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間もなく、ミスティアの部隊は戦場へと送りこまれた。
場所は国境近くの人家少ない山の中、敵の斥候部隊が山中で見つかったことに端を発する小競り合いだ。
敵兵力百に対しこちら方は二百、負ける要素など一つもない戦いである。
「なるほど、つまり『戦勝のシンボル』が初戦から負けるわけにはいかないと、そういうことだな」
マーシュは手元にある命令書を読み上げた締めの言葉としてこれを言った。彼の前には十二小隊の面々が並ぶ。
彼らは皆、隊長であるミスティアが戦闘服に着替えるのを待っている最中であり、つまりこれは、隊長を待つ間を利用した軽いミーティングタイムなのだ。
副隊長という立場上、こういう時に中心に立つのはマーシュの仕事である。
彼は命令書から顔をあげて、隊員たちを見回した。
「おそらく、お偉いさんガタの思惑はこうだ。明らかに有利な戦いであるからこそ、ここにビキニアーマーを着たウチの隊長が華々しく現れて勝利すれば絵面的にも映えるだろうと。つまり、『戦勝の女神デビュー』のための宣伝戦だな」
隊員の一人が――きっと彼は先走る性格なのだろう、大きく身を乗り出して早口に言う。
「てことは、隊長が格好良く見えるようにサポートすればいいってことですね、楽勝じゃん」
マーシュが慌てて手を振る。
「まてまて、どんな形にしろ戦闘である以上、俺たちの最大の課題は『勝利すること』だ」
「いや、だって兵力から見たって楽勝じゃないっすか」
「その油断が危ないんだ、敵兵力百に対してこちらは二百ってさ、これは敵一人につきこちらの兵がふたり倒されれば、互角だということになるだろ?」
「算術じゃあるまいし、そんなうまくいきっこないですよ」
「そういうことじゃないんだよなあ……」
女戦士が一人、笑いながら解説を加えてくれる。
「そうやって算術みたいにうまくいかないから油断するなって言いたいのよ、副隊長さんは。あんたはこちらの兵とあちらの兵、どちらの数が大きいでしょうかって『算術』に惑わされて自分たちが有利だと思っているだけ、実際戦場に出たらあんたの算術通りにはいかないよっていう、そういうことよ」
「あ、なるほど、つまり数に惑わされるなってことですね」
マーシュが頷く。
「そう、そういうことだ。だからこそ戦局を見抜き、必ずや勝利すること、それが今回の戦闘の課題だ」
ちょうどその時、ミスティアが着替えに入っている野営のテントの中から、彼女の力強い声がした。
「いいことを言うじゃないか、うちの副隊長は」
ばっと跳ね上げられた帆布の向こうから、ミスティアが姿を現す。
誰もが一瞬のうちに息をのみ、そしていくつか「ほう」と感嘆の息が聞こえた。
男たちはミスティアの美しさに見とれた。胸部と股間をわずかに隠す破廉恥な格好をしていながらもなお、凛々しさを失わず胸を張って立つ姿の美しさにため息をこぼす。
女たちは、さらけ出された肉体のしなやかさに羨望した。鍛え抜かれてはあっても男のごつごつした肉体とは違う、まるでネコ科の獣のような美しい筋肉がなめらかな肌を透かして美しい形を見せつけているさまに、そして無駄な肉の一つもない完成された彼女の美に畏怖さえ覚えてため息をこぼす。
そしてマーシュに至っては……まなじりからポロリと涙を一粒こぼして、天を仰いだ。
(これが……)
ずっと憧れ、待ち焦がれていた相手だ。
マーシュを軍に入れた祖父は言っていた、「女は弱い生き物だから守ってやらなくちゃぁいかん」と。だから彼は誰かを守るため、それだけのために戦いを学び、戦闘の腕を磨き上げてきた。
しかし、目の前に立っている美しくも雄々しい戦士が自分の助けなど必要とするだろうかと、不安にもなる。それほどまでにミスティアは美しく、軍神のごとき神々しさをたたえていた。
彼女は惜しげもなく肌身をさらした体を恥じらうことなく、ただ堂々と胸を張って。
「諸君、副隊長の言う通り、今回の戦闘において我々に課された最も重要な任務は『勝利』だ」
隊員たちの間に一気に緊張が走る。
だが次の瞬間、ミスティアはこの上なく優しく目元を細めて笑った。
