなんなよ。ただでさえ猛暑だ、溶けるぜぃ?」


 ニヤニヤしながら自分を見送る田山に背を向け、俺は小山田のアパートに向かった。




 小山田繫臣は不在だった。


 小山田繁臣。56歳。職業、中学生教諭。

 勤務先、N市立М中学校。3年3組担任。25年前に離婚して以降独身。


 今は夏休み中だが、教師というのは基本的に生徒が休みであろうと、学校で仕事をしているらしい。


 小山田繁臣が児童ポルノ禁止法抵触の疑いで、警察に情報提供されるのは、今回が初めてではない。


 小山田と会い、話をするたびにいつも怒りとむなしさを覚える自分がいる。


 人の残酷さ。

 想像力のなさ。

 人を傷つけることへの無自覚さ。


 人間はいつからこんなに、自分の頭で考えることを放棄してしまったんだろうか。


 理性は? 脳みそは? 頭の中には一体なにをしまってるんだ?


 俺が守る価値のある人間は、今この世の中にどれくらいいるんだ?

 もしかしたら、そんなのは、もういないのか?


 そんな葛藤を、むりやり頭の外に追いやる。


 自分は警察だ。


 自分の私情は切り離さなければ。

 自分はただ、振り分けられた仕事をこなすだけだ。


 そう自分に言い聞かせていても、割り切れないものがあった。





 小山田繫臣のアパートにほど近いファミレスに入った。

 3杯目のコーヒーを飲み終わる頃、ガラス張りの壁から小山田が帰宅する姿が見えた。


 手にはスーパーの袋。帰宅で間違いなさそうだ。


 清算を済ませ、あとを追いかけた。後ろから静かに声をかける。


「小山田さん……お久しぶりです」


 ふり返った小山田繁臣は疲れた表情をしていた。


 中肉中背というよりは、やや太めの体型。黒縁眼鏡のガラス面は汚れで曇っている。グレーのシャツには汗染みがくっきりと浮き出ていた。


「ああ、もしかして、お待たせしてましたか。暑いなか、お仕事ご苦労様です。僕に御用(ごよう)ですね?」


 くたびれた笑顔を俺に向けた。


 その笑顔を見て、ますます怒りがこみあげる。


 田山が笑いながら、『眉間のシワ』と言っていたのを思い出した。あわてて、シワが寄っていないか確認する。

 冷房の効いたファミレスから出たばかりだというのに、額にはすでに汗がにじんでいた。


 自分にも()()()と同じ年頃の子供がいるからかもしれない。

 つい感情的になってしまうようだ。


 どうぞ、と小山田は俺をアパートに招いた。


 小山田繫臣の部屋はワンルーム、築40年のアパートの角部屋だ。ここに訪れるのは5回目になる。


 ちゃぶ台の前に腰を下ろした。目の前には、水着を着た幼い少女の写真――。


 俺は直視できず、目を背けた。


 ――やりきれなさに、歯を食いしばる。


「また、通報されましたか」


 小山田は通報という表現を使ったが、正確にはあくまでも情報提供だ。


 児童ポルノ・ホットライン――。


 今回も非通知電話による情報提供だった。


 小山田はエアコンの風量を強めに設定すると、俺に向かって苦笑いした。


「自分のクラスの生徒が、風紀の良くないところで、怪しそうな男性と連れ立ってるのを見かけてしまって、つい声をかけたんですよ。

 お相手の方は、僕とそんなに変わらないくらいの、オジサンなんですよね。

 自分を大切にしなさいって注意をしたんですけど、僕に言われても……って感じだったんでしょうね。

 あんまり反省してる感じではありませんでした。

 ……それででしょうかね」


 なんでもないことのように小山田は苦笑した。



 ――――そんなことくらいで……っ。



 俺はまた、怒りで胃がキリキリしてきた。


 つまりは腹いせか。自分が不愉快になった腹いせにこんなことをしたってわけか……!


