戻らない時間
桜は舞っていた。
過去から未来へ。あの時と同じように。
「結局…僕は新を探し出せなかった」
気がついたら新は消えてしまった。
どれだけ呼んでも、返事はなかった。
「一週間後、新は見つかった」
「見つかったのか?」
今まで黙って話を聞いていた主音は言った。
「ああ」
「どこにいたんだ?」
「桜の、木の下で。……死体になって」
主音の息を呑む音がした。
「亡くなった…のか」
僕は静かに頷いた。
「犯人は…?」
「見つかったよ。…見つかった」
犯人は四十代の男だった。家族はおらず、あちこちを転々とし暮らしている人間だった。あの時、たまたま桜を見にあの場所へ行ったらしい。
「動機はなんだったんだ」
主音が暗い声で言った。
「なかった。たまたま、目についた。それだけだった」
男は桜を見にあの場所へ出かけた。そして偶然少年を見かけた。見つけてしまった。その時も桜がはらはらと散っていたと言う。まるで少年を祝福しているかのようだった。自分でもどうして子供を殺してしまったのか説明できない。ただ抑えきれない衝動が沸き上がったのだと男は自供した。
全て警察から伝え聞いた話だ。
再び沈黙が落ちた。
「なあ主音。そんなことってあるか?犯人は、理由すらもなかったんだ。特別な理由も何もなかった。それなのに新は殺されたんだ。未来を、奪われたんだ。そんな理不尽なこと、あるか。あっていいのか?」
主音は何も言わない。
「犯人が捕まって、警察が現場検証して、葬式を出して。それで終わりなのか。それで、おしまい?」
何も終わってない。僕は終わらない。この気持ちを、どこに向けたらいいのかすら未だに分からない。平穏な日常が確かにあったはずなのに。新はもうどこにもいない。あの日を境に僕は元の生活には戻れなかった。
僕の中で世界は変わってしまった。
「もし、こんな理不尽なことが当たり前だっていうのなら…!それが当たり前の世の中の方が間違ってる!そうだろ!!」
僕は吠えた。桜に向かって。主音に向かって。世界に向かって。
この世界の理不尽が、どこまでも追いかけてくる気がする。それは桜の花びらであり、新の周囲の人間の涙であり、テレビをつけるとやっている悲しい事件の声なき声でもある。
「……」
主音は黙っていた。どう声を掛けて言いのか迷っているようだった。
「だから、桜は嫌いなんだ。僕はこの花を見るたびに新のことを思い出す」
目の前の花を見ながら僕は告白した。
桜は狂ったように花びらを散らせている。
あの時。僕が新を一人にしなければ。
そもそも桜を見にいかなければ。
あの場所を提案しなければ。
桜に、見惚れなければ。
握りしめた拳が痛かった。
けど、そんなものより遙かに心の方が痛かった。
桜を見るたびに思い出す。
もう彼がどこにもいないことを。
あの日から、「桜」は僕にとって彼を思い出す花であり、理不尽な世界の象徴になった。
美しければ美しいほど、儚く散れば散ってゆくほど、人が桜を見て「綺麗だ」と賞賛するほど、僕は桜を嫌いになった。
――ああ、少年が駆けていく。
もう二度と戻らない時間がそこにはある。