4-3
陸は、元々から運動神経は人並みにはあった。外で遊ぶ方が好きで、ほとんど毎日外で走り回っていた。
だから蟲を植え付けられた時、なんとなくいつもの数倍早く動けるようになったような気がする。という感覚をつかんでいた。
実際そうであった。いつもが重りをつけて走っている。とするなら、蟲を植え付けられた今。その重りが外れ、さらに羽でも生えたかのように軽くなっていた。
時間としてはほぼ数秒で、陸は次海の目の前にたどり着いた。構えた木刀を勢いよく上に振り上げて、そのまま下に振り下ろす。
狙った場所は肩だ。流石に頭を狙うなんてことはできない。しかし、死ぬことはおそらくはないと思うのと、次海に個人的な恨みもあるので肩をめがけるのにも遠慮はあまりなかった。
だが――
「遅いにゃ」
「なっ……!?」
振り下ろした木刀は地面を叩きつける。それと同時に背後から次海の声が聞こえてきた。
ドンっとおそらく木刀の持ち手部分で陸の背中は小突かれる。痛みは思ったよりなかったのも、蟲を植え付けたお陰なのだろうか。
陸は慌てて転がって距離をとる。リュウジが「一点」と言ってるのが聞こえて、陸は立ち上がる。
まだ一点だ。と自分に言い聞かせる。そして木刀を構えると次海が笑ってるのが見えた。
「少年。確かにまぁ、思ったよりは早いにゃ。点数つけるなら、40点に。あぁ、これは平均より高いにゃよ。自信持つにー」
「……そうですか」
「そしてこれが……」
だんっ。と、音が聞こえた。それだけだ。
「……なっ!」
次海が目の前にいた。その速度は、陸のほとんど一瞬なんかとは比較にならない。むしろさっきの速さは確かに40点かそこらの速さだった。
がんっ!!と今度はわき腹に木刀がめり込む。かはっと口から唾を吐き出し、陸はその場に膝をついて倒れ、何があったかを頭の中で理解しようとする。
「60点の速度にゃ」
次海の声が背後から聞こえた。陸より速い速度で、陸より鋭い一撃を、次海は軽々と打ち込んだ。
それだけでわかる。自分と彼女の差は歴然だと。
口についた唾を拭い、陸は震えながら立ち上がる。幸いして痛みはそこまで大きくはない。まだ立てる。まだ、動ける。
「にゃふふ……まだ立つに?」
「もちろん……まだ、行ける!」
「……80点、行くにゃ」
風が爆発したような音が聞こえ、次海のツンとしたにおいが陸の右横にすぐに出てきた。先ほどよりはるかに早く、陸は反応よりも先に一撃がわき腹にめり込む。
倒れそうになるが、無理やり踏ん張り倒れない。陸は次海はもう移動して一撃をまたうち当ててくると考え、今度は左に木刀を払う。
だが、今度はガラ空きになった背中に、次海の蹴りが入る。勢いがありすぎたせいか、陸は不恰好に顔から前に転がった。
「少年に足りないのは、情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ」
情熱。その一言が聞こえた時、陸の胸に木刀の柄の部分が突き刺さる。無理やり空気と唾を吐き出され、陸はその場にうずくまる。これで五点。
思想。その一言が聞こえた時、うずくまる陸を次海が木刀で上に弾く。顎に直撃し、脳が揺られ一瞬意識が飛んでしまいそうになる。これで六点。
理念。その一言が聞こえた時、陸は地面に激突する。痛む身体を抑えながら、顔を見上げる。
頭脳。その一言が聞こえた時、陸の額に木刀が突き刺さる。がんっ。という音と響く痛みは、陸の目から涙をこぼさせるのには十分だった。これで七点。
気品。その一言が聞こえる前に、陸は立ち上がる。そして、構えた木刀を次海に向かって突き刺した。
優雅さ。その一言とともに、次海は陸の攻撃を横に少し体をずらすだけで避ける。そして、流れるように、陸の肩に木刀を打ち込んだ。これで八点。
勤勉さ。その一言が聞こえた時、陸は片膝をつく。だが次海はもちろん容赦はせず、陸の背中に木刀を強く叩きつけた。これで九点。
