07 冷血令嬢、出会う
その結果。
宿屋の一角、レアンドラは、図体のでかい男たちに囲まれて木の円卓に座っていた。知らず、ひく、と頬が引きつる。注目を避けたくて移動を提案したはずが、男たちとレアンドラの取り合わせの珍しさが、かえって目立ってしまっていた。その上なぜか、先ほど助けてくれた青年もちゃっかり隣に座っているではないか。
(これは……なんというか……なんでこんなことになっているのかしら)
お茶を提案したはいいものの、肝心の場所をレアンドラは全く知らなかった。そもそも彼女の知るお茶文化は貴族特有のもので、市井ではこういう時どうしているのだろうなどと悩み始めたところ、青年が提案してくれたのがここだったのだ。注文方法もよくわからないまま気づけば飲み物が運び込まれており、今は樽コップに入ったリンゴ果汁を啜っている
「よ、よかっただすねにいちゃん……お、俺たち今、お、お茶? してるだすね?」
「おう。なんか知らないけど、上手くいっただすな」
顔を寄せ合ってこそこそ言い合ってる様子からして、本人たちにとっては囁き声のつもりなのかもしれない。が、しわがれた声でガラガラと紡ぎ出されるその声は、周りには聞きたくなくても丸聞こえだった。
二人はレアンドラたちには目も暮れず、嬉しそうに話している。レアンドラは先に、助けてくれた青年の方へ目を向けた。そこではたと気づく。
(あら? この方……随分とお顔が整っていらっしゃるのね)
居心地悪そうに座っていた青年は、よく見ると驚くほど精悍な顔立ちをしていた。きちんと切り揃えられた麦色の髪はさらさらとして清潔感があり、鳶色の瞳は大きく、力強いながらもどこか甘い。すっと通った鼻梁は彫刻のようで、これはさぞかし女性にもてはやされる顔だろうなとレアンドラは思った。
「あの、先ほどは助けてくださってありがとうございました。おかげで助かりましたわ」
いつもの習慣で口付けのために手を差し出そうとして、咄嗟に押しとどめる。それから、平民の間では、初対面の挨拶はどうするのでしたっけ、と記憶を探る。
「ああ、いや……俺は君を助けた……ことになるのかな、この場合」
青年はレアンドラのぎこちない様子を気にすることなく、まだ納得いかない様子で呟いていた。
「ええ、まあ……助かりましたわ」
(主に彼らの命とわたくしの名誉が)
レアンドラは声には出さず心の中で呟いた。
恐慌状態に陥った彼女が使おうとしていた魔法の強力さはレアンドラしか知らないが、使っていたら間違いなく、殺人者という名の犯罪者になっていただろう。
「そうか……。役に立ったようでよかった」
ふ、と微笑んだ青年の笑顔が、そのままズドンとレアンドラに直撃した。
(あら、まあ、まあ……)
かつてないくらい、心臓がどくどくと鳴っている。戸惑いを隠すため、レアンドラは口元に手を当ててフフッと笑ってみせた。
(美形には慣れているつもりでしたけれど、わたくしもまだまだですわね)
レアンドラはずっと、美形に囲まれて生活してきた。貴族というものは自分の家系に美人を取り入れることに目がなく、事実レアンドラの父も、母も、弟も驚くほど美しい。かつての婚約者であったキール王太子だって、それはもう王子と名乗るにふさわしい顔面であったと記憶している。にも関わらず、レアンドラがこんなに胸を高鳴らせてしまうとは……恐ろしい青年だ。
レアンドラは気持ちを落ち着けようと軽く咳払いしてから、まだ囁き合っているつもりの大男たちの方を向いた。
「それで……あなたたちはわたくしと、お茶を? しようと思っていたということかしら?」
首をかしげながら聞いてみると、にいちゃんと呼ばれた方の、やや大きい男が口を開けた。
「あっ、お、おう、そうなんだす。俺たちは、ちょーっとばかし、お茶をしたかったんだすけども、なんでか、いっつもみんな逃げられてしまってよお」
言いながら、「今日は初めてお茶してもらえたんだす」とへっへっと二人で顔を見合わせて笑っている。それは凶暴な外見には似つかわしくない純粋な笑みで、ひどくちぐはぐな印象を受けた。
「まあそれは、その……そうね……逃げるかも……しれないわね……」
