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歴史とDNA

旧石器時代とDNA

作者: とびうお君

 北方ルートがそれだけにとどまらなくなってきた。そもそも欧州でシベリアのものが見つかったのが原因になる。やけに範囲が広いがアルタイ辺りまで覆う多くな西方圏になってるようだ。あとちょっとじゃないかとなる。これがどうも違うようなのだ。


 旧人はおそらくこのルートを使っている。アジアの石器で確実なのは旧人の石器になる。ほぼ間違いなく西方との一体化した石器文化らしい。ややこしいのはそこから現代的な石刃技法となるともう難解極まりない。西方だと綺麗に遺伝子関係がある。石器と遺伝子を調べるとそのまま系統だった遺伝関係になる。


 だがこの単純さを東方に持ち込むはちょっと考えてしまう部分がある。しかも、旧人は確実だが、旧人と新人が入り混じる時代のものは怪しくて仕方ない。


 旧石器時代は以前から知りたかった。だが東方は全く遺伝子が出てない。だから西方と絡めて考えるしかないとなってきた。元々西方からの北方ルートを知りたいってのがあるから調べてるので都合は良い。


 ただ人類の移動って点ではマリタ遺跡の少年のものまでまともにそれを話すことはできない。後のものは推測だらけになる。何故マリタだけが特別か?と言うと、アメリカ先住民、今のロシアの住民、そしてヤナ遺跡とマリタの近くのゴア遺跡などすべて1つの正方系のP系集団の遺伝子の共通性が有るから。


 最新の情報で、田園以外にモンゴルのサルキート遺跡ってのがある。これはよりによって間のものでも良いのにと思うがとびぬけて古い。田園の次にアジアで古いDNAを伴った新人の人骨になる。ただその年代はとても微妙。西方と繋がる石刃石器がアルタイに到着するのが4万年ぐらい。33000から35000年ぐらいこれだと次の時代のマリタ遺跡の集団の方が近い。


 それならもともと私はP系集団が西方の石器を運んできたって話をしていたので、アジア人の北方ルートはほぼないとなってしまう。P系集団アメリカ先住民にはモンゴロイドと混血して先祖となるが、アジア人にはほとんど入ってない。


 決定的な遺伝的証拠は見つからないが西方系P系じゃないか?となるのはQM120だけ。ただしこれ何故決定的じゃないか?と言うと、この遺伝子が見つかる集団はベタベタの東方集団だからになる。特に中国に入ってからは地元のモンゴロイドと混血してるため痕跡がほとんどない。じゃ元の場所は?となると、核DNAの調査については不明となる。


 後そもそもモンゴルで見つかったとかあるが、ソースがいまいち良く分からない。新石器時代に中国の外から来たというのは中国の調査で分かっているが、モンゴルの前にシベリアの東方からきたのなら話が全く違う。シベリアから来ただと北東シベリアと南西シベリアでは全く集団が違う。


 どっちもP系集団なのだが、西方の遺伝子と言う点でシベリア北東はアメリカ先住民に近い。対して南西シベリアは中央アジア集団に近い。同じQ系でも核DNAの分析では全く違う集団になる。


 新石器時代のモンゴルは大まかには分かってるが、中央アジア、マリタ少年にやや近い東方集団が混じった古代北方ユーラシア系(ANE)、そしてべたべたの東方集団になる。時代によっては中央アジアに欧州系とインド系の系統が混じる。ウイグルが両方で、キルギスが主に後者の末裔になる。これらがいり混じるのが匈奴の時代になる。それまではどこにいたか?だけではだめで、いちいち核DNA調査してどのクラスターに属するか調べないと正方系だと決定できない。


 ただし、歴史時代には中国にいくらでも西方が入り込んでいる。旧石器はP系の時代。ただし、私はここに謎の集団がいるかもしれないとは考えてはいる。現代につながってない集団も石器を運ぶだけなら全く問題がない。むしろ都合がいい。西方集団がほとんど入り込んだ形跡がない東方集団の遺伝子調査からはその理由が影響を残せなかったというのはない話じゃない。


