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その日の夜、すべての手続きを終えたミスティアを呼び止めたのは、上官であるブロン中隊長であった。
ブロン中隊長は体が細く上背ばかりがひょろりと伸びて、外見はカマキリを思わせる。顔つきも頬骨が浮くほど骨ばっていて、鼻の下に気取ったカイゼル髭をたくわえているが、油をつけすぎて作り物みたいにピカピカしているのがわざとらしい。
全体的に軍人というよりは文人のような見た目であるがゆえ、ミスティアは、これはエリート軍官の出自なのだろうと目星をつけた。
おそらくは中隊長を足掛かりに大隊長へ、そしていずれは軍に中枢部へと上がる出世コースが約束された、生まれながら人の上に立つ人間なのだろう。だから腕力や武力など必要とはしない、そういうタイプの軍人なのだ。
常に最前線に立って部下たちとともに剣をふるい、時に部下のための盾になることもあるミスティアは、こうした頭だけで戦争をする連中が一番嫌いだ。彼らにとって兵士は自分が考えたゲーム版に置くための駒の一つにすぎず、その一人一人が何を抱え、何に悩み、そしてなんのために戦おうとしているのかを知ろうともしない。
何より、上官だというだけでそんな人物にさえ敬意を払わねばならない、これがミスティアのプライドを甚く傷つけるのだ。
それでも、そうした戦場の不条理をいくつも乗り越えてきたミスティアは冷静で、対面する上官への不敬など声音にすらこぼさない。
「なにか御用でしょうか」
女性としての気遣いを含んだ優しい声を、ブロン中隊長は偉そうに鼻先をあげて受けた。
「君ねえ、なんで公式の場であるのに、軍から支給された装備を着用しないの?」
「軍から支給された……アレをですか? あれは肌の露出が多く、公式の場にはふさわしくないかと」
「そんなことないでしょ、あのねえ、公式のパーティーとかには、上品なお嬢様方だって少し胸元のあいたドレスを着るでしょ、あれと一緒」
「つまり、女は公式の場では肌を見せるものだと?」
「そ。あんたも女なんだから、そのくらい心得てくださいよ」
気取った口調がミスティアの神経を逆なでした。上官への反意を口にするのは不敬であると心得てはいたが、それでも……ミスティアは強い口調で言い返した。
「お言葉ですが、ここは社交ダンスの場ではなく、戦場です」
「うん、それが何?」
「戦場では敵味方構わず刃の脅威に触れることも多いゆえ、肌の露出が多くては守備の役を果たしません。それとも、あの装備には刃除けの魔法でもかけられているのですか?」
ミスティアが『魔法』などという、ありもしない外法を引き合いに出したのは嫌味のためだ。しかしブロン中隊長はこれを別の意味に受け取ったらしい。
「魔法なんて……そんなメルヘンを信じちゃってるあたり、しょせん女だな」
「いえ、私が魔法を信じているわけではなく……」
「いいから、よく聞きなさい、これは軍命だからね」
きびしい声でミスティアを制して、ブロン中隊長はわざとらしく咳払いなんかしてみせた。
「あ~、ミスティア十二小隊長、君の使命は兵士たちの士気を鼓舞し、我が軍を勝利に導くことにある……つまり、『戦勝のシンボル』っていうのになってほしいわけよ」
「そのために肌をさらし、男たちを喜ばせろと?」
「そう、絵面的にもさ、もろ肌を脱いだ美しい女神が先陣を切り、その後ろから付き従う兵
士たちって方が、美しいでしょ?」
「……すみません、芸術には疎くて。それの何が美しいのかわかりません」
「まあ、君のような山家そだちでは、そうした素養がないのも仕方のないことだね。それに、女が芸術を解せるほど賢くないことは知っているし、気にしなくていい。ただ、君は僕たちの命令に従ってくれればいいだけさ」
ミスティアが理解力すらないバカだと思ったのだろうか、ブロン将軍は小さい子供にかみ砕いてものを教えるときのように、妙にゆっくりとした口調で言った。
「つまり、公式の式典と、戦場では、いつもあの装備を身に着ける、それが君の仕事。わかった?」
「しかし!」
それでも食い下がるミスティアに、ブロン中隊長はうんざりしたかおをした。しかし、ミスティアの言葉までは禁じようとはしなかった。
「まだ、なにかあるのかね?」
「私は、戦うためにここに来たのではないのですか?」
「ああ、戦うため、もちろん、そうだとも。あんな、肌もろだしのアーマーを着て戦うのだから、それなりに腕の立つ戦士でなくてはしょうがない。何しろアーマー着ました~、はい、死にました~では戦勝のシンボルもなにもあったもんじゃないからね。その点、君の腕ならば、アレを着て戦場に出てもそれなりに戦えるだろうと……そう、君の実力を見込んでの抜擢なのだよ!」
ミスティアは相手の顔色が読めぬほど馬鹿ではない。ブロン中隊長の嘘くさいほど上ずった声の調子から、「これで納得しろよ」と訴える彼の心の内を読み取った。これ以上の議論は全くの無駄である。
それでも、ミスティアは一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあった。
「軍は、あれを着用した戦士を登用することが戦略的に効果があると、そういう判断を下したわけですね」
「もちろんだ。別に根拠もなくこの作戦を考えたわけではなく、先史に照らし合わせてのこと。かつてこの国を戦勝に導いた女騎士ジャノー=ダーク、あれを形だけでも顕現させようとして考えられたものだ」
「なるほど、確かに兵士たちの士気を鼓舞するには十分だと思います」
「ま、そういうことで頑張ってちょうだいよ」
悔しさで震える唇をかみしめながら、やっとのおもいでミスティアは答える。
「はい」
その短い返事に満足したか、ブロン中隊長は片手を軽く振った。
「わかったみたいだし、今日はもういいよ、おとがめなし」
「ありがとうございます」
深いおじぎに隠して、短い言葉を答えるのすらやっと……ミスティアは不敬に見えぬように落ち着いて、しかしできるだけ素早く、その部屋を出た。