思わず、礼儀も忘れて本音を話してしまう。
話を聞けば、兄の方はモアブ、弟の方はアモンと言うらしい。二人は、村では嫁が見つかりそうにないからと遠路はるばる城下町にまで出てきたはいいが、ここでも空振りだらけで全然うまくいっていないらしかった。
「すまない、君たちのことを完全に暴漢だと勘違いしていた」
レアンドラを助けてくれた青年が謝ると、モアブが「いいってことだすよ」と豪快に手を振るう。その風圧だけで、レアンドラの前髪がふわりと浮いた。
「もう、慣れてるから平気だす。それにひどいやつだと、いきなり殴りかかってきたりするしなあ」
「まあ……」
レアンドラは驚いた。褒められたことではないが、この二人を相手に、殴りかかれる方もまた随分勇気があるなと思ってしまう。
「そうそう。大体はにいちゃんが返り討ちにしてしましまうんだすけど、そうするとますます悪い噂が広まっちゃって……」
アモンが、困ったように頭をかいた。弟の方は黙っている時こそ怖いが、喋ると思わぬ柔和さにこちらが面食らってしまうほどだ。どこか、ぬいぐるみ的な可愛さすらある。
「俺たちは、ちょっとお茶して、話してみたかっただけなんだけどなあ、なかなかうまくいかねえだすなあ」
「でも今日は、なんとか上手くいっただすよにいちゃん! 女の子とお話しできてるだす!」
「お、おう。そうだすな、ようやく一歩進んだすな!?」
熊のような図体で、子供のように手を叩き合ってキャッキャと喜ぶ二人に、レアンドラはますます面食らった。
(この人たち……お嫁さんを探しているって言っていたし、本当に女性とお話ししたかっただけなのかしら……)
すっかり毒気を抜かれたレアンドラはしばし考え込んだ。
「あの……あなたたち。モアブとアモン、ちょっといいかしら? お話があるのだけど」
「おう?」
「な、何?」
レアンドラは深呼吸すると、二人の目を交互に見ながらゆっくりと言った。
「失礼を承知で申し上げますが……今のままだと、恐らくずっとお嫁さんは見つからないと思いますわ」
「なんだす!?」
「そうなんだす!?」
勢いに思わず体を引く。弟のアモンはともかく、兄のモアブの形相はかなり怖いのだ。
「怖いですわ」
「あっ、す、すまないだす、つい……」
それを指摘すると、モアブはすぐさま申し訳なさそうに詫びた。やはり、言動が粗野ではあるものの、彼らの性根は素直で善人なのだ。
「俺たちも今のままじゃだめだと思って色々試してるんだすけど……その、全然上手くいかなくて」
大きな体を縮こまらせて、モアブが途方に暮れたように言った。
(そりゃそうでしょうね。さっきも最悪でしたもの)
二人との最初を思い出して、レアンドラはこめかみを抑えた。あれは、どう頑張っても暴漢か人攫いの態度であって、デートのお誘いではない。
「お節介かもしれませんが……あなたたち、本当に女性と話をしたいと思うのなら、まず接し方を変えないといけませんわ」
「接し方を」
「変える?」
「ええ。わたくしの話に耳を傾けてくれるのなら、僭越ながらお伝えさせていただきますが」
「「聞くだす!」」
途端に二人が、つんのめるようにして身を乗り出してきた。大柄な二人だけに、圧がすごい。またもや体が引いてしまう。
「まず、そういうところです。突然女性に近づいてはいけません。端的に言って、怖いのです。特にあなたたちは体が大きいのですから」
「お、おう……」
怒られて、二人がしゅんと小さくなった。
「そして声の掛け方ですが、『よう、姉ちゃん』ではいけません。正しくは『こんにちは、お嬢さん』です。どうぞ、言ってみてくださいな」
「えっ、い、今だすか?」
「今です」
レアンドラの有無を言わさない雰囲気に、二人が困ったように顔を見合わせた。それから、弟のアモンが先に反応した。大きな体をもじもじさせながら、
「こ、こんにちはお嬢さん……」
と言ったのだ。
「上手ですねアモン。さあ、モアブも」
「お……う……こ、こんにちは、おじょ、お嬢さん……」
「そうモアブも上手ですよ。次は『付き合ってもらおうか』ではなく、『よろしければお茶でも一緒にいかがですか?』です。さあ言ってみてください」