 もちろん後の時代からそれを言えば反則まがいの論法だが、それを古代DNAで展開すれば上手くできる。正直まだたりない。


 とりあえず、P系が担い手だとするならサルキートがかなり面白い報告があった。以前からmtDNAは知っていたがアジア人と関係がない、Nの枝系統だったのでどうでも良いと見ていたのだが、核DNAを調べるとこの人女性であったためY染色体は分からない。だが、DNA自体は田園集だとほぼ同じらしい。ベタベタのアジア系祖先となる。


 面白いのはここからで、この女性マリタ遺跡に代表される古代北方ユーラシア系の遺伝子をわずかに受け継いでいるらしい。アメリカ先住民が混血だから当たり前となるが、時代が問題になる。元々ANEにわずかに東方の遺伝子が入ってるとは言われていた。だが逆の流入が無いのは現代人からは分かっている。


 そのため逆の方向の証拠が見つかったのが分かり、かつその時期はとても古い。ぎりぎり石刃の伝達が間に合ってしまう。アルタイまで運んだのが旧人だった可能性も言われている。アルタイには有名な旧人が住んでいた洞窟がある。P以外にもいくらでも候補はいる。ただし、サルキートより後の時代しか見つかってない。ちょっとだけ時代がさかのぼった。


 後5000年余裕が欲しい。だからP系集団は担い手としては弱いとなる。古いルヴァロワから石刃に移る時期と言うのがアルタイを中心に大体4万年以前からになる。それに対してそれ以降しかP系は見つかってない。骨がないだけで居たのではない?それを言うのは簡単だが、他の集団の可能性を捨てきれない。そもそもPじゃなくてKの時代に突入してしまう。


 そうなるとウスチイシムのK2Aが気になってくる。西方から東方へ技術が伝わると言う意味とその後の細石技術も重なってPは文句がない良い担い手だと言えるが、35000年以前となると怪しくなる存在になる。そのため別集団の事も考慮するために西方に戻って考えるとなる。


 旧石器を扱う上で西方で押さえておかないといけないのが、基底ユーラシア人になる。以前からネアンデルタールの関係で覚えていたけど、以前は40%も欧州人に影響を与えたとなっていたのが10%におちてしまった事で軽視してしまった。これでいろいろと落とし穴にはまってしまった。


 旧人との関係で全ユーラシア人は2%のネアンデルタール人の遺伝子を持つのは有名かと思う。コロナの東西の差もこれが大きい。コロナの話は長くなるので割愛するが、とにかくだ、この混血前に分岐した系統がいるのだが、肝心の古代DNAがまだ見つかってない。じゃ何故重視されるようになったか?でネアンが出てくる。


 欧州人と東アジア人とのネアンの割合に差があるとなってその原因を探っていると、見つかってはないがつじつまが合う仮定の集団が中近東のどこかで分岐しただろうとされた。ここまでなら有名私も知っていた。最近下方修正されたしあんまり興味がないと思ってた。そこで罠に堕ちたのだが、基底って言葉ややこしい。


 この場合の基底は現代の集団の基底となるDNAを持った集団って意味で使われてる。だがミトコンドリアイブなどの分岐枝を見たことがある人もいると思う。アフリカに近いユーラシアとの分岐も基底と呼ぶらしい。これではまってしまったのだが、ウスチイシムを基底非アフリカ人と呼ぶ人が居て、適当に読んだため基底ユーラシア人と間違えてしまった。


 まあ基底ユーラシア人も分岐枝の基底の意味も持つ。何故長くこの話をしたかと言うと、実際古代のかなり前の欧州集団は基底ユーラシア人を含んでない。大体新石器の中東から移動してきたちょっと前の狩猟採集民からこれらが混ざった系統が出てくる。そして最大の集団はアナトリア農耕民になる。


 ただ中に異論を唱える人もいて、一部の集団には計算上は混じってるのじゃないか?って異議を唱える人もいる。ただし、主流としては、大体1万5000、7000辺り前には欧州では見つかってない。欧州から離れるとコーカサスの2万5000年辺りが最古だと思う。


 欧州人の話だったが当然そこから移住してきたので現在の中近東の人がこの基底ユーラシア人のDNAを一番持っている。だが過去の欧州からは全くでない。何度も書くが一部なら混血集団はあったかもしれないって見方もある。全体としては無いと見て良い。今の状況とかなりい違う状態だったと思えばいい。