「くっ……」
「そして何より、速さが足りんにゃ」
陸は地面に倒れ伏してしまう。立ち上がろうにも、それより先に次海の木刀の先端が陸の後頭部に当てられてしまっている。
チョンっと優しく次海は陸の後頭部を突く。暫し、沈黙の時間が流れた後、リュウジが口を開けた。
「十点。終わりです」
「にゃふふ」
陸は動けなかった。次海の圧倒的な力の前には、彼は何もできず、何もさせてくれない。陸は己の弱さを呪う。
初めての体の動きになれない。というのもあるだろう。だが、それだとしてもこんなに完膚なきまでに叩き潰されるのだろうか。
次海は相変わらずニヤニヤと笑っている。陸は木刀を杖代わりにしながら立ち上がり、そして構える。
「……もう一回!」
「にゃふ。了解にゃ」
まだ、特訓は始まったばかりだ。
◇◇◇◇◇
「お。やってるねー」
「あ、お師匠!」
数十分後、白いポニーテールを揺らしながら、アルツが特訓場にやってくる。手には缶ビールを握っており、それはすでに開いていた。
ゴクリとビールを飲みながら視線を特訓場に向けると、ボロボロになって倒れている陸と、木刀を支えにしながら退屈そうにあくびをする次海の姿がある。
「馬鹿兄貴……」
そんな声が聞こえ、その声を目で追うとそこには空がいた。彼女は少し青ざめた顔で自分のスカートをぎゅっと握りしめている。
彼女はおそらく陸のことが心配なのだろう。あんな態度を取っておきながら、健気だな。と、アルツは聞こえないように笑い声を出す。
「どうして、次海があそこまで強いか教えてあげようか?」
「あえっ……」
突然声をかけられて、空はまるで不審者にあったかのような態度をとる。アルツはくすくすと笑いながら、横に座り込む。
ゴクッと缶ビールを飲む。喉を通るとビール特有の気持ちよさがありこれが喉越しなのだろうか。という感傷に浸れる。
口に含んだ分を全て飲み込んだ後、口を拭う。そして、未だにキョドキョドしている空の方を見て、口を開けた。
「対魔蟲師は蟲を埋め込んで強くなる。それは、知ってるよね?」
「……あ、と……」
「はいはーい!助手ちゃんは知ってるのです!」
助手が元気よく手をあげるのを見て、アルツはウンウンと頷き、そのまま自分の方に抱き寄せる。
助手は、今では自分の娘のように可愛い。もし目に入れても、痛くはないかもしれない。
「お師匠お酒臭いのです~!」
「ははは。これが師匠の愛なのさ!」
「……で、続きはなんですか?」
空に続きを促されて、アルツは「おっと」と言いながら、こほんと空咳をする。
「蟲1匹で人間はかなり強くなる。では、それを増やしたら?」
「はいはい!もっと強くなるのです!!」
「正解っ!さすがは私の可愛い助手だ……!」
「えっ……ということは、次海さんは……」
そこまで言いかけた、空の口を、アルツは指で押さえた。チッチッチッと口の中を鳴らした後、彼女の言葉を遮る。
チラリと缶ビールの中身を見て、彼女はそれを全て飲み干す。空になったのを、地面の上に置き、アルツは口を開けた。
「次海は10匹だ。10匹の蟲を埋め込んでいる。単純に陸くんとの力の差は10倍か、それ以上だろうな」
「んな……!?それじゃ、これって、勝ち目のない戦いじゃないですか!?」
空はそう言って、立ち上がる。が、すぐに顔を赤くしながら「すみません」と言って座り込んだ。
アルツは「気にしないでくれ」と会う言葉をつけた。空はもう一度頭を下げていたが、アルツはもうそれは見ていない。
彼女の視線の先は、特訓中の陸たちの姿が映る。もう何百発か体に棒を打ち込める厳しい特訓。
確かに、これは勝ち目のない戦いだ。単純に考えるならば、先日戦い方を教わった新人の歩兵と、何年も戦ったベテランの兵士が運転する戦車が戦うようなもの。