「よろす……よろしければ、お茶でもいっちょ、一緒に、いかがだすか?」
今度は顔を真っ赤にさせて、呪文を唱えるようにモアブが言った。
「その調子です。それからあなたたちは立ったままだととても威圧感を与えるので……そうですね、女性が立ち止まったら、大袈裟ですが、話す前にその場に片膝をつくぐらいがちょうどいいのかもしれません」
「片膝をつく!?」
「そうです。騎士のように」
「き、騎士のように……」
モアブが吠えれば、アモンが騎士という言葉にうっとりと頬を赤らめた。どうやら、騎士という単語が気に入ったらしい。
「ヘヘっ……。にいちゃん、おれ……やってみようかな」
言うなり、アモンがヌッと立ち上がった。それから照れたように片膝を地面につけ、レアンドラを見る。
「こ、こんにちはお嬢さん。よろしければ……お茶でも一緒にいかがですか?」
「ええ、喜んで」
レアンドラはふふっと笑った。
「こういうことは、アモンの方が上手なようね?」
ちら、とモアブを伺いみれば、彼は顔を真っ赤にして岩のように黙り込んでいた。かと思えば勢いよく立ち上がり、アモンの隣にしゃがみ込む。
「あー……こんにちはお嬢さん。よろしければ、えっと、お茶を一緒にいかがだすか」
「はい、喜んで」
レアンドラは微笑んだ。現実はこんな風にはうまくいかないだろうが、今までの二人の態度よりはよっぽどマシだ。少なくとも可能性がゼロからイチぐらいには上がったような気がする。
「まずはそこから少しずつ慣れていくことから始めましょう。いいですか、女性は決して怖がらせてはいけませんよ。あと、最初は断られることの方が多いでしょうけれど、断られたら潔く諦めること」
はい! といい返事が返ってきて、レアンドラはその素直さに満足げに微笑んだ。
それからハッとして辺りを見渡す。
覚悟はしていたが、特大の男二人が、レアンドラの前にひざまずいていると言うのは、かなり注目を集める光景だ。案の定、周りからは好奇の視線がこれでもかというほど寄せられている。少し気まずくなって、レアンドラは咳払いをした。
「と、こんな感じですけれど、このくらいにしておきましょうか。だいぶ時間も経ってしまいましたし……。それから、あなたにも付き合わせてしまってごめんなさい。ええとお名前は……」
そう言ってレアンドラは、先ほど助けてくれた青年の方を見た。彼はさっきから拳を口に当てて、笑わないように必死に堪えている。レアンドラに気づくと、呼吸を整え直して、手を差し出た。
「俺はジェイドだ」
「よろしくジェイド。わたくしはレア……レオナよ」
うっかり本名を言いそうになって、レアンドラは慌てて偽名を名乗った。アレキサンドロ王国にも、もしかしたらレアンドラを知っている人物が滞在しているかもしれない。念のため偽名を使うに越したことはないのだ。
差し出された手を握ると、彼の無骨な手はゴツゴツしていた。剣だこだろうか? 日常的に剣を握る手に思えた。
(ジェイド……。どこかで聞いたような気がするのだけど、どこだったかしら?)
頭の中で記憶を探っていると、モアブが身を乗り出してくる。
「あの……レオナ。いや、レオナ姐さん! よかったら俺たちに、もっと色々教えてくれねぇだすか!?」
急に敬語になったモアブの後ろでは、アモンが首が千切れるほど頷いていた。レアンドラは困った顔になる。
「そうしてあげたいのは山々なのだけれど、わたくしも行かなければいけないところがあるのよ」
「行かなければいけないところ?」
「ええ、魔王討伐に」
「「魔王討伐!?」」
その場にいた人たちの声が、一斉に重なった。おかしなことを言ってしまったとわかり、レアンドラは内心赤面する。
「あ、ごめんなさい。大袈裟でしたわね。正確には魔王討伐のための魔法使い選抜というのに行こうと思っていましたの。王宮でやっていると伺っていたんですけれど」
「マホウツカイ」
「センバツ……?」
モアブとアモンの村にはそう言う情報は全く入ってこなかったのか、それこそ呪文を唱えるような言い方だった。