03 冷血令嬢、才能ゆえの不幸
レアンドラが魔力持ちだと言うことが判明してすぐに、父は家に厳重な緘口令を敷いた。秘密が漏れないようにするため、使用人は選び抜いた最低限の人数だけを雇い、給与は口止め料を含んだ相場の数倍を支払っている。そしてレアンドラ自身に強く言い聞かせた。決して外で魔法を使ってはいけないと。
『もしお前が魔女だと言うことが外に漏れたら、我が家は皆、処刑されてしまうだろう。だからみんなのためにも決して魔女だと知られてはいけない。いいね?』
今まで見たことがないぐらい真剣な顔でそう言う父の姿は、幼いレアンドラの脳裏に深く刻み込まれた。そして彼女は、今までその教えを忠実に守ってきた。家族を守るために。
「父上は本当に姉上に甘いですよね。発覚したら一族郎党処刑ものだと言うのに、バレないようにしろ、だけで済ませるなんて」
「それだけじゃないわ。きちんと魔法の使い方も教えてくださってるもの」
「それがおかしいんです! 禁じるどころか使い方を教えるなんて、どうかしていますよ」
「ふふ、ユアンも若いわね」
「僕は姉上と対して変わりませんよ! 年子ですからね!」
一歳年下の弟が、キッとレアンドラを睨む。その柔らかい蜂蜜色の髪を、レアンドラは幼子をあやすように撫でた。
「強大な力というものは、ただ禁じればいいというものではありませんのよ。強大だからこそ、制御方法を知らなければ、いざという時に大変なことになる。特に魔法を制御するには精神力が大事ですから。それはユアンもよく知っているでしょう?」
「う、まあ、確かにそうですけれど」
ユアンとてこのカルディア王国の民。その力は姉レアンドラには到底及ばないものの、一応魔法使いの端くれでもある。
「だからお父様がわたくしに魔法の使い方、もとい制御方法を教えてくださったのは懸命な判断だと思いますわ。現にわたくしたち、今まで何回か危ない橋を渡ってきましたものね」
魔力の源となるのは精神である以上、激しい怒りや深い悲しみに見舞われた時にその力が暴発してしまうことは珍しくない。そのため魔法使いはまず一にも二にも、鉄の教えとして冷静沈着であることを叩き込まれるのだ。決して心を乱してはならない、誰よりも冷静であれと。すぐに激昂するユアンなどは、その点からして魔法使いに向いていない。
「ただお父様が甘いというのは同感ですわ。危険性を顧みるなら、わたくしはどこか田舎の別荘にでも押し込んでおいた方がよっぽど安全ですもの。それを手ずからそばに置いて育ててくれるなんて……感謝しかありませんわ」
「あえてそばに置くことで監視しようとしたのではありませんか。見えないところでおかしな方向に育たれたらたまったものじゃないでしょうし」
ユアンの合理的な発言に、レアンドラは小さく笑った。確かにそういう目論見もあったのかもしれないが、それを差し置いても、レアンドラの父は非常に懐が広く優しかった。この父が宰相として重用されているからこそ、魔王の復活により魔物がはこびるこの時代においてもカルディアは安定している。そう思えるくらいには自慢の父だ。だからこそ今まで父の望む通り、自分の望みを押し殺し、多大なる失敗を犯しながらもなんとか王太子の婚約者として振る舞ってきたのだが……。
「……お父様が、わたくしのやろうとしていることを知ったら、きっと悲しまれるわね」
自分のこれからを考えて、レアンドラの声は小さくなった。ただでさえ、王太子の婚約者、つまり将来の王妃となる可能性は消えてしまったのだ。そこに加えて娘がカルディア王国を出奔するとなれば、今後貴族の娘として社交界に復帰することはできなくなるばかりか、父の娘だと名乗ることすら難しくなるだろう。
「……まあ、多少寂しくは思うでしょうね」
しおれてしまった姉に、ユアンは小さく咳払いしながら言った。
