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「翼、明日は買い物に行くわよ」


明日は学園に来てから初めての週末。実際に数日生活してみて不便を感じることもあったので、その誘いは好都合だ。渚家で働いていた時にはあった休日も、彩葉付きの従者が自分しかいない以上は返上せざるを得ない。


「はい。かしこまりました。何時頃に出発いたしましょうか」


「お昼前ぐらいに寮を出ましょうか。正確に時間を決めるのも面倒だから、私から迎えに行くわ」


「かしこまりました。朝食はどうしましょう。休日は食堂も開いていないそうですから、何か用意してお持ちしましょうか」


食堂で明日の予定を決める。メイド服を着ての生活を始めてからは19時までを業務時間とし、その間はメイド服を着用して生活している。最初は好奇の視線が気になっていたが、常に彩葉の傍にいることもあって周囲の興味はすぐに落ち着いた。女装をしている以上、多くの視線に晒されるのは避けたいことに変わりはない。しかし、日々彩葉と会話をしていても感付かれる様子はない。放課後は同じ班の恩や奏たちと談笑しているが、それも同様。客観的に見て紛れもなく女子になっているという、持ちたくもない自信が早くもついてきた。


「必要ないわ…と言いたいところだけど、食べないとあなたに叱られそうだから戴くことにするわ」


「それでは、9時頃に来ていただいてもよろしいでしょうか。彩葉様の部屋には食器すら満足にありませんでしたから。というか、今までどうやって…」


「あーあー。翼のお小言なんて聞きたくありませーん」


最初は緊張もあって他人行儀にしか話すことが出来なかったが、彩葉のコミュニケーション能力の助けもあって、親しくなれたように感じる。


「彩葉様…」


分かりやすく呆れて見せると、彩葉が朗らかな笑みを浮かべる。


「はいはい。分かってるわよ。お父様があなたを寄越したのはそういう理由もあるんでしょ」


「自分でできるようになってほしいと仰っていましたが」


「私はそっちの方向に能力を割り振っていないの。ほら、私って勉学と藝術の天才なんて言われているじゃない?学園では才女なのよ」


彩葉が手を腰に当てておどけたようにウインクをして見せる。相変わらず魅力的な笑顔だった。


「その才能を理数科目にも適用していただけると私も助かるんですが。どうして行列はできるのに図形問題が解けないんですか」


「そもそも興味が出ないのよねえ」


「はあ…」


急に真顔になって切り返す彩葉に、溜息を零す以外の反応を返せなかった。


「ほら、お小言もそれぐらいになさい。週末なんだし今日はゆっくり羽を休めなさい。明日のことだけは忘れないでね」


「かしこまりました。それでは、お言葉に甘えて私は先に失礼しますね」


「ええ、おやすみなさい」


彩葉なりに気を遣ってくれたのか、今日は幾分早く業務終了となった。


部屋に戻りコンピュータを起動する。以前に週次報告で使ったノート式ではなく、実家に置いていたデスクトップ式のものだ。女の子にとってはそうでもないのかもしれないが、この学園には娯楽が少なすぎる。確かに、料理やお菓子作りも趣味の一つであるが、そればかりやっているということでもない。

つまり、ゲームがしたいのだ。


今日は中学生時代の友人に誘われていた。

その後数時間に渡り、友人たちとのゲームに時間を費やした。途中で恩から声を掛けられたが、今日は友達との約束があるから、と断りをいれた。


「二人と喋ってる時の声、いつも通りだった、よね?」


男二人と喋っていたのだ。声音も学園に来てからのものとは違ったかもしれない。恩に違和感を与えていなければ良いが。


「明日以降、ちょっと探ってみた方がいいかもしれない」


二人との通話を終えたのは日付が変わる頃。二人はまだ続けているようだったが、明日は彩葉との用事がある。従者として、主人との約束を違えるわけにはいかない。


翌朝、鼻歌交じりに朝食の準備をする。学園に来てから、お菓子作りのためにキッチンは何度か使用しているため既に無駄は少ない。


「こういう時は、自分の体質に感謝だよね」


体質と言っても特殊なものではい。ただ、目覚めてからすぐに活動を始められるだけだ。


「これも御供の教育なのかな。でも、母さんはそんなことなかったし…。まあいっか」


独り言を呟きながら着々と料理を仕上げていく。料理については本職ではないため、学園の食堂や渚の家で出されるようなものに比べるとどうしても見劣りしてしまう。そう考えると少し気分も暗くなるが、本職と比べることがそもそも間違っている。


