堕ちた聖女の処刑
フェレティング・ポクリクペリ公爵令嬢は「王太子の婚約者でありながら、戦場の最前線を転々とするも何の務めも果たさず男漁りにうつつを抜かした」として、姦通罪で処刑されることとなった。
まだ婚約式すら執り行っていない婚約者に対して姦通罪が適用されるのは異例中の異例で、法的に正当化できる要素はどこにもなかったが、王太子が姦通罪が適用できないなら国家反逆罪に問うと頑迷に主張して法を捻じ曲げたのだ。
裁判は行われたものの形式的なものにすぎず、不貞を示す証拠は何一つ提示されなかった。被告人は当然ながら最初の答弁で「身に覚えが全くない」「戦場の現実を考えてあり得ない」と主張し、証拠を要求した。
しかし「被告人の語る戦場の有様は全くの捏造で、戦場では充分な補給を受けた兵士が安全にかつ快適に生活していた」「被告人が男遊びにうつつを抜かしていたとする証言が多数ある」と王太子の代理人が指摘すると、軽く鼻で笑って「お話になりませんね」と皮肉気に言ったきり口を噤んでしまったのだ。結局、写真などの物的証拠は何一つ提出されず、実際に「不貞を目撃した」もしくは「自分が不貞の相手になった」という人物が証言台に立つことも最後までなかった。
刑が確定する前から、新聞各社では連日のように「戦場の聖女」と呼ばれたフェレティング嬢の「男性遍歴」の数々がポルノもかくやと言わんばかりの生々しさで1面を飾った。それらの「証言」にはフェレティング嬢とのめくるめく快楽の日々を語った「兵士」たちの実名も載っていたが、同じ部隊に所属していたはずの者は誰一人としてその「証人」に会った記憶はなかった。
にもかかわらず、多くの者が「堕ちた聖女」の醜聞を面白おかしく語っては、「従軍した女たちは皆ふしだらな淫売ばかりで、まともな男に相手にされないから男漁りのために戦場に行ったのだ」としたり顔で笑いあった。国家的英雄として讃えられた高貴な女性の転落は、戦乱と貧困で心が荒み果てた人々にとっては実に心地よい見世物となったのだろう。
……実際に戦場に行った経験のある者たちは、男女問わずただただ沈黙していた。
一方、王太子の恋人であるルーレル・カーラミット侯爵令嬢は表向きは行儀見習いの侍女として王妃に仕えているという名目で王宮に住み込んでいた。まだ正式には婚約者候補ですらないにもかかわらず、王妃付の侍女とは名ばかりで、もはや自分が王宮の女主人であるかのように振舞っている。その傲慢な立ち居振る舞いには眉を顰める者も少なくなかった。
しかし、癇性な彼女の機嫌を損ねるとたちまち王太子にあることないこと告げ口され、とんでもない言いがかりをつけられてしまうので、表立って苦言を呈する者は誰一人いない。
目障りなフェレティングを排除して、誰一人逆らう者のいない王宮でルーレルはこの世の春を満喫していた。