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腐敗した思い

作者: ぽん

 この街には誰も近づかない川がある。腐った匂いと底に溜まった枯葉と藻。数十年前に人が殺されて流されたという噂まである。Y県のどこらともなく流れてきた水は跡形も無く違う街に運ばれていく。私は医者である。私の小さな病院はその川の近くにあった。昼間は強い日差しのため、藻の匂いが辺りに立ち込めていた。窓のクレセンド錠を回し、ブラインドを閉めてようやく安心して患者を入れることができる。医者になっても、私の腰の痛みは消えることはなかった。

 Κ

 ある日の夜、最後の患者を部屋に入れた。青いキュウリの様な男は覚束ない足取りで回転椅子に座った。目が落ち窪んで、キョロキョロと辺りを見回す。膝が小刻みに痙攣して、口が渇くのかパクパクしている。

「先生は、河童って信じますか」男はベロを突き出す様に言った。私はしばらくカッパという言葉と河童という言葉が結びつかず、考え込んでしまった。

「河童ですか。あの河童ですよね。知ってますよ、水木しげるとかが描いてるアレですよね。頭が禿げてて、緑色でキュウリが好きな動物みたいなやつですよね。あれがどうしたんですか。私は信じてますよ。架空の生き物とか好きなんですよ。サンタクロースってどっちに入るですかね。私は、サンタクロースは架空の人だとは思ってないんですよ。ほら、北欧に実際にいるじゃないですか」私の話は、その後も長々と続いた。男が落ち窪んだ目を向けて黙る様に諭していたのに気がついて赤くなった。

「僕は今日、お腹が痛いとか、熱があるとか、そういったことでここにきたわけではないんです。いや、一応、腹痛とは書きましたよ、でもそれは信じてもらえないと思ったからで。先生は河童を信じてると仰いましたね。実は、僕は河童に呪いを掛けられてしまったのです。とても酷い呪いで、毎日キュウリのことしか考えられんのです。今も喉が渇いてしかた無いのです。キュウリが食べたい、ぁぁキュウリが食べたい。あんな事しなければ良かった。あいつがいけないんだ。僕を闇金に連れて行こうとしたからだ。ぁぁキュウリが食べたい。キュウリが食べたい」男はフラフラしながら私に近づき、肩をがっしり掴んだ。そうして、大きな口を開け、私の頭に噛み付いた。唾液がツーと頭から滴り落ちる。「な、何をするんですか」私は男を殴り飛ばした。男は白い壁にぶつかって倒れた。男は血を流さなかった。目玉が萎み、頭から水がポタポタと流れ始めた。男の死亡を医師である私は確信した。

 A

 私は急いでカーペットに男を包み、台車に乗せた。電気を消し、あたりに誰もいないことを確認してから、裏口を開けて外に出た。強烈な藻の匂いが現実であることを痛感させた。私は、ふとこの川に男を捨てることを思いついた。誰も近寄ることのない川。ここで釣りをすると腐った魚が釣れるというぐらいだから、簡単に跡形もなくなるだろう。私は、台車を川に寄せて、カーペットごと川に勢いよく放り捨てた。死体は放物線を描き、闇の川にどぷんと沈んだ。私は恐ろしいくらいに落ち着いていた。今であれば、肝臓の移植をミスなしで執刀できる程度の落ち着きだった。しかし、その落ち着きは、一瞬で焦りに変わった。川の底から河童が這い上がってきたのだ。捨てた死体を抱えて。

 P

「よっこらしょ。いや、勝手に死体とか捨てんなよな、俺の住処なんだぜ。ちょっとは考えろよ。」河童は私の胸辺りを小突いた。意外にも、河童の手は臭くなく、そして生暖かった。

「すみません。あなたのことも考えていませんでしたね」

「そうだ。人のことを思いやることができて初めて人間だろ。人間は協力の心を持ってるんだ。まぁ俺は人間じゃなくて河童なんだけどな」河童は腹を抱えて大笑いを始めた。私もそれに同調して、地面を笑いながら転がり続けていると、河童は急に台車で私を叩き始めた。何回も、何回も。「ぎゃ、痛い。痛いです。やめてください。謝りますから、死んじゃいます。痛い、痛い」台車の持ち手が外れたところで、河童は曲がった台車と死体を川に捨てた。死体は高瀬舟の様に下流に流れていった。満月がちょうど雲に隠れ始めた頃だった。

 P

「あの男もそうだったんだ。青い顔してよ、車のトランクから知らない男引っ張り出してよ、この川に投げ捨てやがった。俺が川から出てくると石を投げつてくるんだぜ。カッとなって俺が呪いをかけてやったら、今度はこいつがこの川に捨てられやがった。皮肉なもんだぜ。そうだ、今度はお前に呪いをかけてやろうかな。今結構ムカついてるしな」私が真顔でいると、「冗談だよ。まじになんなよ。つまんねーの」と言ってまた笑った。私は今度は笑う気になれなかった。確実に折れた右腕を抑えながら、河童が笑い終わるのを待った。河童はひとしきり笑い終わると、川に戻った。解放されたと私は思ったが、そうではなかった。河童は一升瓶を持って戻ってきた。

「酒だ。暗い顔すんなよ。人間誰しもそんな時はあるからさ。ほら、川に流れてきた日本酒を一緒に呑もうぜ。何?右腕が痛くて動かない?左手で呑めばいいじゃねぇか。あぁもういいや、俺が呑ましてやるよ。ほら、泣くほどじゃねぇよ」河童は、私の口に無理やり一升瓶を押し込んだ。口から溢れ出た酒を河童は長い舌でベロベロ舐めてきた。ぞわぞわと震えるのを感じた。酒が弱い私はすぐに赤くなり、後ろに倒れた。満月がちょうど私たちを見つめ始めていた。

 A

 差し込む日差しと小鳥の囀りで目が覚めた。誰かと酒を呑んだのか、分からない。私が記憶をなくすぐらい酒を吞むというのだから、おそらくかなり親しい人間だろう。私は、足を引きずり洗面所に行って顔を洗った。いつもよりも少し顔が青いか?薬でも飲んでおくか。今日は何人の患者が来るだろうか。

 

 ぁぁキュウリが食べたい。

 

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