8.黒猫の正体
「~~ッ!?」
彼女は大きな紫色の瞳をしていた。
長い黒髪に大きなアクセサリーを携え、頭には猫耳なんかを生やしている。
睫毛は長く、整った顔立ち。靭やかに伸びた手足がスタイルの良さを際立たせていた。
尻尾までしっかり生えているあたり、これが獣人ってやつなんだろうか?
黒猫が私をどうやって“引っ張った”のか気になっていたけど、その犯人が獣人だったなんて聞いてない。
あの黒猫はどこにいった? なんで目の前に急にこの娘は現れた!?
混乱した私は高速で後ずさり、ゴツンと頭が壁にぶつかってもなお相手から目が離せなかった。
「驚かせちゃったわね。そんなに怯えないで? 私はアナタに危害を加えたりしないから」
彼女はそう言って前かがみになり、ニコリと微笑んでくる。
私に視線を合わせるためだろうけど、前かがみになったせいで立派に実った乳房が強調されていた。くそう、無駄にスタイル良いなこいつ!
私だって人間だった時はもっと……って、今はそんなことどうでもいい。
「だっ、誰なのアンタは!」
「……あっ! そうか……そうよね、イキナリ訳が分からないわよね」
私が放った当然の疑問に答えるように、彼女は納得すると瞳を閉じる。
一瞬彼女の身体が光ったかと思うと、グニャリとシルエットが歪み。
そして気がつけば、そこには黒猫が佇んでいた。
「……は?」
「説明が遅れたことをお詫びさせて頂戴。私は<人化の術>というスキルを使えるの。いきなり目の前に知らない相手が現れたから、アナタのことを混乱させちゃったわね」
人化の術? ヒトになれるってこと? ……じゃあいま目の前にいる黒猫が、あの獣人?
何でもありな状況に、驚愕を通り越して呆れそうになってしまう。
でも、よく考えたらここはそういう世界だ。現実を受け止めるしかない。
「……い、いやゴメン。こっちも失礼だったかも」
そうと分かればいつまでもこんな態度を取り続けるのは忍びない。
私は壁から背を離し、彼女に向けてペコリと頭を下げる。
「うふふふ。じゃあお互い様ってことで」
私の言葉を聞いて、黒猫はえらく上機嫌にニコリと微笑んでみせた。
成り行きで妙な猫と知り合いになってしまったけど、私には気になっていたことがある。
「ところで」
「なぁに?」
「ゴブリンに何かを必死に訴えていたみたいだったけど。何をしてたの?」
ストレートに質問をぶつける私に、彼女は気まずそうに視線を反らす。
想像していた反応と違う。え、何かやましいことでもあるんだろうか?
「あ、あー……。笑わないで聞いてくれる?」
しかし、予想に反して話してくれるらしい。私はこっくりと頷く。
「あのね、実は私が人語を話せるようになったのは最近なのだけれど。……モンスターでも人語を扱えるということは、モンスター同士でも分かり合えるんじゃないかと思って」
「え、ええ?」
照れくさそうに彼女は言った。え、つまりこの娘は他人と仲良くなりたいとかいう、そんな理由で手当り次第に声をかけていたってこと?
危険も顧みず、私に敵意はないから仲良くしましょう的な?