「……どうして本当のことを言わないんですか」


 俺は我慢できずに問い詰めた。怒りで声が震えていたのが自分でも分かった。


「言ってますよ……毎年。年度末、終業式の日になると……」


 小山田繁臣は、穏やかに目を細め、俺にアイスコーヒーを出してくれた。一緒に紙パックの牛乳も置いてくれる。

 俺の胃を気遣ってのことだ。


 いつ話したかも分からないことを、この人は覚えていてくれている。


「じゃあどうして……!」


 自分の声が思ったよりも大きくなってしまった。ボリュームを落として、改めて問いかけた。


「じゃあどうして、こんな嫌がらせみたいな通報を受けるんですか? 分かっててやってるんだとしたら、本当に悪質だ」


【N市立М中学校。3年3組担任、小山田繫臣は児ポルの常習犯だ。やつはいつも4,5歳のこどもの水着の写真を持ち歩いている変態だ。早く逮捕しろ】


 そんな密告が起きる。無実の人に向かって――。


 俺はちゃぶ台の写真を見た。

 涙がにじみそうになるのを、歯を食いしばってこらえる。


 この子が……小山田さんにとってどういう存在なのか……! そんなことも考えずにこんな残酷なことをするなんて……!


「罰なんですよ、刑事さん」


 小山田さんは言った。


「これは娘を死なせてしまった僕の罰なんです。

 この写真を持ち歩くことも、この写真であらぬ誤解を受けようとも、これは僕の罰なんです。

 だから……いいんですよ」


 小山田さつきちゃん。享年5歳。

 8月に海の事故で亡くなった。


 ちゃぶ台の上にある写真は、事故直前に小山田さんが撮った、さつきちゃんの最後の写真だった。


「浅いから。他に友達もいるから。他にも大人がいるから。そんな言い訳をして……さつきから目を離した僕が全部悪いんです。

 僕はずるいんです。こうやって中傷をされて……どこか安心してるんです。

 誰かに罰を与えられないと、自分が許せなくて、どうにかなってしまいそうなんです。

 でも、僕のわがままで生徒たちを巻き込んではいけない。だから僕はいつも、年度末の日に伝えるんです。『君たちが僕をロリコンの変態だと噂しているのは知っている。

 だけどね、噂の原因になっている、僕が持ち歩いている写真は、娘の写真なんだ。これ以上、成長した写真は、もうないんだって。僕だって成長した娘の写真を持ち歩きたかった』って……」


 この人は、毎年そんな辛いことを生徒に話している。

 なのに、どうしてこんな嫌がらせのような通報が――。


「僕のことをロリコンや変態と率先してふざけていた生徒たちは、現実が受け入れられないようですね。僕の作り話だって言って、まともに相手にしてくれません。

 なかには顔色を変えて、謝罪にくる生徒もいるにはいましたが――。

 でもね、真実って広がらないんですよね。世の中は、いつだって()け口を探しているんです。

 暴言を浴びせてもいい相手。自分に歯向かってこない社会的に弱い立場の相手。失敗をした人――たとえば犯罪者なんか典型的です。そういう相手を、多くの人たちは探してるんですよね。

 僕は格好のターゲットなんだと思います。

 でもね、お互い様なんですよ。僕も、自分のためにその立場に甘んじてるんです。自分のために……。言い訳のために……。

 だからね、刑事さん。良いんですよ、僕のことで腹を立てなくても」


 優しくなだめられて、自問する。


 俺はこの人が疑われたことに腹を立てていたのか?


 もしかしたら、俺も……自分の正義感をぶつける相手を探していただけなのか……?


 この人の受ける社会的なダメージを何も考えず、ただ嫌がらせがしたいがために嘘の通報をする生徒たちが許せない。

 そんなふざけたガキどもに、大人をなめるなと制裁をくわえたい気持ちがあったことを思い知らされた。


 ……ただの鬱憤ばらしだ。


 自分だけが安全な場所にいて、弱者を虐げようとする奴らと同じ思考だ。歪んだ正義だ。


 ……俺も、同じか……。


「刑事さんのお仕事で必要ならどうぞ。パソコンも持っていかれますか?」


 証拠品の押収のことを言っているのだろう。過去には押収したこともあった。疑って、決めつけてしまったこともあった。

 