「料理ねえ。そういえば、梨胡さんに誘われてたっけ。彩葉様に相談してみようかな。料理も上手くなっておきたいし」


彩葉付きのメイドとしてこの先数年を過ごすならば、彩葉に食事を出す機会も多くなる。料理の腕は磨いておいて損はないだろう。


「さて、と。そろそろ彩葉様が来る頃かな。あとはお吸い物を暖め直して、と」


丁度そのタイミングでドアが叩かれる音がした。


「翼ー?入ってもいいかしら」


どうやらちゃんと起きてきてくれたらしい。火力を落として扉の方へと向かう。


「はい、すぐに開けますね。っと、お待たせしました。おはようございます、彩葉様」


「ええ、おはよう翼。あら、可愛い格好しているのね。メイドさんっていうよりは新妻って感じだけど」


今日はメイド服ではなく私服での外出のため身に着けているのはメイド服ではなくエプロン。着ている服はフレアラインが特徴的な黒色のワンピース。彩葉の言う通り、これでは確かに新妻かもしれない。


「私、スカートはあまり得意ではないんですけど…。家を出るとき母に言われて仕方なく…。あの、似合ってませんよね、着替えてきます!」


彩葉の視線に恥ずかしくなって身をよじる。スカートの裾から僅かに覗く肌すら恥ずかしく感じる。制服やメイド服を着ている時とはまた違う恥ずかしさでいっぱいになる。


「ちょっと翼!あなたの部屋はここでしょう。着替えるとしてもどこへ行くのよ…。それに!さっきも言ったでしょ、とっても可愛いわ」


出ていこうとした手を柔らかい感触に包まれる。彩葉の暖かな手の感触で心が平静を取り戻す。改めて自分の突飛な行動を恥じたが、やってしまったことはどうしようもない。穴があったら入りたくなる気持ちを抑えて朝食の準備に戻った。


「ご馳走様。美味しかったわ。あなた、大抵のことは得意よね、尊敬する」


食後のお茶に喉を潤わせて再度彩葉が口を開く。


「これで本人も堂々としていたらどれだけ良かったか…」


一瞬、今日の予定についてかと思ったがそんなことはなく。


「あはは…。堂々と、ですか」


「そう。別に難しいことじゃないのよ。自分に少し優しくしてあげればいいの。控えめなのはあなたの美点だけれど、時には前に出ないと周囲の不協を買うことになるわ。と、いうことで」


彩葉の持っていた湯呑みが軽く鳴る。陶器の冷たい音が少し心地よかった。


「今日一日、ちょっと練習してみましょうか」


「練習…ですか?」


言っている意味がよく分からず、オウム返しをする。練習と言われても何を練習するのか。そもそも彩葉が挙げている問題点はメンタル面の話。簡単に改善できるような課題ではない。


「そう。私が言いたいあなたの課題はその自信のなさ。だからそこを改善できればもっと素敵な女の子になれると思うの」


「おんな、の、こ…」


絶望したような声と表情が伝わってしまったのか、彩葉が怪訝な表情をする。軽率な行動だったかと、すぐさま訂正する。


「あ、いえっ。えーと、その…」


「そうっ!そういうところが駄目なの。メイドとして一歩引いているのは良いことかもしれないけど、あなたの場合引きすぎ。葵さんを見習いなさい」


しどろもどろになる姿に、強く人差し指を突き付けられる。確かに、当主である寛和に文句を言う葵の姿は他の家の従者ですら知っている程に有名だ。しかし、あれに関しては寛和と葵の長い関係値に起因することが多い。対して自分はまだ新米のメイド。彩葉との関係も深いものとは言い切れない。


「で、ですが、私はまだ…」


「言い訳は禁止。今日はあなたに自信を付けさせてあげる。否が応にでも、ね」


彩葉が悪戯っぽい笑みを浮かべる。元々の予定がどうだったかは不明だが、今日の外出は少しハードなものになるような予感だけはあった。


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