01 冷血令嬢、婚約破棄される
「レアンドラ。すまないが、君との婚約は破棄させてもらう」
キール王太子の十八回目の生誕祭。その主役であるキール王太子に、同い年のレアンドラは突然の婚約破棄を告げられた。
突然のことに二の句が告げず、彫刻のように固まったまま目だけを動かして辺りを見る。ここは王宮の奥の貴賓室。舞踏会場である広間で弟のユアンと一緒に話していた所、突然近衛騎士と使いの者にレアンドラだけが呼び出されて連れてこられたのだ。ふかふかとした青い絨毯が敷かれ、一目で高級だとわかる調度品に彩られた室内には、国王夫妻に、宰相であるレアンドラの父、王国の重鎮である大臣や騎士団長らなど、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。その真ん中に位置するのはキール王太子と、王太子の隣に付き添うようにして伯爵令嬢のアリシアが立っていた。皆揃えたかのように深刻な顔をしている中、王太子の隣に立つアリシアだけは幸せそうな微笑みを浮かべている。
その笑顔を見て、レアンドラはついに、と思った。ついにこの時が来たのだと。
「……陛下や、お父様たちが何も言わないということは、婚約破棄は確定事項で間違いありませんのね?」
一言一句、間違いがないか確認するようにレアンドラはゆっくりと言った。その言葉にキール王太子の眉間に皺がより、苦しげな表情になる。
「すまない。君には長く支えてきてもらったが、私はもう自分の心を偽れないんだ。どうしても一緒に生きてゆきたい人が出来てしまった……」
懺悔するように言った王太子の腕に、そっとアリシアの白い手が添えられる。彼女の美しい琥珀色の瞳には、王太子を心配し慰めようとする慈愛の光が満ちていた。
「もちろん、これは私の一方的な我儘だ。その分、君には十分な謝罪と償いをするつもりでーー」
「あっいいえ、大丈夫です。大丈夫ですわ。わたくしのことなら、お構いなく」
とっさに王太子の言葉を遮ってしまったレアンドラに、王太子のみならず、室内にいた面々が驚きの表情を見せる。
(あ、しまったわ)
気がたかぶるあまりつい間違った行動を取ってしまった。レアンドラは慌てて、悲しげな表情を作った。
「いいんですの、わたくしは……。キール殿下が幸せならそれで……」
それから、くっとハンカチで顔を隠すように覆い、空いた片手でドレスの裾を掴むと、身を翻してその場から駆け出した。後ろから「レアンドラ!」とキール王太子が叫んだが、聞こえなかったふりをする。
広間で待っていた弟のユアンはレアンドラを見るとぎょっとした顔をしたが、有無を言わせず引きずるようにして連れ出すと、さっさと自分たちの馬車に乗り込んだ。
「家まで」
ユアンが御者にきびきびと指示を出している間も、レアンドラはハンカチで顔を覆ったままだ。傍目から見れば、レアンドラは泣いているようにしか見えないのだろう。
「姉上、もう馬車は出発しました。ここなら誰にも見られませんよ」
ユアンが労るように、レアンドラにそっと囁くと、彼女の肩が小刻みに揺れ出した。
それからーー。
「っふ……ふふ、ふふふ……はは……あはははっ!!!」
馬車内に、レアンドラの高笑いが響き渡った。あまりの音量に、ユアンは両耳を押さえている。
「姉上、もう少し音量を抑えてください。馬が驚いたらどうするんです。僕は落車で死にたくありません」
「ああ、ごめんなさいユアン。あまりにも嬉しかったものだから、ついはしたない真似を。許してちょうだいね……ふふ」
言いながらまだ笑っている。そんな姉を見て、ユアンはふうとため息をついた。
「それで、どうだったんです? その様子なら首尾は上々なんでしょうけれど」
「そうなのよ。びっくりするほどわたくしの予想通りで、なんと国王陛下のみならず、お父様や大臣方までもう味方につけていらしたようなのよ。アリシア様は本当に優秀ね」
「感心している場合じゃありませんよ。それで姉上、本気で行かれるおつもりですか?」
ユアンに尋ねられて、レアンドラはとびきりの笑顔を浮かべた。それは弟のユアンですらどきりとしてしまうほど美しい笑みだ。
「もちろん。これでわたくし、心置きなく魔法使いとして、魔王討伐に行けますわ」
ーーレアンドラ・バイミラー侯爵令嬢の企み。それは婚約破棄され、晴れて自由の身となった後、勇者一行に混じって魔王討伐をすることだった。