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「ねえ、翼。この土日って何をしていたの?」
昼食を終えて庭園近くで彩葉と話していると、突然そんなことを言い出した。渚にいたことは知っているはずなので、そこで何をしていたのか気になるのも仕方ないだろう。
とはいえ、何と答えるべきか。
「そうですね。特に変わったことはしてませんけど…」
「あら、それじゃあゆっくり羽を伸ばせたのね」
その割には、と彩葉が悪い笑みを浮かべる。やはり気付かれたいたらしい。
「すみません。実は結構疲れが溜まっているみたいで」
「そうらしいわね。でも、授業中に寝るのはやめてちょうだい。主人である私の立場が悪くなるわ」
彩葉の表情は怒っているというよりも、心配そうにこちらを覗き込んでいるようだ。授業中に寝ることを非難したいのではなく、体調管理に対して言っているのだろう。
「あまり無理はしないように。何度も言っているけれど、私はそんなに甲斐甲斐しく世話をされたい人間じゃないの。だから、あなたはあなたを大切にして。私はあなたの主人だけど、あなたは私の大切な友人よ」
手を包むように握り締められる。暖かく柔らかなその感触が心地よい。心まで疲れていたら、以前から気になっていたことも吹き飛んでしまうところだった。
「あ、あの。彩葉様」
話を全く別のものに変えてしまうことを申し訳なく思いつつ、切り出す。緊張で少し声が震えてしまった。
「ど、どうしたの急に」
それが彩葉にも伝わったようで、居住まいを正してこちらに体を向ける。
声に出そうとするも口がパクパクと動くだけで言葉が出てこない。流石に性急すぎたのか、体と心の間に大きな乖離が生まれていた。
「だ、大丈夫?どこか調子悪い?」
心配そうにこちらの顔に差し伸べる手を掴んで彩葉の膝下に押し付ける。
「こ、今夜…。少しお時間をいただけませんか?お話したいことがあって…」
握りしめた手を見つめて話す。返事がないことを不審に思って顔を上げると、そこには彩葉がいた。
いや、彩葉がいるのは当たり前だ。握りしめている手は彩葉のものだし、さっきからずっと彩葉と話しているのだ。彩葉以外だったら困る。彩葉の顔が真っ赤なのだ。そう感じたはずなのに、感情が迷子になっていたらしい。
「え、えっ?あの、そ、それって…」
開いた口が塞がらない様子の彩葉を見つめる。自分は本気なのだと、伝えるように。
「こ、こくは…。え?」
あまりに大慌てする彩葉を見て少しずつ緊張感が溶けていく。そうすると、自分の状況が客観的に見えてきた。
明らかにこれから告白する、といった場面、体勢だ。
「あ、えっと、いや!ち、違うんです!違わないんですけど!あ、あれ?えっと、あの。つまり!少し彩葉様にお話したいことがあって。質問、というか。こっちに来てから気になっていることというか…」
握っていた手を離して、手を大きく振りながら誤魔化すように説明する。自分のことながら何に焦っているのかもよく分からなかった。
「くすっ。うふふふ、あはははは!もう、翼、そんなに焦らなくたって大丈夫よ!」
先程までの真っ赤な顔はどこへやら、口元を押さえて、肩を震わせていた。
「はあ、笑った笑った。全く、翼があんなに焦るから。私が恥ずかしがっている方が可笑しくなっちゃったじゃない」
肩を震わせて笑う彩葉を見て、強張って体から力が抜けていく。意図していたかは分からないが、緊張も解けた。
「それで、私に話があるのよね。今だと駄目な用事?」
「少し、長い話になるかもしれませんから。落ち着いて話せる方が良いかと思いまして」
しばらく彩葉の笑いが続いたが、紅茶を飲んでようやく落ち着いたらしく、自ら話を戻してきた。正直、また後で話すというのも今から緊張感が高まっていくだけであるが、心構えもしておく必要がある。個人的にはその意味が強い。今のうちから宣言しておいた方が、逃げ道もなくなるというものだ。