「いえ、今日はなんの権限も持たずに来てしまったので……」


 本来なら家宅捜索もできないので、家に上がらせてもらうことだってできないのである。


 それでも、こんな……何回か会っただけの、それも過去に自分に疑いをかけた警察を、家に通してくれて、コーヒーまで出してしまう。


 それが小山田さんの人柄なのだろう。


「もしかして、ご心配をおかけしてしまいましたか? お忙しいのに、気にかけていただいてすみません」


 小山田さんが俺に頭を下げる。


 心配したんじゃない。

 ふざけた真似をするガキどもに無実の証拠を突きつけて、ふざけんなと言って黙らせてやりたかった。


 自分の暴走した正義感で突っ走っただけだった。


 いたたまれなくなる。

 

「いや、あの……出過ぎたことを……」


「いえ、ありがとうございます。でも、刑事さんもご家族がいらっしゃるんでしょう? 待ってるんじゃないですか?」


 小山田さんが時計に目をやる。時刻は午後7時20分だった。


 息子も娘も生意気ざかりで、親の言うことなんか聞かなくなってしまった。


 イライラして家族に当たり散らすのが嫌で、最近は残業にかこつけて、家族となるべく顔を合わさないで済む時間に帰るようになっていた。


「……どうでしょうかね」

 俺は適当にはぐらかそうとした。


「家族の時間は、とれるのであればとった方がいいと思います。いつか、嫌でも離れてしまうものですから……」


 小山田さんの言葉は、とても重かった。


「……肝に、銘じます。あと、コーヒーごちそうさまでした」


 俺はそう言うと、アイスコーヒーを飲み干して、小山田さんのアパートをあとにした。





 家に帰ると、さっそく息子が嫌な顔をした。


「げー! なんだよ親父! 帰ってくんの早すぎだろ! 最悪だろ!」


「その言い方はなんだ! 誰のおかげで……!」


 そこまで言いかけて口を閉じた。続きに出そうだった言葉を飲み込み、別の言葉に変更する。


「……母さん、夕飯がまだならせっかくだし、みんなで外で食べないか?」


「はあ!? ふざけんなよ! この歳になって家族でメシなんてだっさ! たまに帰ったときばっか父親ヅラしやがって! はいはい家族サービスですかー? ご立派ですねー!」


 息子が露骨に嫌そうな顔をする。

 落ち着け俺。ここで相手の土俵に乗ったら負けだ。大人になれ俺。


 妻は夕食の準備が遅くなっていたらしく、ほっとした表情を見せた。


「……場所による」

 やり取りを聞いていた娘が、探るような表情で部屋から出てきた。


 俺はとっておきの切り札を出す。


「焼肉だ。……どうする? 嫌ならお前たちは家でカップ麺だ。俺は母さんと二人で食事に行く」


「……ちっ! しょうがねえから行ってやっか!」


「……ケーキがおいしいところなら行く……」


 あっさり釣れる。俺は心の中でガッツポーズを取った。

 所詮は10代。肉を食わせておけばいいという俺の読みは当たった。

 バイキングで機嫌が取れるなら安いもんだ。


「たまには親父が早く帰ってくんのも悪くねえな! ま、月イチぐらいでいいけどな!」


「……説教臭くなければ……」


 可愛げのないことを言っているのは、聞こえなかったことにしておく。


 いつもならここで口喧嘩になってしまう。


 ふと、思い出した。


 そういえば、小山田さんと会った日は、いつも家族で食事に出かけているような気がする。


 きっと明日になれば、また憎まれ口の叩き合いで、お互いがストレスになるような毎日が始まるのだろう。


 小山田さんと会った日だけは、家族に優しくしようという気持ちになる。



 本当であれば、毎日おだやかに、お互いが優しさを持って接していきたいけれど――。


 毎日顔を合わせていると、衝突することばかりだ。



 けれど――。


 毎日顔を合わせることができる。


 その大切さを、忘れてはいけないのだ。


 俺は小山田さんと会うたびに、そのことを思い知らされる。

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