「そ、それで収穫は」
「……なかったからあんなことになっていたというか」
まぁ、そうだよねぇ。
予想通りだったのに、私の真ん前で露骨にため息をつくもんだから反応に困ってしまうな。
そんな私の微妙な表情を察したのか、黒猫は慌てて言葉を付け加える。
「でも、でもね。こうやって初めてアナタみたいな子と出会えたの。そういう意味では、自分のした行動に後悔はしていないのよ?」
「そ、そういうものかな?」
「そういうもの。この世界に来てお友達がいなくって、心細くってね。つい色々な子に話しかけちゃって……。だけど、意志の疎通がとれなくて、話しかけただけで襲われたりもしてね」
襲われた、か。それも一度や二度ではないんだろうけど。
言語を取得しなきゃ何言ってるか分かんないし、そもそも相手がただの経験値にしか見えない相手だっているしなぁ。
「だから初めて会話ができる相手が出来て、私はとっても嬉しいの。本当よ?」
「……」
彼女は、そう言ってニコリと笑った。
会話、か。こっちに来てから、あんまりそういうことを考えたことがなかった。
勿論、最弱種族に生まれ変わって、必死で、そういうことをする余裕がなかったのもある。
だけど、それだけじゃない。
今までは自分から求めなくても、みんな勝手に私の周りに集まってきて……そしてそれが煩わしかったから。だから考えなかったのかな。
私の本質は後者なのかもしれない。
「私はマリン。アナタは……お名前を聞いても良いかしら?」
マリンと名乗った黒猫は、首をかしげて私に問いかけてくる。
二股に別れた尻尾を揺らして、興味津々な様子で。
この子はなんで私に近づいてくるんだろう。今の私はスライムだ。
見た目が良いワケでもなければ、強さを持っているわけでもない。
こんな私に近づくメリットは何もないんじゃないかと。そう思うと頭の中が疑問符だらけになる。
「……コユキ」
『“ハイスライム”の固有名が“コユキ”に決定されました。』
いつものアナウンスが、会話に割り込むように脳内に響く。
あぁ、うん。そういえば初めて名乗ったからね。オッケー。
微妙な表情の私を差し置いて、マリンは私の名前を聞いてうれしそうに顔を綻ばせている。
そして一歩私に近づくとその前足を差し出して、言った。
「コユキちゃんね! うふふ、初めてお友達ができて嬉しい! よろしくねコユキちゃん」
握手のつもりだろうか。
私、手ないんだけど……。拒むのも何だか失礼なので、額をコツンと近づけて握手の代わりとすることにした。
これで良いのかとは思ったけど、当の本人は満足そうだから良かったんだろうきっと。
「今日はもう遅いでしょう? だいぶお疲れみたいだから寝床に案内するわ」
マリンは踵を返し、『ついてきて』と言わんばかりにこちらを見ている。
いい加減疲労が溜まっていた私には、寝床を用意してくれるのは有り難い申し出なんだけど。
頭の中に引っかかる疑問を無視することはできない。
私は彼女の目を真っ直ぐ見つめて問いかけた。
「え、あ。ありがとう。それは願ったり叶ったりなんだけど……」
「だけど?」
「どうして見ず知らずの私に、こんなに良くしてくれるの? 私が悪いやつなら襲われる可能性だってあるのに」
私の質問を聞いて、マリンは一瞬きょとんとした後。
前足を口元に持ってきて、少しだけ考えるような仕草をしてからこう答える。
「それは、私だって誰彼構わずではないわよ? でもこうやって会話できるんだもの。きっとあなたも元はヒトなんでしょう? それに」
マリンはわずかに目を細めて、こう続けた。
「あなた、悪い子には見えないもの」
◇
マリンの後ろについて、洞窟の中を進むことしばらく。
彼女の魔力により、あちこちでキノコが発光しており周辺の灯りは確保されているのはとても助かった。
おかげで壁にぶつかったりしなくて済む。
ただし、中は複雑な作りで分かれ道だらけだ。
「随分複雑な道だけど、よく迷わず進めるね?」
「初めての子はそう感じるかもしれないわね。私はこの洞窟を拠点としていたからすっかり慣れちゃったわ」
慣れるだけでこんなにサクサク進めるものかとも思ったけど、黙っておいた。
多分マリンの空間認識能力みたいなものが優れているだけだと思う。
ふと気になったので光るキノコに<鑑定>を使ってみたところ、どうやら『発光茸』という名前らしい。
魔力に反応して、一定時間だけ光るキノコなんだとか。まんまだな。
「着いたわよ?」
<鑑定>の文章を読みながら難しい顔をしている私にマリンが声をかける。
……が、そこはただの通路に見えた。何か部屋があったりするようには見えない。
「……何も見えないけど」
「うふふ、待っててね」
そう言ってマリンが壁に手を当てると、私の目の前でマリンが触れた部分がぐにゃりと歪む。
なんと壁だと思っていた部分に通路が現れたじゃないか。そんなのアリかよ。
「おおう……凄いねこれ」
「<幻惑>の魔法がかかってるわ。敵対するものから見つかりにくくする魔法。魔法レベルが上がれば他にも色々できるんでしょうけど、私のはまだレベル1だからそれくらいしかできないのよね」
ふーむ、と感心してしまう。幻惑の魔法かー。追々は相手を洗脳したりもできるんだろうか?
<幻惑魔法>なんて取得スキル一覧になかったから、猫又種族の専売特許なのかな。
<人化の術>といい、固有スキルが有用そうなものばかりで羨ましい。
「とにかく、早く中で休みましょう。流石に私も疲れちゃったわ」
今は断る理由もないし、他にアテもない。素直に従っておくのが吉だ。
私は小さな入口をくぐり、マリンの隠れ家にお邪魔することにした。