別にこれは次海の性格が悪いわけじゃない。彼女も何度か新人教育を軽くしたことがあるらしいが、その全ては、きちんとした段階を踏んで教育をしていた。
ならばなぜ、陸にだけここまで厳しく当たるのか。それは、少し前彼女がアルツに対して話していたことに繋がるのだろう。
にわかには信じがたいのだが、陸は確かにそれをやってのけたらしい。ならば、次海が教育に全力を出すのも頷ける。
「おや、休憩もそろそろ終わるようだよ」
アルツは立ち上がる陸たちを見て、そう言葉をこぼした。陸は息を吐き、震えながらも木刀を構える。
蟲を埋め込まれた人間は耐久性も跳ね上がる。木刀ごときで死ぬようなことはほとんどないだろうし、無理を通しても寝れば治る。
とにかく、ドクターストップはかけれない。という意味合いを込めてこちらを懇願するような目で見る空に視線を向けた。
空は諦めたのか、目をそらした。残酷なことをしている気持ちはあるが、それでもアルツは止める理由がないのだから、どうしようもない。
「さて、陸くんがどう動くか……ふふふ、見ものだ。こんなことならもう一本、缶ビールを持ってきても良かったかもしれないね」
アルツはそう言って小さく笑った。地面の上においてあった缶ビールはコトンと音を立てて倒れる。中に少し残っていた液体が、ゆっくりと地面に溢れて染み込んでいくのだった。
◇◇◇◇◇
「はぁ……はぁ……くそっ」
(にゃふ……)
次海は目の前にいる陸を見て、聞こえないような大きさのため息をこぼす。彼の全身には木刀を打ち付けられてできた打撲の痕が無数にあり、見るだけで痛々しい。
だが次海はそのためにため息をこぼしたわけではない。ただたんに、期待外れだった。ということだ。
「少年、今日はもうやめないかにゃ?」
その言葉に対して、陸は木刀を構えることで応える。まだ続けるのか。次海は今度は聞こえるような声でため息をこぼした。
陸がここまで負けず嫌いだったのか。そう思いながら、あの時のことを思い出す。
(……少年は私の攻撃を避けた)
あの時。陸の父親を殺そうとしたのを邪魔されたから、陸を殺そうとしたあの時だ。その時の斬撃を陸は避けた。蟲の補助がない、ただの少年で、だ。
あの時の攻撃を手を抜いた気などない。確実に殺すため。いうならば100点の速度で陸を斬り殺そうとした。だが、彼は避けたのだ。
だから期待してたのに。
「ま。次で終わりにゃ。お姉さんも疲れたに」
「……っ」
もうめんどくさい。一瞬で終わらせようか。次海は木刀を振るう。その風圧でか、地面に生えている草が切断された。
トンッ。トンッ。
何度かかかとを踏み鳴らす。静かな森の中に響くそれは、場の緊張感を高めていく。
トンッ。
場の緊張感が最大まで来た。と確信した瞬間、次海は駆け出した。その速度は目で見ることが困難なほどであり、彼女風にいうならば。
100点の速度であった。
◇◇◇◇◇
このままじゃダメだ。
陸は次海と戦っているとき、そう考える。このまま負けてばかりではダメだと。
何度も何度も打ち負かされて、殴られた回数はおそらく100を超えた。その度に、自身と次海の圧倒的な実力の差に乾いた笑いしか出てこない。
だが、だからと言って諦める。というわけにはいかない。せめて一太刀でも入れないと意味がない。
(そうだ……)
これは超えないといけない試練だ。
だからひるむわけにも諦めるわけにもいかない。木刀を構え、息を整える。体の悲鳴なんて、聞いてる暇なんてない。
「ま。次で終わりにゃ。お姉さんも疲れたに」
「……っ」
次海の声が聞こえる。彼女の声はどこか呆れが含まれてるようで、陸はむねにすこしとげがさしる。
トンッ。トンッ。
彼女がその場でかかとを踏む音が聞こえてきた。陸は思わず一歩後ろに下がってしまうが、その足は一歩で止める。
その軽い音は突然止まる。しばしの沈黙。それを突き破るヒュンッという短い風を切る音。その瞬間、陸の体には数発の木刀の打撃が打ち込まれた。
