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音楽コラム 『ロックの歴史』 -時代を彩る名ミュージシャンたち-  作者: Kobito


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第29回 ジャマイカのレゲエを世界へ ボブ・マーリー 1973年~

第28回のコラムでは、ラテン音楽とロックを融合させたラテン・ロックの代表的ミュージシャンとして、サンタナを紹介しましたが、今回は、ラテン音楽の一種でありながら、サンタナが採り入れなかったジャンル、『レゲエ』を武器に、カリブ海の島国ジャマイカから世界的なミュージシャンに飛躍した、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズをご紹介します。


ちなみに、前回は端折りましたが、サンタナが取り入れた「ラテン音楽」とは、どういう音楽を指すかというと、ソンやルンバ、そこから発展したサルサといった、キューバ発祥のダンス向けの音楽が、もっとも色濃い影響として出ていると思います。


ラテン音楽には、アルゼンチンのタンゴ、ペルーのフォルクローレ、ブラジルのサンバやボサノバ、メキシコのマリアッチなども含まれますが、いずれも、サンタナの音楽の要素としてはそれほど表れてはいません。


つまり、サンタナの音楽を、「ラテン音楽」全般を総合した音楽ととらえるのは、無理のある分類ということになります。

キューバの音楽をロックに採り入れて個性としたバンド、と考えるのが、一番実際に即した説明かも知れません。

(面白い事に、サンタナのギタリストであるカルロス・サンタナはメキシコ生まれであり、マリアッチのヴァイオリン奏者だった父の音楽的影響を受けながら少年時代を過ごしています。それでいて、バンドの音楽性を決める際に、マリアッチのロック化を主体としなかったのは、不思議な所です。)


サンタナの補足が長くなりましたが、今回紹介するボブ・マーリーは、自国のジャマイカで1960年代後半に発祥したばかりの〝レゲエ〟を、大衆に馴染みやすい魅力的な音楽として発展させ、国際的な知名度にまで高めた、最大の功労者として、ロックに限らずポピュラー・ミュージックの分野でも名前を知られるミュージシャンになったという点で、サンタナとは音楽的な背景の濃さが異なります。


ボーカリスト兼ギタリストのボブ・マーリーは、14歳で学校を中退し、音楽活動に専念し、1962年、17歳の時に、シングル盤を2枚発表することで、プロ・デビューを果たします。この時の2曲「One Cup Of Coffee」と「Judge Not」を聴くと、レゲエの跳ねるような心地良いリズムの特徴はまだ薄く、アメリカのロックンロールの均等なリズムが用いられていることが分かります。


このロックンロール路線を進みながら、徐々にレゲエの特徴であるギターのカッティング(音の刻み方)を強調して行き、1973年のザ・ウェイラーズ名義でのメジャー・デビュー・アルバム、『キャッチ・ア・ファイア(Catch A Fire)』では、すでに完成されたレゲエ・サウンドを披露することで、世界の音楽シーンに新鮮な驚きとして迎え入れられます。(ノリの良いレゲエのリズムに乗って歌われたのが、貧しい者や抑圧された者への共感や応援を表わした歌詞だったというのも、彼らがジャマイカのみならず世界で支持を集めた理由だと思います。こういった社会的なメッセージは、ジャマイカの不安定な政情や、白人とジャマイカ人の貧富の差を、実体験した彼らだからこそ、真に迫るものとして耳に届くのです。)

なお、このアルバムは、ジャマイカでレコーディングし、イギリスのアイランド・レコードにマスター・テープが送られ、そこでよりロック寄りの編曲が加えられ、発表されました。

この、純粋なジャマイカ産の素朴なレゲエと、イギリスの高度なロック・センスの融合によって、ザ・ウェイラーズの音楽は、より一般受けしやすい音楽的魅力や深みを獲得できたと言えます。


その年のうちに、ザ・ウェイラーズはアルバム『バーニン(Burnin')』を発表します。

楽曲の完成度の高さに加えて、収録曲の一つである「アイ・ショット・ザ・シェリフ(I Shot the Sheriff)」を、1974年にエリック・クラプトンがカバーしたことで、レゲエというジャンルそのものが、一般の音楽ファンの間でも知名度を上げるという幸運にも恵まれます。


ザ・ウェイラーズの主要メンバーだったピーター・トッシュ(ギター&ボーカル)とバニー・ウェイラー(ボーカル&打楽器)が、レコード会社との確執かくしつから、このアルバムを最後にバンドを脱退したため、以降、ザ・ウェイラーズはバンド名をボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズと改め、名実ともにボブ・マーリーがバンドをけん引して行くことになります。


1974年には、代表作『ナッティ・ドレッド(Natty Dread)』を発表。

女性3人をバッキング・ボーカルに加えることで、音楽がより華やかに、メッセージ性を高めて伝わるようになり、「ライヴリー・アップ・ユアセルフ(Lively Up Yourself)」や「ノー・ウーマン、ノー・クライ(No Woman, No Cry)」といった名曲をより引き立たせることに成功しています。


1975年、イギリスでのライブの模様を収めたアルバム、『ライヴ!(Live!)』を発表。

私は、高校生の時にこのアルバムでレゲエを初めて本格的に聴いて、すっかり魅了されてしまったという思い出があります。

バンドの絶頂期、ボブの歌声も張りと覇気があって絶好調、観客のノリも最高。数あるロックのライブ・アルバムの中でも名盤中の名盤です。

リズム隊(ベースとドラムスのバレット兄弟)の切れの良さ、女性コーラスの美しさ、そして、ギターのアル・アンダーソンのソロが、控えめだけども実に味があって感動的なのです。


以降のアルバムでは、レゲエの特徴的なミドル・テンポのリズムがかえってマンネリ化を招いた事と、管楽器の起用などで音楽が華やかさを増すにしたがって、素朴な良さが無くなって行くので、私が聴くのは、もっぱらこの頃までのザ・ウェイラーズとボブ・マーリーです。


いずれにしても、彼らは一つの音楽ジャンルを、作り上げ、発展させた中心人物たちですから、その音楽には、曲そのものの魅力に加えて、歴史的な意義というものが、とても大きいと言えます。


歴史を知ることで、音楽はより身近に感じられるようになる面もあるので、このコラムを読んで、ご興味が湧いたようであれば、ぜひ、ジャマイカから世界に飛躍した彼らの、情熱を込めた音楽に接してみて下さい。



 挿絵(By みてみん)




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