「そう。分かったわ。でも、翼。あなた、ちゃんと同じ班の人と交流してる?まだこっちに来たばかりなのに、先週はほとんど朔耶と一緒だったらしいし。私とは関係ない人間関係もちゃんと作っておいた方がいいわよ」
「は、はい。それはそうなんですけど…」
この手の話はどうしても歯切れが悪くなってしまう。自分はあくまで皆を騙している存在であって、この学園を去れば存在ごとなくなる。だからこそ、あまり学園のことや人間関係に積極的になれない。なくしたはずの逃げ道をもう一度作りたくなる。相変わらず、自分の煮え切らない性格は治っていないらしい。
「まあ、あなたがあまり社交的じゃないことは知っているけれど。あなたは私の従者ではあるけれど、あなたはそれだけの人間ではないの。ちゃんと自分の生活があって、その中で人間関係を築いていかないと」
「分かってはいるんですけど…」
あまりにも歯切れが悪いことに何かを察したのか、彩葉はそれ以上追及してこなかった。ただ、自分への不信感は間違いなく募っているだろう。今日は仕方ないとしても、集団生活の中にいることを忘れてはならない。
「少し、努力してみます」
「ええ。それが良いわ」
紅茶に口をつけていた彩葉が気のない返事を返す。機嫌が悪いというよりも、ようやく分かってくれたのかという呆れに近いように感じた。
◆◆◆
階段を登る足音が二つ。目指す先は扉の前。流石に屋上には入れないので、その扉の前までだ。
「別に見られて困るようなことではないんだけど」
最後の階段を先に登り終えた朔耶がこちらを向いて不満を漏らす。お礼をと呼び出された場所は土曜日に話した場所と同じだった。前回はそのせいで余計な追求を受けたため、場所を変えようと提案したのだ。
「朔耶ちゃんは有名人だから分からないだろうけど、一緒にいる人は結構視線が気になるんです」
「有名人って…。特待生で渚の御令嬢の従者も相当な有名人のはずだけど?」
「え、そうなの?」
「はあ。翼、ちゃんと色んな人とコミュニケーションをとっている?」
突然、朔耶から言われて思わず体が固まってしまう。朔耶からも同じことを言われるとは思っていなかったため、思わずたじろいでしまう。自分が有名人であるということも驚きではあるが理由を聞けばそれは納得がいく。
「う…。いや、正直全然です」
「はあ。私の言葉で変に警戒しているのかもしれないけれど、この学園で一人でいるのは難しいの。彩葉だって、あなたには交友関係が狭いように見えるかもしれないけれど、あれはあれで顔が広いのよ」
正直、彩葉の交友関係はあまり広くないと思っていた。財閥の令嬢というだけで、多くの人は二種類に分かれる。自分の欲望のために近付こうとする者。もしくは、その威光に畏れ近付こうとしない者。自分達従者や他の財閥の人間であれば別だが、実際そのどちらかになる人が多い。
「今日、同じことを彩葉様にも言われたよ…。やっぱり、同じ班の人とぐらいは交流があった方がいいよね」
「翼…。あなた、それすらしていなかったの。はあ…。あなたは私のことで誤解してそうだから言っておくけれど、私にも友人と呼べる人はいるから。全く、あなたのところは有名人揃いなんだから大事にしておいた方が良いわよ」
「え、そうなの?」
言った瞬間、こちらを見る朔耶の視線に呆れだけでなく軽蔑に似たものを感じた。勿論、自己紹介はされているわけで。モニカが女優、淑がアイドルであるということは知っている。普段からそういった職種の人が出てくるような番組は見ないため、どれぐらいの人かは知らないが。
「本当に、あなたは…。今週。土曜日空けておいて。ちゃんと学園のこと説明してあげる。あなたがどんな世界にいるのかを」
「は、はい」
とりあえず、今日から交流を深めようと誓った。