「でも元気だという手紙を定期的に書いてあげれば、多分大丈夫ですよ。父上も、よもや姉上が本気でこの国の社交界でうまくやっていけるなんて思っていないでしょうし、なんなら社交界から逃げ出してくれた方がほっとするんじゃないですか」
「それはそれで、少し傷つくわね」
「姉上の秘密は大ごとすぎるんですよ。よりによって宰相の娘が魔女だなんて知れたら、国が揺れるんですから。その上姉上自身の評判もすでに地の底で、呼び名は冷血令嬢ときた。今さら社交界で失うものなんてないでしょう? 最後の砦だった王太子の婚約者の肩書まで失ったんですから」
ズバズバと、容赦なく事実を叩き込んでくるユアンに、今度はレアンドラがため息をつく番だった。
「ええ、そう。そうよ。わたくしは冷血令嬢。おまけに先日婚約破棄されたばかり。今度こそ社交界の居場所は無くなったんですものね」
ーーレアンドラが冷血令嬢と呼ばれるようになったのは、今から四年前。レアンドラが十四歳になる年のことだった。
当時はまだ王太子ではなく王子だったキールとの婚約式を済ませ、面々にお披露目される運びとなったレアンドラは、その日、王宮に最も近い魔法塔に来ていた。そこには魔法使いの中でも特に優れたものが集められ、王国の精鋭魔法使いが集っていると評判の塔だ。キール王太子とその婚約者であるレアンドラは視察という名目で、将来自分たちに仕えるであろう魔法使いに顔を見せに来たのだ。
初めての魔法塔に、レアンドラは酷く興奮した。鉄の教えにより決して表情には出さなかったものの、内心は歓喜で飛び跳ねたいくらいだった。いつも勉強はカーテンを閉め切った部屋の中で父と二人でこっそりと行うため、こんなにたくさんの魔法使いと魔道具を一気に見たのは初めてだ。どこもかしこも濃厚な魔力の気配が漂い、人一倍敏感なレアンドラは酔ってしまうかと思うくらいだ。
目を輝かせて辺りを見回すレアンドラの様子に、キール王子も気を良くしたのだろう。自らあれこれと説明してくれ、二人の仲睦まじそうな様子に周りの大人もほっとする。やがて行幸をつつがなく終え、帰路につこうとしていた時、背にした魔物塔から悲鳴が上がった。
「誰かその魔物を捕まえてくれえ!」
何事かと振り返れば、一匹の魔物がキール王子めがけて走ってきていた。咄嗟に護衛の者たちが王子の周りを固めたが、よく見ればその魔物は黒兎のように愛らしい外見をしていた。ただ違うのは、顔に目が三つあることだけ。その愛らしい魔物は、王子の前まで来ると、動かずその場でぶるぶると震え出した。
「今すぐに捕まえます、少々お待ちをーー」
「待て」
慌てて飛び出してきた魔法使いを制し、キール王子が護衛の中から姿を表した。当時彼も十四歳。王子に相応しい魔法の訓練も受けており、成績は優秀。さらに目の前の魔物は小さく、兎のように可憐だ。恐れる必要はないと判断したのだろう。王子はゆっくりと魔物に向かって歩き出した。
「キール殿下、危険です! 下がってください!」
「大丈夫だ。自分を守るくらいの力はある。お前たちは手出しするな。そこで見ていよ」
今思えば、キール王子はレアンドラにいい所を見せようとしていたのだろう。王子は自ら進み出ると、魔物に向かって優しく手を差し出した。
「可愛い。兎によく似ている。こっちへおいで。怖いことはしないから」
キール王子の誘いに、魔物は本物の兎のようにひくひくと鼻を動かし、それからゆっくりと近づいてきた。
「そう、いい子だ……」
満足したように、キール王子がなおも誘いをかける。その周りでは、魔法使いたちが王子に気取られないよう、静かに捕縛の魔法を唱えていた。風を根幹とした比較的簡単な捕縛術で、拘束力は少ないがその分対象への負担も少なく、魔力消費も少ない魔法だ。
だが、それをただ一人、青ざめた顔で見つめている者がいた。レアンドラだ。
(あの魔物はなんなの……!? なぜ、あんなに禍々しい気配を漂わせているの……!?)
