第52回 1950年代ロカビリーの再評価 ストレイ・キャッツ 1981年~
本コラム、『ロックの歴史』の、記念すべき第1回で、ロックンロールが誕生した1950年代半ばの状況を話しましたが、その中で、最初期のロックミュージックの一つとして、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(1954年)という曲がある事を紹介しています。
この曲の、スイング感のある跳ねるような乗りの良い特徴的なリズムは、ダンスに用いられる事を想定したものであり、この手のリズムを用いたダンス向けの音楽を、ロックン・ロールとは区別して、〝ロカビリー〟と呼ぶようになったのですが、チャック・ベリーやエルビス・プレスリーといった、より直線的なロックのリズムを用いるミュージシャンの登場により、音楽ファンの関心は一気にそちらに流れてしまい、音楽シーンもより平坦なロックのリズムが主流になった事で、ロカビリーのリズムは短期間のうちに、一部のバンドで聴かれる少数派のスタイルになってしまいました。
その状況は、ロックの発展期である1960年代も、ロックの全盛期である1970年代も変わらず、もはや、ロカビリーは一昔前の時代がかった音楽スタイルとして、懐古趣味的に振り帰られるばかりのジャンルとなってしまったようでした。
ところが、です。
1980年代の初頭に、あるバンドがロカビリー・スタイルの音楽を個性として打ち出して、イギリスの音楽シーンに登場したところ、流行遅れとして放置されていたリズムが、かえって耳馴染みがなく新鮮だったのか、特に若い音楽ファンの支持を集めるようになり、突如として第2のロカビリー・ブームが到来する事になりました。
その、〝ネオ・ロカビリー〟と銘打たれたサウンドで、一世を風靡したバンドこそ、ブライアン・セッツァーという輝かしいギターヒーローを擁するアメリカ出身のトリオ、ストレイ・キャッツでした。
このバンドのユニークな所は、古色然としたロカビリーを現代的にアレンジして、その復権に寄与したという事だけではありません。
ベーシストのリー・ロッカーが用いるのはエレキではなく鈍重なコントラバス、ドラマーのスリム・ジム・ファントムが用いるのはバスドラム1個、スネアドラム1個、シンバル1個という簡素過ぎるドラムキット、という、他のバンドでは見られない、何とも個性的な編成による演奏が、彼らの目玉だったのです。(スリム・ジム・ファントムにいたっては、椅子に座らず立って演奏する、〝スタンディング・ドラム〟という、大道芸のようなスタイルまで編み出しています。)
革ジャン、ジーパン、リーゼントと、典型的な不良のビジュアルを前面に押し出した事と、この大胆な楽器構成、演奏スタイルが合わさって、ストレイ・キャッツは特に反抗期真っ只中の十代の若者からの熱烈な支持を得ました。そして、イギリスデビューの翌年、一足遅れで母国アメリカでデビューアルバムを発表した事によって、ロック史の名だたるバンドの仲間入りを果たすほどの高い評価を獲得するにいたります。
ただし、彼らの音楽的特徴の大部分が、〝ロカビリーのリズム〟に支えられている、という事は、どの曲もロカビリー調の曲にならざるを得ないという事であり、その辺が、私としては今一歩物足りなさを感じてしまう所です。
一つのスタイルから脱却できないという事は、おのずと音楽性の幅が狭まってしまう、という事であり、発展性や意外性の点で、それほど期待ができない事になってしまうからです。
初期の三枚のアルバム、『涙のラナウェイ・ボーイ』(1981年)、『ごーいんDOWN TOWN』(1981年)、『セクシー&セヴンティーン』(1983年)を聴くと、どれもロカビリーの楽しさに満ち溢れている反面、それ以外の要素に乏しいという問題点にも、容易に気が付く事でしょう。
ともあれ、ブライアン・セッツァーの、ロカビリーの常套フレーズを現代的なコードで補強したギターテクニックや、エディ・コクランを彷彿とさせる若い情熱がほとばしる歌唱は、一聴の価値があるので、時代を越えて復権したロカビリーという音楽にご興味が湧いた方は、是非一度その心弾む力強いリズムを体験してみて下さい。