 この話が出るのは、私は砂漠の気候ってのが良く分からないが、日本朝鮮、東南アジアってのはまるで人骨が出ないしDNAは最悪だとなる。酸性土壌と熱帯性の気温によるタンパク質の分解になる。おそらくだが、古代DNAにとって中近東もそういう劣悪さがあるのではないか?と見ている。


 中近東の旧石器時代のDNAの状況はいまいちわからない。欧州の豊富なデータに比べてになる。ここから話は飛ぶ。中近東は良く分かってない。これが重要なので長く書いてしまった。中近東が良く分かってないが、単純に多くの人類移動のモデルは中近東から拡散したというモデルになってる。


 実際は違うのでないか?って見方が出てきた。ただし、Y染色体、すなわち男性の移動にはややこしい謎があるのじゃないか?って疑義が出てきた。


 旧石器時代の古代DNAの豊富な欧州、起源となる近東の状況はさっぱり分からない。現代のDNAから起源となる古いハプロが多い東南アジア。ただし、新石器時代からは中近東東アジアよりは豊富なDNAデータがある。農業が古くから始まっているため新石器時代がかなり早い。その時点ですでに基底ユーラシア人の拡散は進んだ状態になっている。


 これは欧州から予想できるが農業前から基底ユーラシア人と混血した狩猟採集の集団が欧州にやってきてるのは分かってるため、起源元の中近東でも狩猟採集民だった基底ユーラシア人が拡散してるのは想像できる。


 この中近東が旧石器時代にDNAから調査できる情報がぽっかりと穴が開いたようになってるのと、同様に東南アジアも豊富ではない。そのため欧州の起源はどこにあるのか?がさっぱり分からない。とりあえずは分からないと言うのが重要。今後発見されれば大きく変わるかもしれない。


 それでも1つ言えるのは、中近東が起源地であったと言うのが違うのではないか?と言う視点。以前はK2Aが東西で出たことで、中近東ですでに誕生していたんだと考えていた。しかしそれなら空白地帯が明らかになる新石器から現代にその兆候があるのではないか?となる。起源地を円とすると、同心円状にY染色体が広がっていくと想像すればいい。


 現代人に何故それが東南アジア人に偏っているのか?中東と欧州は円が広がっていく中で過去のY染色体が上書きされてそれがのちの時代に残ってると見ればいいと言う理屈を考えてる人が居て、これはなかなか鋭いと思えてきた。


 中近東でK生まれてそこから子系統のK2Aが東西に広がったとすることはできる。だがユーラシア大陸全体で見ると円の中心を東南アジアに持ってきたほうが、欧州の絶滅系統新しい系統に上書きされるのが良く分かる。中近東の状態は謎。これは重要、だが仮定の1つとして、中近東も欧州と同じように上書きされたため古いY染色体の集団が残ってないのだと。


 ここから得られる結論は、オアセ、ウスチイシムで出たK2A*は近東で生まれて広がったとして、元となるK2AからNOが誕生して同じような北方ルートで中国北部に入ったとするより、起源地である東南アジアからそのまま東に広がっただけじゃないのか?と見た方がすっきりするとなる。


 とりあえず仮定の結論だが、この問題は中近東で新しく旧石器のかなり古いDNAが見つかれば変わってくる。


 ただ基底ユーラシア人をこってり書いたのは、起源地が中近東なら基底ユーラシア人との混血が旧石器時代欧州人にほとんどないのはなぜなのか?と言う疑問が出る。これは書いてあったわけじゃない私が個人的におかしいと思ったので、中近東は起源地と言うよりインドとの通り道的な居住区にすぎなかったのじゃないか?と見てるからになる。


 尤もこの疑問が出るのは専門家なら当たり前なので、基底ユーラシア人はシナイ半島と言うよりもっとエジプト寄りの北アフリカにすんでいたのじゃないか?と言う見方もある。無理やり接触しない状況を創るための仮定じゃないかな?と多少違和感があるのは確か。ただ古い時代ある程度偏って住んでいたというのは同意。


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