「ガァッ……!」
「3発にゃー……次で終わりにゃ」
三発。あの一瞬で打ち込まれたというのか。陸はもう笑うしかできなかった。彼女に一太刀でも入れようというのが、間違いだったのか。
もうやめようか。諦めて明日以降に身を委ねた方が身も心も楽かもしれない。そう思い、目を瞑ろうとした。
そのときだ。
「頑張れぇえ!馬鹿兄貴ぃいいぃぃ!!」
「っ……」
空の声が聞こえた。それは、陸に力。なんて与えてはくれない。けれど、陸は一つ確信できることを見つけたのだ。
空は、俺を応援してくれてる。
それだけで立ち上がるには、諦めないの理由になるには十分すぎるほどだった。陸は閉じかけた目を開けて、息を吐く。
トンッ。トンッ。また同じようにかかとを踏む音が聞こえてくる。その音は陸の耳を通り抜けて、頭の中に直接響く。
ダッ。風を切る音が聞こえ、目の前にはもう次海の木刀が見えた。陸はそれを見た瞬間、体を少し右にずらす。
「なっ――!?」
「ぬおっ……!」
スカッ。そんな音が聞こえた気がした。次海の木刀は空中を切り、地面に激突する。彼女は一瞬だけ驚いたような顔をした。
だが次海は流れるように体を回転させて木刀を横に薙ぎ払う。陸はそれをしゃがみ、避ける。髪の毛がかすれた音がしたが気にしない。
そのまま木刀をつきあげようとしたが次海はもうその場にいない。一瞬で後ろに回り込み背中に一太刀を食らう。
倒れそうになるが陸は転がりすぐに立ち上がる。目の前には動きを止めようとしない次海が縦横無尽に駆け巡っていた。
呼吸を繰り返す。そして、木刀を構える。次海はそれを待っていたかのように、陸に斬りかかった。
目では追えないその速度の攻撃を、陸は避ける。何度も、避ける。横から来るならば後ろに下がり、上から来るならば体をずらし、一つ一つ。丁寧に避ける。
「っ……やるにー!!」
「はぁ……はぁ……!」
次海が笑った。しかし陸にはもちろん笑う余裕なんてないし、体力ももうない。
立たないと。そう思って踏み込んだ時、ぐらり。と、視線が揺れる。陸は思わず「あっ」と間抜けな声を漏らした。
その瞬間を、次海が見逃すわけがなく——
ドガァ!
脇腹に次海の木刀が突き刺さる。そのあとは早かった。流れるように次海の打撃が全身に突き刺さる。
合計七発決められたとき、陸はもう数えることもできなくなり、ふらりとその場に倒れこむ。
後ろから聞こえる空の叫び声を、聴きながら彼はフッと意識を手放したのだった。
◇◇◇◇◇
やりすぎた。
木刀にべっとりとついた血を見ながら、次海ははははと笑う。ボロボロになった陸に助手と空が駆け寄り、声をかけ続けている。
死ぬことはないだろう。現に寝息はここまで聞こえている。ただ、やりすぎたことには変わりない。目が覚めたら謝っておくか。
「……やりすぎですよ、次海さん」
リュウジが控えめに声をかけてくる。が、彼の声色には咎める気持ちが含まれていて、次海はごめんと軽く謝る。
「……本当に、次海さんの攻撃を避けたんですね」
「にゃふ……偶然でもまぐれでもなく、少年は避けたにゃ」
一発目は偶然かと思った。だが、それをなん度も繰り返すうちに、彼は偶然で避けたわけではないことがわかった。
体力の限界がきて倒れたが、もしまだ余裕があったのならば……もしかしたら一太刀入れられていたかもしれない。
自然と笑みがこぼれる。過去の自分と重ねてしまいこの世界に誘ったが、もしかしたら、思いもしれない掘り出し物を手に入れたかもしれない。
ニヤニヤと笑う顔を見たのか、リュウジが小突いてくる。けほん。と軽く咳をして顔をどうにか整えてから口を開ける。
「今日はここまでにゃ。陸くんを運ぶのは頼んだにー」
そう言って次海は大きなあくびをこぼした。次からは少しくらい優しくするか。と、次海は笑った。