「そんなに気負わなくてもいい、勝利というのは何も敵をより多く斬ることでも、殲滅させることでもないんだ。私たちが目指す勝利は、生き残ること、何よりもこれだ」
ミスティアが培ってきたゲリラ戦術では、これは当たり前のことである。
兵は無限に湧いてくるわけではない、本来ならば一兵として欠くことのできない重要な人的資源である。
特に現場で指揮を執ることの多かったミスティアは、彼ら一人一人が想いを持った人間であることを心得ている。
なによりも大事な仲間であると、それを良く心得ているのだ。
「戦場ではただ、自分が生き残ることに専念せよ、どんなにみっともなくても、ズルくても構わない、君たち全員と今夜も酒を酌み交わすこと、それが私にとっての勝利だ」
全員まんべんなく、誰一人の顔も見逃さぬようにと、ミスティアは隊員たちの顔をゆっくりと見まわした。
その最後はマーシュであった。
「特にマーシュ、君には絶対に死んでもらっては困る。戦場ではなにより、自分の身を守ることを最優先に動いてほしい」
守られるつもりはないと、そう言われたような気がした。
だからマーシュは、少しむくれてそっぽを向いた。
「あんたの盾になるって言ったでしょ、自分の身より、あんたの無事を優先しますよ、俺は」
「そうじゃない、そうじゃないんだ、マーシュ、君は戦争の終わるその日まで、ずっと私を守るための盾になってくれるんだろう?」
マーシュがハッとして顔をあげると、ミスティアは遠く横を向いていた。
それはマーシュに対する不敬ではなく、単に自分の表情を見せないようにしたいという、恥じらいの表れだったのだろう。
その証拠に、彼女の耳はほんのりと紅潮して、きっとそこからつながる頬はもっと赤いのだろうと容易に想像がつく。
マーシュも頬をわずかに紅潮させて、恥じらいに震える彼女の肩をぼんやりと眺めていた。
ミスティアの声は先ほどとはうってかわって小さく、わずかに自信なさげにも聞こえる。
「私の夢は、戦争の終わったその日、最初に君の告白を聞くことだ。だからその日まで、君は私の隣にいなくてはならない、そうだろう?」
「そっすね、隊長」
マーシュがふっと笑った。
「あなたは、この国を救う剣になればいい」
いつもの軽口ではない。
マーシュの声音は誰よりも真剣で誠実であり、ミスティアを振り向かせるには十分だった。
マーシュは彼女の驚きに表情をまっすぐに見つめて続ける。
「剣と盾は対になってるもんじゃないっすか、だから、あなたがこの国を守る剣になるならば、俺はあなたのそばに寄り添う盾になりましょう、この国を守る盾に、ね」
「マーシュ……」
「それを着たアンタは美しい、この世の、たとえ名剣と呼ばれる一振りさえかなわぬほどに」
ミスティアの肉体は、確かに抜き身の剣を思わせる。
あらわな肌は磨き上げられた鋼のように照り、ふと触れてみたくなるような妖艶を放っている。
しかし同時に触れたものを切り裂くような剣呑な殺気を含み、それが彼女を気高い一振りの刀剣であるかのように見せているのだ。
ビキニアーマーは、その闘気を隠そうというのか、それとも彩ろうというのか……彼女の肉体の一部にぴったりと寄り添い、ただ鈍く光っている。
この世に名を遺す名剣とはかくやあらん。
マーシュは気おされて横を向き、ぽそっといつも通りの軽口をこぼした。
「やべえ、俺ももうちょっと身ぎれいにしないと、アンタの盾として恥ずかしいわ」
ミスティアが声を立てて笑う。
「そう、君はそうやって軽口をたたいている方が、君らしくて良い」
「軽口をたたく盾か、悪くないっすね」
ミスティアがふっと表情を引き締めて顔をあげる。
「行こう、マーシュ、戦いの場へ」
そんな彼女の隣に、マーシュはそっと寄り添う。
「そして、こんやも酒盛りですね、こりゃあ、死んでる場合じゃないや」
「ああ、うまい酒を飲もう、戦争の終わるその日まで……」
これがのちに『国守の豪盾』と『豪襲の美刀』呼ばれるようになる二人の始まりであった。
二人は五年で周辺国ことごとくに勝利し、戦争停止の条約を締結させた英雄として国史に名を刻まれている。
〝戦場に美刀あり、その傍らに必ず付き従う豪盾あり〟と。
戦争が終わって久しいこの国では、すでに子供用の物語にまで書き起こされた有名な英雄譚である。




