第32回 日本のロック創生期 はっぴいえんど フラワー・トラベリン・バンド 上久保純 1970年~
これまで、このコラムでは、アメリカで生まれたロックンロールが、イギリスに波及する事で、現在のロックにつながる多様な発展を遂げて来た事を解説して来ましたが、一方で、同時代の日本の音楽シーンで、洋楽ロックがどのように受容されて来たのか、については触れて来ませんでした。
それはひとえに、私の日本のロックに関する知識が、極端に少ないからです。
なぜ、洋楽ロックにこれほど入れ込みながら、日本のロックには関心が薄いのか、というと、日本のロックは、ボーカル偏重で、器楽奏者の腕前が洋楽に比べるとかなり落ちる、という問題点があるからです。
単にテクニックの点だけではなく、一音一音のニュアンス、グルーヴ感、アドリブの冴え、いずれをとっても、日本のロックは洋楽ロックが持つ味わいに到底及ばない、という物足りなさが、常に付きまといます。
これは、日本と米英の、大多数のリスナーの受容力の差でもあると思います。
ロックの誕生には、ドロドロした、ほの暗い心情を吐露するタイプの、土着的な音楽であるブルースや、教会で力強く歌われたゴスペル、複雑さや斬新さを競ったジャズといった黒人音楽が基礎としてあるので、深みのあるロックを味わうには、その感覚を楽しめるかどうかが大事になって来ます。
米英では、それらを踏まえてロックを楽しめる音楽ファンが多かったことから、ロックは力強い歴史的背景を持ちながら発展して行けたのですが、日本では、1970年代初頭までは、ブルースそのものや、ブルースに根差した本格的な洋楽的ロックを演奏するミュージシャンが多数活動する動きがあったものの、やがてもっと分かりやすい、ソフト・ロックやポップスなど軽めの音楽に聴衆が流れてしまい、扇情的なアドリブ主体のロックが主流となることはなく、現在に至ってしまいました。
つまり、日本の音楽シーンにおける洋楽ロックの受容は、いまだに不完全な状態と言えます。
実際に、日本のロック・ミュージシャンの作品を聴いてみても、表面的な真似から脱却できていないのを感じますし、ロックの本質である荒々しい衝動を、演技としてしか表し得ない、欺瞞のようなものさえ感じてしまいます。
ただし、そういった日本の音楽シーンの変遷の中でも、洋楽ロックの本質まで捉えた、聴き応えのある作品を生み出したミュージシャンも、全くいないわけではなくて、そういった人々の作品は、今聴いてもエネルギーと意欲に満ちた、素晴らしい出来栄えだと分かります。
そこで、私の数少ない日本のロックの知識から、洋楽ロックを巧みに受容した1970年代初頭のミュージシャンたちを、三組、ご紹介しようと思います。
率直に言えば、彼らの音楽は、洋楽ロックの代表的アーティストたちの作り出す深みのあるコクには、今一歩及んでいないと思います。しかし、それだけ、洋楽ロックの深みが、深遠であるという事ですし、日本のミュージシャンとして到達し得た、洋楽ロック的なロックの最高峰ではあると思います。
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【はっぴいえんど】
大瀧詠一 (ボーカル、ギター)、鈴木茂(ギター)、細野晴臣(ボーカル、ベース、ギター、キーボード)、松本隆(ドラムス)からなる、四人編成のバンドです。活動は1969年から行なっていますが、レコードデビューは1970年です。
彼らの音楽の基礎は、アメリカのバッファロー・スプリングフィールドを主とした、フォーク・ロックのサウンドにあります。鈴木のギターのきつめに歪めたファズトーンや、スティブン・スティルスに似た大滝の歌唱法などから、それを窺えます。
細野の入り組んだベースラインや、松本の手数の多い祭囃子のようなドラミングも見事です。
演奏力の点では、おそらく当時の日本のロックバンドの頂点だろうと思います。
また、彼らの洋楽ロックへの軽めのアプローチが、後年のJポップの発達に与えた影響は、非常に大きなものがあると推察できます。
松本の描き出す、摩訶不思議な、熱が冷めたような世界観の歌詞も、はっぴいえんどの個性を確立する上で、必要不可欠な存在です。
1971年のセカンドアルバム『風街ろまん』が、一般的には最高傑作だと言われていますが、ファーストアルバムの『はっぴいえんど』(1970年)の充実したやや熱めの演奏が、私は好きです。
今聴いても、全く古さを感じさせない事に、きっと皆さんも驚かれる事と思います。
ハイセンスというのは、時代を超えるんですね。
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【フラワー・トラベリン・バンド】
ブラック・サバスのおどろおどろしいサウンドを踏襲した、1970年代の日本を代表するハードロックバンドです。
このバンドの聴き所は、何と言っても、ボーカリストのジョー山中の、驚異的なハイトーンボイスです。
日本のロック系のハイトーンボイス歌手としては、クリスタルキングの田中昌之と双璧の素晴らしい迫力です。
全編英語歌詞を通しており、発音も日本人特有の違和感がないので、洋楽と同様に歌唱を楽しめるのも嬉しい所です。
バンドの前身は、内田裕也が主宰するザ・フラワーズで、メンバーチェンジを経てフラワー・トラベリン・バンドとして再出発した時点で、内田はプロデュースに回り、歌は英語歌詞で通すことも内田の提案で決まりました。バンドは運良くカナダで活動する機会を得て、そこでのライブが好評だったことから、アメリカのアトランティック・レコードと契約する事となり、1971年、アメリカとカナダでメジャーデビューアルバム『SATORI』を発表します。
タイトルが示している通り、東洋的なメロディを取り入れた、瞑想的な音楽になっており、東洋思想への関心もあって、カナダではチャートインするほどヒットしたそうです。
リフレインと、ギターとベースのユニゾン演奏がやたらと多いのが難点ですが、器楽演奏も独自の雰囲気のある聴き応えのある内容です。
余談ですが、内田は今では、「ロックンロール。」が口癖の変なおじいさんとして、メディア等で茶化される事が多いです。しかし、サイケデリック・ロックやハードロックの創生期に、日本にもそれを定着させようとして活動した、ロックの歴史にとって意義深い存在だという事を知れば、安易にあざける風潮に、むしろ違和感を感じるようになるのではないかと思います。
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【上久保純】
この人の事は、つい先日知ったばかりなんですが、日本のロックファンの間でもあまり知られていない、伝説的なミュージシャンなのだそうです。
1972年に『Nothingness(サンフランシスコの奇跡)』という、ブルース主体のハードロックアルバムを残していますが、これが凄い。ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムス、全てを、一人で担当している上に、器楽に関してはいずれも洋楽ロックの一流ミュージシャンに伍する、巧みな聴き応えのある演奏を繰り広げています。
ボーカルは、決して上手いとは言えませんが、情念を感じる率直な歌声で、音楽と溶け合うような日本語歌詞と共に、独特なパワフルで陰のある雰囲気を醸し出しています。
この洋楽ロックに染まり切った、個人的とも言える音楽が、日本の音楽シーンで受け入れられなかったのは、ある意味当然かもしれません。
でも、多くの人に受け入れられなかったからと言って、その作品に魅力がない、という事にはならないのです。
音楽の世界というのは、つくづく広くて、まだまだ私の知らない、私好みのミュージシャンが、いるものなんだなと、改めて教えてもらえた、そんな出会いでした。




