Data,3:話し相手になってくれませんか
翌日のバイト先である喫茶店で、もうすぐ午後三時になろうとしていた。
客が帰ったテーブルを片付けながら、悠貴美誠は何気なく窓の外を見ると、その彼女を意識するかのように突然どしゃ降りの大雨が降ってきたのがその雨音で、嫌でも気付かされた。
「ぅわマジか。もうすぐ上がりなのに、傘持ってきてねぇから止むまで帰れねぇじゃん」
口の中で小さくぼやいていると、透明ガラスになっているドアが開き、入店する客でドアベルが鳴った。
「いらっしゃいま――あれ?」
思わずそう口にする美誠の視線の先で、突然大雨に降られて慌てて飛び込んできたであろう客が、少し濡れたスーツの水滴を手で払っていた。
ある程度落ち着いてからその客は、店内を見渡しながらふと美誠で目を留める。
「おやあなたは……」
「あ、はい。昨日はどうもです」
相手に声をかけられて美誠は、ぺこりと頭を軽く下げると空の食器が乗ったトレイをカウンターに運ぶ。
「空いている席へどうぞ」
相手に言うとエプロンのポケットから注文表を手に、その相手が座った奥の席へと歩を進める。
美誠の存在に客は、ニコリと笑顔を見せた。
「昨日うちの学校に見学に来られていた方ですね。ここで働かれているのですか?」
相手は、昨日の英会話教室で一瞬だけ顔を合わせた、あの美しい外国人だった。
長身にスーツの良く似合うその男性外国人は、昨日は後ろ一つにまとめていた長い金髪を今日は結ばずに下ろしている。
「ええ……と言ってもバイトですけど」
「偶然ですね。たまたま入った店であなたがバイトをされていたとは。思いの他こんなにも早いうちにまた機会があった」
流暢な日本語で口にすると、柔和に微笑みかける。
「今日は学校じゃないんですか?」
「今日は日曜日ですからね」
「あ、そうか」
そういう会話をしているうちに、店の人から上がりの声がかかる。
「悠貴さん、もう上がっていいよ! お疲れ様!」
「はーい! お疲れ様でーす!」
店の人にカウンターに向けて返事する美誠。
「おや。今日はこれで終わりですか?」
「はい、まぁ……」
美誠は胸元に店名のロゴが入った、茶色のエプロンの紐を解きながら短く答える。
「この後何かご予定でも?」
「別に……真っ直ぐ帰るくらいでこれと言って何も」
「しかしながらこの大雨ですからね。雨が止むまでの間、少し私の話し相手になってくれませんか? 一人で店に入ったもののこれもなかなか寂しく感じるものですから」
「話、相手……」
美誠は少し言葉を濁す。
それは人見知りなところがあるからだ。
しかし強引にも店の従業員にアイスコーヒーを二つ、勝手に頼まれてしまった。
「あ、アイスコーヒーでもよろしかったですか?」
外国人男性は言いながら、座っていた腰を持ち上げる。
「う? ん、はぁ、まぁ、別にいいですけど……」
歯切れの悪い返事をする美誠。
「ではどうぞ」
気が付くと彼は椅子から立ち上がって、向かいの席の椅子を引いていた。
「は?」
「お座り下さい」
「どうも」
これがかの有名なレディーファーストとかってヤツか?
さすが外人……。
などと思いながら、美誠はぎこちなさそうにその椅子に座る。
彼はそれを確認してから、自分の席に戻る。
「そう言えば話し相手に誘っておきながら、まだ名乗っていませんでしたね。私の名前はラフィン=ジーン・ダルタニアスです。あなたは?」
「えっと……ゆ、悠貴……美誠です」
「ファーストネームがミコト、ですか?」
「はい」
「ではミス・ミコト。わざわざ私のわがままにお付き合い頂きまして、ありがとうございます」
「いえ……」
どうにも“ミス”付けが馴染みにくい。
「しかし日本は素晴らしい文化を持つ国ですね。この国に来て一ヶ月が過ぎましたが、随分心が和まされてばかりです」
「ん……えっと、ダルタニアスさん、でしたっけ?」
「はい。そうですよ」
「その、どこの国から来たんですか?」
「イギリスです」
「どうして日本に?」
見ず知らずどころか相手は外国人なのだ。
話し始める内容としては、これが一般的だろう。
するとそれまで軽快に語っていた彼が、珍しく口ごもった。
「そう……ですね……」
「あ、何かマズイことでも……」
戸惑う美誠の様子に、ラフィンは慌てて笑顔を戻す。
「いえ構いませんよ。その何て言うか……そう、少し……心が休まる所に行きたくて。たまたま来た国が日本だったと言うべきですかね」
「ふぅん。たまたまな割には随分日本語が上手いですよね」
「……あなたはなかなか鋭い所を突いてくる」
「?」
その間にコーヒーがやってくる。
美誠はその従業員に軽く頭を下げてから、コーヒーを受け取る。
「まぁ……物心がついた時からいくつかの国の言葉が話せるようになっていたのです」
物静かに語る彼の言葉に、突然美誠が声を上げる。
「うへぇ! スッゲーな! ムチャクチャ頭いいじゃん!」
「……」
これに我に返ると美誠は、気まずい表情を浮かべた。
「あ……すみません。普段言葉遣いが悪くて、つい……」
「クスクス……いえ、構いませんよ。クスクス……」
「笑いすぎです」
言いながら美誠は、次第に顔が赤くなってくる。
羞恥心に苛まれ始めたらしい。
「ああ、すみません。突然だったので思わず愉快になってしまいました。ですが今の反応であなたと言う人物を少し知ることができたので、嬉しいですね」
美誠はアイスコーヒーにシロップとミルクを入れてから、ストローでかき混ぜつつ冷静さを取り戻す。
「普段こんな長いこと敬語っつーか丁寧語みてぇな会話……したことなかったものだからつい……」
ラフィンはブラックのままのアイスコーヒーを一口飲んでから、テーブルの上に置いた。
「いえいえ。別に構わないではありませんか、それで。私は別に堅苦しい会話をするつもりはありません。普段通りにあなたはお話して下さっても結構ですよ。私もその方が親近感があって嬉しいですしね」
「そうッスか? それじゃあ……」
ラフィンに促されて、早速本来の言葉遣いになる、切り替えの早い美誠であった。