負け犬の遠吠え
「とりあえず本日は父に報告して、手続きを進めねばなりませんのでこれで失礼します。陛下への報告は殿下からお願いします」
「お待ちなさいっ！！不貞の疑いをかけられ婚約破棄された惨めな傷物のくせに何も言うことはないのっ！？」
呆れの感情すらなく退出しようとしたフェルにルーレルが慌てて声をかける。
ずっと領地に引きこもって王都に来ようともしない相手をせっかく呼び出すことができたのだから、とことん貶め、惨めな姿を愉しんで嘲笑ってやらねば気がおさまらない。こうもあっさり返してしまってなるものか。
そんな意気込みが感じられる。
ルーの高飛車な声に、フェルは一瞬振り返って虚ろな視線をよこすと、感情のない声で答える。
「あなたがたが兵士たちの血と屍によって安全を確保された王都で、惰眠を貪り寝台で睦みあっている間、わたくしたちは泥水の中を這いまわり、一人でも救える命はないかと必死に治療にあたっていました。
物資の欠乏する中、下着や服を替えられるのは運が良くても週に一度。満足な食料もなく岩石のように堅いパンを1日2回齧ることができれば幸運です。いつ砲撃で頭を吹っ飛ばされるかわからない状況で、自らの月経の血でカチカチに固まったズボンを履いたまま何か月も水浴びもできず、悪臭をまき散らす女に欲情できる殿方がいるのであれば、ぜひとも見てみたいものですね」
淡々と言い捨ててそのまま退出した。徹底した無関心。
僕たちのことなど心の底からどうでも良いのだろう。
僕は皮肉げな響きすらなく並べられた、おそらく彼女にとっての事実に慄然とする。彼女の語る戦場は、生まれてこのかた美しく整備された王都から一歩も出たことのない僕には想像の余地すらない別世界だ。現実にはありもしない物語の中の話だと言われた方が得心が行く。
彼女はもう僕たちとは違う世界の住人になってしまったのだろう。
「……っ！！何なのあの態度っ！！負け犬の傷物のくせにっ！！」
嘲りと愉悦に歪んだ笑顔を一転して怒りと屈辱で真っ赤に染めたルーが喚く。
「……全く相手にされていなかったな」
目の前であれだけいちゃつきながら散々に侮辱したにもかかわらず、フェルは終始無表情のままで、僕にまとわりつくルーを見ても何の反応も示さなかった。その空洞のような瞳には嫌悪どころか呆れの感情すら見えず。
彼女にとって、僕たちとは怒りや呆れの念を抱くほどの価値すらないのだろう。
とっくに姿の見えなくなったフェルにいつまでも甲高い声で罵詈雑言を並べ続けるルーを見て（どっちが負け犬なんだか）と思いながら、僕の心は虚しさでいっぱいになった。
