第3回 ビートルズの登場 1962~
アメリカの熱狂的なロックンロールブームが、第2回のコラムで紹介した通りの様々な要因によって、急速に下火になり、あたりさわりのない健全な曲がラジオの主役に取って代わった1960年前後、遠くイギリスでは、アメリカからもたらされたロックンロールの衝動性に魅了された数多くの若者たちが、エレキギターを手に取り、バンドを組んで、地道なクラブ巡業によって、めいめいにその腕前と個性を磨きつつありました。
後にビートルズのメンバーとして世界的な名声を得るジョン・レノンも、当時はビートルズの前身である無名のバンドの一員として、ドイツを含む各地のクラブでの巡業をこなして、その報酬によって活動を継続するという生活を送っていました。
1957年には、バンドにポール・マッカートニーが参加し、翌年にはジョージ・ハリスンが、ポールの推薦によるオーディションの結果加入します。その後、他のメンバーの入れ替わりを経ながら活動を継続し、1962年、名プロデューサー、ジョージ・マーティンによるオーディションのチャンスを得て、その結果、ドラマーがリンゴ・スターに交代し、ようやく、世界でお馴染みのビートルズの四人組が顔を揃えます。
1962年10月5日、シングル『ラヴ・ミー・ドゥ』を発売。このデビュー曲からすでに、豊かなコーラスワークと確かな演奏技術、親しみやすい楽曲というビートルズらしい特徴がはっきりと表れています。(ミュージック・ウィーク誌のトップ50で最高位17位を記録。)
1963年1月11日、2枚目のシングル『プリーズ・プリーズ・ミー』を発売。(メロディー・メーカー誌のシングル・トップ50で1位を獲得。)
以降、発売するシングル『フロム・ミー・トゥー・ユー』、『シー・ラヴズ・ユー』、『抱きしめたい』が軒並みシングルチャート1位を獲得するという爆発的な人気ぶりとなります。
ここで注目したいのは、上記のシングルの中に、いかにも〝ロックンロール〟らしい曲が一曲もない、という事です。
これらのシングルに似ている曲調を、あえて過去のアーティストから探すとすれば、それは第2回のコラムで紹介した、アメリカのロックンローラー、バディ・ホリーの楽曲ということになります。バディの曲は、ストレートなロックンロールというよりは、ポップスに近い柔軟性のある楽曲が多いです。ジョン・レノンはバディ・ホリーのファンなので、バンドの方向性を決める際に、バディに倣って、ストレートなロックンロールに頼らない、もっと一般受けする多様性のある個性を打ち出して行こうとしたのではないか、と思われます。
それでいて、ビートルズの楽曲には、チャック・ベリーやエルヴィス・プレスリーなど初期のロックンローラーに見られた大胆さ、衝動、冒険心、荒々しさが引き継がれていました。
そこが、世界中の若者を虜にした大きな要因だと思います。
さて、イギリスでの人気を早くも不動のものとしたビートルズですが、アメリカでのレコードの販売は思いのほか難航します。ビートルズが所属していたイギリスのEMIでは、アメリカのキャピトル・レコードと提携して、アメリカでのレコード販売を行なっていましたが、そのキャピトル・レコードが、ビートルズのレコードの販売を拒否したのです。当時は、イギリスの音楽がアメリカでヒットする例が少なかったので、おそらく、ビートルズの音楽も、アメリカの聴衆には受け入れられないと判断されたのでしょう。
やむを得ず、ビートルズはアメリカでのレコードの販売を、小規模なレーベルを通じて行う事になります。
もちろん、小さな会社なので、広告などを駆使した大々的な宣伝はできません。プレス枚数も少なく、売れ行きも、イギリスでの熱狂的な人気が嘘のように低迷する事となりました。
しかし、そのうち、『ライフ誌』と『ニューズウィーク誌』が、イギリスでのビートルズのフィーバーぶりに目を付けて、彼らの魅力を紹介する特集記事を組みました。それもあって、ラジオのディスク・ジョッキーがビートルズのレコードを好んで採り上げるようになり、徐々にアメリカでもビートルズの名前が広まって行きます。その後追い的な人気の高まりを受けて、キャピトル・レコードもようやく重い腰を上げ、「レコードを販売させてほしい」と、EMIに要請する事になった、というわけです。
大手レコード会社のサポートを受けたビートルズのその後のアメリカでの躍進ぶりは、イギリスでの爆発的な成功以上のものがありました。アメリカが生んだ『ロックンロール』が、イギリスで根を張り花を咲かせ、アメリカの音楽シーンに再び熱狂をもたらしたのです。この、逆輸入的ブームを、〝ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)〟と呼びます。
なぜ侵略、という物々しい言葉を使うのかというと、このブームに乗ってイギリスからアメリカを席巻したミュージシャンが、ビートルズだけではなかったからです。
次回は、日本のポップスファンには馴染みが薄いかもしれない、ビートルズと同時代のイギリスのロックミュージシャンについて、語って行きたいと思います。