レアンドラの目には、魔物の真の姿が見えていた。あれは決して可愛らしい三つ目の兎ではない。確かに目は三つあるが、そのどの瞳も裂けるのではという程大きく見開かれており、血走って不気味にギラギラしている。一見すると愛らしい口にも、針のように長く細い牙がギッチリと生えていた。
最初は気のせいかと思った。
可愛い兎の魔物の姿が一瞬ぼやけて見え、目のかすみかと思って拳で目元をぬぐったら、一瞬にして魔物の姿が変貌したのだ。初めは何が起こっているのか分からなくて唖然としてしまったが、それからあたりに立ち込める不思議な瘴気に気づいた。
(これは強力な幻覚術……!?)
レアンドラの規格外の魔力は、同時に強力な感知機能をも備えていた。
魔物の幻覚術は王子をはじめとした周りの護衛はもちろん、国で一番優秀であるはずの魔法使いたちにまでかかっている。その証拠に、彼らの目にはみな魔物の放つ薄桃色の瘴気が紗をかけていた。
魔法使いの一人が、簡単な捕縛術を魔物にかけようとしているが、あの魔物はそんなものでは捕まらないことが容易に想像できた。それどころか、この魔法塔にはあの魔物を捕まえられる魔法使いはいない。ーーあの魔物は最初から、魔法使いたちを騙して自らここへやってきている。そんな気すらして、レアンドラはぶるりと震えた。
(あの魔物はもしかして、キール殿下を狙って……!?)
魔法大国と呼ばれるカルディア王国であっても、完全な平和とは程遠い。今世紀の魔王が復活してから魔物は徐々に力を増し、その脅威は二年前に一度レアンドラたちを襲っている。あの時見た血と悲鳴と逃げ惑う人々の泣き叫ぶ顔は、恐らく一生レアンドラの頭から離れないだろう。そしてその惨劇が、目の前で今まさに繰り広げられようとしている。
大きく開かれた魔物の口は、キール王子を一口で丸呑みできるだろう。王子の目は取り憑かれたようにぼんやりと魔物に向けられており、真実は見えていない。
迷っている暇はなかった。
レアンドラはドレスの裾を掴んで走り出すと、一番近くにいた騎士の剣を風の力を借りて流れるように抜いた。そのまま大振りの剣を掴み上げ、ためらわずありったけの魔力を込めて魔物の三つ目の瞳に向かって突き刺す。
けたたましい断末魔が、あたりに響き渡った。異臭とともに、ブシュ、と飛び散るのは魔物の血。
ーー我に帰った王子たち一行が見たのは、息たえた魔物に剣を突き立て、どす黒い返り血を全身に浴びたレアンドラの姿だった。
『ごくごく弱い、可愛い魔物だったのでしょう?』
『キール殿下が懐柔しようとしていたところを、一突きだったとか』
『まあ恐ろしい……。相手が魔物だからって、血も涙もないのね……』
『そもそも令嬢が剣で生き物を殺すなんて……』
その場にいた誰もが、あの魔物に騙されていた。兎の姿をした魔物の幻覚術は信じられないほど強力で、死してなお本当の姿を見せなかった。だから誰も真実を知らない。話を聞いて駆けつけた父にだけは事実を話したが、その事実は握りつぶさなければいけないものだった。レアンドラが見抜いていたことを信じてもらえるとは思えなかったし、仮に信じてもらえたとしても、今度はレアンドラが魔力持ちだということが発覚してしまう。幸いにも誰にも被害は及ばず、汚れたのはレアンドラの評判だけ。ならばと、家族は苦渋の選択で、黙って泥をかぶることにした。