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05 冷血令嬢、旅立つ

「わたくし的にはあれが最後のお別れのつもりだったのだけれど、どうしてあなたがいるのかしら? ユアン」


 明朝。屋敷の人々がまだ起きていない時刻。男ものの旅装束に着替え、髪をフードの中にすっぽりと隠して一人馬屋へと向かったレアンドラを待っていたのは、同じくきっちりと旅装束に身を包んだユアンだった。


「お見送りですよ。途中まで馬を連れて行くつもりなら、僕が同行した方が話が早いでしょう? そのまま連れて帰ればいいだけですし」

「ということはあなた、駅馬車までついてくる気なの?」

「そのためのこの服ですから」


 レアンドラは額を抑えた。


「……まあ、あなたが旅そのものについてくると言わなかっただけ、いいということなのかしら」

「本当はそうしたかったんですが、流石に嫡男である僕まで消えたら父上が困るでしょうからね。もし姉上が望むなら、ついて行きますが」

「……気持ちだけ頂いておくわ」


 こんなに姉にべったりで、弟の社交界での評判は大丈夫なのだろうかと心配になりながらも、ユアンの気持ちは嬉しかった。これから向かおうとしているのは世界一危険な旅。もしかしたら、カルディア王国の地を踏むのも、弟に会うのも、これが最後なのかもしれないのだ。


「それじゃ行きましょうか、姉上」

「ええ」


 こっそり開けておいた裏口を通り、二人は並んで馬を走らせた。愛馬の蹄が土を蹴るごとに、レアンドラの生まれ育った土地が一歩遠ざかる。

 カルディア王国は魔法大国ということもあり、様々な薬草が栽培されている。それは人の手のみならず、野生の薬草がそここに群生しているのも特徴だった。鼻をくすぐる花とは違うピリリとした匂い。それともお別れなのだと思うと急に感傷に囚われそうになって、レアンドラはぐっと唇を噛んだ。今まで国を離れたことなんて避暑地に向かった時ぐらいしかない。だがこれからは、一人で歩まねばならないのだ。今更ながら自分のやろうとしていることに震えを感じ、それを打ち払うように手綱をギュッと握った。


 やがて、馬車が並ぶ通りが見えてきた。夜間は魔物が活発化するため馬車を走らせるものは少なく、その代わり朝早くから働くのが一般的だ。宿屋が集まる大通りには、その手の馬車がごった返していた。目的の駅馬車を見つけ、運賃を払う。


「お前さんは乗らないのかい?」


立ったまま動かないユアンに、御者が不思議そうに声をかける。


「僕は見送りだから」

「そうかい」


 見送りなどいくらでもいるのだろう。さして興味も持たずに、御者が鞭を振るい出した。馬がゆっくりと歩き出し、粗末な馬車がガタゴトと軋んだ音を立てる。レアンドラは小さな窓から出せるだけ顔を出した。すぐにユアンがレアンドラに気付き、かぶっていたフードを取った。それから拳を胸に当て、まっすぐにレアンドラを見つめる。


「姉上。良い旅を」


 それが弟のくれた最上級の見送りだった。

 レアンドラはふっと微笑み、声には出さず小さく手を振って返した。


 弟が、故郷が、少しずつ遠ざかっていく。その姿が点となって見えなくなるまで、レアンドラはずっとそこから目を離さなかった。





 駅馬車を乗り継ぎ、合間合間に宿屋で部屋を借りて、丸一週間。レアンドラはついに、アレキサンドロ王国の王都であるキヤラットに辿り着いていた。


「まあ……」


 フードを被ったまま感嘆の声を上げる。

 カルディア王国が清楚なスミレだとするならば、アレキサンドロ王国は生命力に満ち溢れたヒマワリと言ったところだろうか。これから登ろうとする眩しい朝日に照らされて、大小さまざまな煉瓦の建物が所狭しと並び、大通りは出店で埋め尽くされている。そして、あふれんばかりの人、人、人。出店はもちろん、路地裏の狭い道に至るまで、人で埋め尽くされていた。上を見上げれば、階上に住む女性が、器用に窓から洗濯物を干している。あたりは人々の発する賑やかな喧騒に満ちて、まるで都市全体がおしゃべりをしているようだ。


「おっと、ごめんよ」


 頭に野菜がたくさん入ったカゴを乗せた女が肩にぶつかり、謝ったかと思うとすぐに人混みに消えていった。ここでは立ち止まっているものの方が少なく、皆隙間を縫うように、器用に人を避けて歩いている。レアンドラも立ち止まったままでは邪魔になると判断して、そろりと歩き始めた。


(あれは、料理屋かしら。あっちは服屋? いえ、絨毯屋? こっちは……何かしら?)


 食欲を刺激する美味しそうな匂いに、かと思えば鼻を刺激するピリリとした薬品の匂い。何やら自動で音楽を奏でる機械があれば、太陽の光を受けてキラキラと輝くガラスの小物類など、店の種類は多岐にわたる。レアンドラは、炉端に広がるかぐわしい匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

 思えば、本で調べてはいたものの実際市井に出てきたのはこれが初めてだ。祖国カルディアでは馬車からそういった店を眺めることはあったものの、自分の足で降り立ったことはない。


(せっかくなら、カルディアでも行ってみればよかったわね。こんなに胸躍るなんて……あら? あっちは何かしら)


 好奇心の赴くまま、レアンドラは脇道に足を踏み入れる。彼女が惹かれたその大きな建物からは、ぽつぽつと女性たちが出てきていた。女性たちは皆一様に髪が濡れており、肌艶は湯気が出そうなほどいい。……実際、まだ湯気が出ているものもいる。


(もしかしてここ……)


 ピンと来て、レアンドラは今出てきたばかりの若い女性を捕まえる。


「ごめんあそばせ。もしかしてここは、大浴場なのかしら?」

「そうよ」

(当たりだわ!)


 レアンドラは手を叩いて喜びたい気分だった。


 噂には聞いたことがあった。屋敷に浴場を持つ貴族と違って、市政の人々は大浴場というものに行くらしいと。


(ずっと入ってみたいと思っていましたの!)


 慣れない長旅で体には疲労が溜まっていたし、この一週間、たらいと湯を借りて定期的に体を拭ってはいたものの、元々頻繁に湯を使う貴族出身の彼女に取っては全然物足りなかったのである。


(やはり身は綺麗にしておかなくちゃね)


 そう考えるや否や、レアンドラは建物の中に飛び込んだ。

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