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音楽コラム 『ロックの歴史』 -時代を彩る名ミュージシャンたち-  作者: Kobito


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第48回 メタルの帝王の慧眼 オジー・オズボーン 1980年~

前回のコラムで採り上げた、ジューダス・プリーストのシンガー、ロブ・ハルフォードは、その驚異的なハイトーンシャウトの迫力から、〝メタル・ゴッド〟の愛称で親しまれていますが、声域こそ狭いものの、その独特の憐れみを乞うような陰鬱な歌声の魅力によって、〝メタルの帝王〟と呼ばれているシンガーもいます。

それが、へヴィーメタルの源流、ブラック・サバスの初代ボーカリスト、オジー・オズボーンです。

(ブラック・サバスのロック史上における功績については、第14回のコラムをご参照ください。)


オジーがブラック・サバスを脱退したのは、1978年の事です。

酒や薬物で精神的に不安定になった末に、解雇された、というのが、実態のようです。


オジーの凄い所は、ここから奮起して、ソロ活動で大きな成功を収めた、という点です。

ただし、この成功は、彼一人の力で成し遂げたものでは決してありませんでした。

オジーがオーディションで見出した一人の天才ギタリスト、ランディ・ローズという逸材がいてこその、世界的な成功だったのです。

(オジーは、優れたギタリストを発掘する才能がある事で知られていますが、中でもランディの発掘は、彼の全キャリアの中でも最大の幸運だったと言えます。)


ランディのプレイの基礎は、大きく分けて二つあります。

一つは、親が開いていたギター教室で、子供の頃から習っていたクラシック・ギターのフレーズやテクニック。


そしてもう一つは、1978年にアルバムデビューしてロック・ギターのテクニックに革命を起こしたヴァン・ヘイレンのギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンからの影響です。


当時、他の数多のギタリストが、エディのテクニックを追随的にコピーする事で満足していたのに対して、ランディは慣れ親しんだクラシックのフレーズや演奏技法をエディの斬新なテクニックに組み合わせることで、エディのフォロワーからいち早く脱し、他の誰とも違う、重厚で華やかなへヴィ・メタル・サウンドを生み出すことに成功しています。


オジーのファーストアルバム『ブリザード・オブ・オズ』は、1980年に発表され、イギリスのチャートで7位と、ソロ活動の弾みとなるヒットを記録しています。


私も、このアルバムは大好きで、骨のあるへヴィ・メタルを聴きたい時によくかけるんですが、よくもこれだけの名曲を揃えられたな、と思うほど、非常に完成度の高い魅力的な楽曲が目白押しです。


「アイ・ドント・ノウ」「クレイジー・トレイン」「グッバイ・トゥ・ロマンス」「ディー」「スーサイド・ソリューション」「ミスター・クロウリー」「ノー・ボーン・ムービーズ」「レヴェレイション」「スティール・アウェイ」


捨て曲無し、9曲すべて、代表曲と呼べる水準に達した美しさです。

ランディが作曲に関与したことが、オジーに良いインスピレーションを与えているのが分かります。


オジーは精神的な不安定さなどみじんも感じさせない覇気のある歌声ですし、ランディのギタープレイがまた実に熱がこもっていて、サウンドの多様さやアレンジの巧みさなど、聴けば聴くほどその新鮮さに驚かされます。


スローなバラードでは特に、繊細な美少年的イケメン、ランディの、心の豊かさ、優しさがギターサウンドににじんでいるのが伝わって来ます。


激しい曲での、感性一発のソロ演奏は、彼をギターヒーローの座に就かせるのに十分過ぎるほどの魅力を放っています。


また、あるロックのガイド本を読むと、ランディのギターサウンドの特徴の一つに、同じメロディーを幾層にも重ねて録音する、オーバーダブの手法の多用が挙げられる、とありました。


確かに、アルバムのほとんど全編で、オーバーダブによる音の厚みの確保が見られます。


ただし、ランディのギターサウンドに厚みがあるのは、スタジオアルバム特有の、編集技術を駆使したおかげで、それで全て説明がつく、というわけでもありません。


オジー・オズボーンのこの時期のライブ音源を、私はたくさん蒐集しているんですが、ライブでのランディのギターサウンドも、スタジオアルバムに負けないくらい厚みと迫力のある素晴らしい音です。


機材とか編集技術とか以前に、彼のギターサウンドは情念が音化した、奥深い感情表現が見られるような気がします。

そういうプレイができるギタリストは、古今東西、本当に少ないのです。

だから、加工を経ないライブ演奏でも、聴き応えのある充実感のあるサウンドとして耳に届くのではないでしょうか。


1981年、セカンドアルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』発表。


ファーストアルバムとそん色ないほどの名曲を詰め込んだ、こちらもへヴィ・メタルを代表する傑作です。

ファーストアルバムに比べて、より複雑なアレンジを取り入れた、自由闊達な楽曲が並んでいます。


目玉は、オープニング曲の怪物のようなギターの咆哮が聴ける「オーヴァー・ザ・マウンテン」、2曲目のねっとりと歪めたギターサウンドが心地よい「フライング・ハイ・アゲイン」、そして8曲目の変拍子を取り入れた壮大な表題曲「ダイアリー・オブ・ア・マッドマン」 。


このアルバムの、入念なアレンジで装飾された聴きやすいサウンドは、以降のオジー・オズボーンの曲作りの特徴になって行く部分であり、私としては、やや整い過ぎかな、と思える部分もありますが、それは好みの問題でしょう。


ランディのギタープレイも、いよいよ堂に入った威厳を備えるまでになっています。


この、へヴィ・メタルにとって喜ばしいコンビの活躍が、順調に続けばよかったのですが、残念な事に、ランディはツアー中の飛行機事故により、1982年に急逝してしまいます。


本当に、へヴィ・メタルは、かけがえのない存在を失ってしまいました。

彼のギタープレイがいかに偉大だったかは、今でも彼の演奏をリスペクトし、研究しているプロのギタリストが世界中にいる事で分かります。


しかし、彼が事故に遭わずに生きていたとしても、へヴィ・メタルのギター・ヒーローであり続けていたかは、定かでありません。

なぜなら、バンドメンバーなどの回想によると、ランディは事故死する直前に、ロックでの活動を休止して、クラシック・ギターの活動に移行したいと考えていたらしい事が分かっているからです。


世界的成功の最中でジャンルを転向するというのは、子供の頃から身近にあったクラシック・ギターが、余程好きだった、という事でしょうね。


いずれにしても、もうどんなに望んでも、私たちは彼がその後どんな選択をしたのかや、どんな音楽的成長を見せてくれたのかを、確かめる術はないのです。



Randy Rhoads 1956年12月6日 - 1982年3月19日 (享年25歳)


 挿絵(By みてみん)



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