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第6回 ギターヒーローの時代へ (後篇) ジミ・ヘンドリクス 1966年~

ジミ・ヘンドリクス。

この名前に、特別な畏敬の念を感じるロックファンは、多いのではないでしょうか。

1966年のメジャーデビューから、1970年の早すぎる死までのわずか四年の間に、彼がロックシーンに与えた衝撃の大きさは、計り知れないものがあります。


音楽的な内容で言えば、彼の演奏はブルースのフレーズを基礎にした、オーソドックスなメロディーラインを特徴としており(ジャズやネイティブ・アメリカンの音楽をスパイスとして用いてはいますが、基本はブルース)、本来であればそれは、聴き心地が伝統的な、(言うなればクリームのエリック・クラプトンのブルース演奏のような)やや時代がかったものになってもおかしくないはずのものなのです。

ところが、いったんギターから音が紡ぎ出されると、それは不思議と、過去の焼き直しであることを感じさせない、極めて斬新で、新鮮な響きとして、聴き手の心に届きます。


これは、彼の高度な演奏技巧だとか、たぐいまれなアドリブ演奏の才能だとか、ギターサウンドの加工センスとかだけでは、説明できない事です。


なぜなら、彼よりも技巧面で優れ、アドリブも多彩で、ギターサウンドの加工も大胆なギタリストは、今では枚挙にいとまがないにもかかわらず、そういうギタリストの多くが、生き生きとした生命力という点で、ジミの演奏に及ばないという例を、私たちはいくつも目の当たりにする事ができるからです。


ギターに限らず、楽器というものは、感情表現の道具である、と、私は思っています。

ところが、演奏技巧が発達するにしたがって、この感情表現の重要性が、おろそかになって来るという現象が、音楽界ではよく見られるのです。

ジミの演奏が、技巧派の現代のギタリストの演奏を越えて、生き生きと私たちの耳と心に届く、その鍵は、この、感情表現の巧みさにあるのではないか、というのが、私の考えです。


ジミはアメリカ人ですが、アメリカでの無名バンド時代に、アニマルズのベーシストのチャス・チャンドラーに才能を見いだされて、彼の意見に従ってイギリスに渡り、そこで自身のバンド〝ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス〟を結成してメジャーデビューを果たし、大成功した上であらためてアメリカの音楽シーンに乗り込んで行った、という、一般的なブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドとは異なる経緯で、ロックブームの流れに乗ったアーティストです。


ジミの1966年のイギリスでのシングルデビュー曲は『ヘイ・ジョー』と『ストーン・フリー』というカップリングでした。どちらの曲も、ジミのギターの最初の一音のトーンからして、非常に柔らかく、当時としては革新的にモダンな響きです。ベースのノエル・レディングと、ドラムスのミッチ・ミッチェルの演奏が強力なため、ジミのギターサウンドも一聴すると分厚いように感じますが、よく聴くと、クリーンなトーンの時も、ディストーション(歪めた荒々しいサウンド)を効かせた時も、驚くほど軽めの明るい音作りをしている事が分かります。それは、リズム隊の重厚さとの対比で、ギターの音を際立たせるための工夫であり、高音が強調される事によって耳に感じる刺激を強める効果も狙っているのだろうと思われます。


ジミはイギリスに渡る際に、すでに有名だったエリック・クラプトンに会わせてほしいとチャスに要望して、1966年の10月に、結成したてのクリームのライブに飛び入り参加するというチャンスを与えられています。

想像するに、エリックはジミの演奏を聴いて、さぞかし驚愕した事でしょう。なぜなら、当時すでに、ジミの実力はエリックを上回っていたと思われるからです。

全くの無名の新人であるジミが、すでにギターヒーローの頂点としての器を備えてシーンに登場したのです。アメリカでジミを見出したチャスも、ジミがとてつもない才能を持ちながら無名であることに驚いて、「何か裏があるのではないか。」と疑ったほどだったと言います。


ここで、不思議に思うのは、ロックンロール誕生の際に、チャック・ベリーとエルビス・プレスリーという黒人と白人のスターが登場したように、ギターヒーローの時代の幕開けに際しても、エリック・クラプトンとジミ・ヘンドリクスという、白人と黒人の抜きん出た二人が登場して来た、という事です。

これは、単なる偶然の巡り合わせでしょうか。それとも、ロックシーンや時代そのものの流れを踏まえて考えれば、必然として説明ができる事なのでしょうか。

私には、偶然と必然、両方に加えて、この二つの出来事が、ロックが向かうべき道筋を示すために現れた特別な象徴のように思われてならないのです。


ジミは1967年6月、アメリカのカリフォルニア州で開かれた大規模な野外コンサート、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演します。

ザ・フーが白熱した演奏と、過激な楽器破壊のパフォーマンスで聴衆の度肝を抜いた、その後で、ジミの出番が回ってきました。

『キリング・フロアー』での勢いに乗ったイントロから始まって、『フォクシー・レディ』、ボブ・ディランのカバー『ライク・ア・ローリング・ストーン』、『ロック・ミー・ベイビー』と、ジミは立て続けに才気ほとばしる演奏を披露して行きます。

そして、最後の曲『ワイルド・シング』を、壮絶なフィードバック(ギターの弦の振動を増幅させたサウンド)とアーミング(アームの上げ下げで音程を変化させるテクニック)の即興演奏で締めくくった後、ジミはギターを床に置いて、祈りのキスを捧げてから、おもむろにライター用の液体燃料を取り出して、ギターのボディに注ぎかけ、マッチで火を放ち、めらめらと燃えさかるギターのネックを持つと、ものにかれたように床に何度も激しくたたきつけて破壊し、分離したネックとボディを客席に放り投げるという、ザ・フーを上回る圧巻のパフォーマンスで観客を唖然あぜんとさせてステージを去りました。


この伝説的なプレイは、映像でも鑑賞する事ができますが、ギター破壊の場面が単なる奇をてらった演技でない事は、CDで演奏だけ聴いた時に、そのシーンで観客と一体になった音楽的な興奮が作り出されていることが聴き取れる事からも確認できます。


ロックは衝動の音楽であり、音楽とは感情表現の発露であるべきなのだと、ジミの演奏を聴く度に、思いを新たにします。


     挿絵(By みてみん)


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