第25回 アイルランドのギターヒーロー ロリー・ギャラガー 1971年~
今回は、これまでに紹介してきたロック史に残る名ミュージシャンに比べると、やや知名度の点で遅れを取るかもしれない、しかし素晴らしい魅力あるギタリストである、ロリー・ギャラガーを紹介します。
ロックの歴史を動かした重要度の高いミュージシャンたちを厳選して紹介するコラム連載で、なぜロリーを紹介するかというと、ロリーは、まだ古いロックの魅力がよく分かっていなくて、ボン・ジョヴィなど商業ロックを聴いていた高校時代の私に、ロックの基礎である黒人ブルースの魅力を教え、そこから古いロックの素晴らしさにも気が付かせてくれた、私にとって個人的に深い恩を感じるミュージシャンだからです。
ロリーはアイルランド出身です。
ロックシーンで、ロリー以外のアイルランド出身の有名なミュージシャンを思い浮かべてみると、シン・リジィ、ゲイリー・ムーア、U2と挙げられますが、数はそれほど多くありません。
ロック大国イギリスの隣に位置し、英語が主流の言語でありながら、世界的スターミュージシャンをそれほど輩出していないというのは、アメリカの隣国カナダと同じで、ちょっと不思議な気がします。
音楽の発達には、国民性や、伝統音楽から来る好みの違いという、国単位の枠組みが、けっこう重要な意味を持つということが、この音楽情勢を見ていると、何となく想像できます。
では、アイルランドの音楽性とは、どういうものか。私は、エンヤのような雄大なケルト音楽や、バグパイプくらいしか知らないけれど、上記の出身ミュージシャンの音楽を聴く限り、ウエットな抒情性という点が、共通の特徴であるように思います。
ロリーの音楽性の基礎には、当時の大多数のロック・ミュージシャンと同様、ブルースとロックンロール(特に、エルヴィス・プレスリーからの大きな影響)があります。そこに、母国の音楽の特徴である抒情性と、彼が愛聴するソニー・ロリンズなどモダンジャズの要素を織り込む事で、彼は自身の作曲や演奏の個性を確立しています。
ロリーが最初に音楽シーンで成功を収めたのは、1960年代半ばに結成したテイストというトリオ編成のバンドにおいてです。このバンドは、1968年のクリームの解散コンサートの前座を務めるなど、英米でかなりの人気を獲得するにいたりました。(当時テイストは、同じくトリオ編成のクリームの、ライバルもしくは、後継的存在と目されていたのです。)
音楽的には、クリームよりもやや粗削りな、ブルース・ロックからハードロックへの過渡期といえる、斬新な個性の垣間見える、力強い演奏を聴かせてくれます。
しかし、このバンドは、リーダーシップを巡る内紛から、人気絶頂の1970年で解散してしまいます。
ロリーは1971年から、ソロ活動に転向しますが、この頃のロリーの、ジャズの和音を多用した曲調や演奏が、私は好きです。後年になると、よりオーソドックスなブルースロックやロックンロールの曲調や演奏が多くなって、新鮮味や独特な個性が薄れてしまいます。
1971年のソロ第一作目『ロリー・ギャラガー』と、1972年発表の『ライブ・イン・ヨーロッパ』が、上記で述べたような若かりし頃の彼の魅力が詰まった、お勧めのアルバムです。
これらのアルバムの中で、私が特に好きなのは、「ラウンドロマット」や、「ハンズ・アップ」といった、ジャズ的なフレーズを多用した曲です。(ドラムのウィルガー・キャンベルの小気味よいテクニカルな演奏も、曲の魅力を増すのに一役買っています。)
一方、ライブ盤のボーナストラックとして、「ホワット・イン・ザ・ワールド」や「フードゥー・マン」のような王道的なブルースの曲もあるんですが、マディ・ウォーターズを中心にした偉大な黒人ブルースマンからの影響が色濃い演奏で、オリジナリティに乏しく、ブルースとしてはやや深みが足りないのが難点だと感じます。
実は、私が古い黒人ブルースに興味を持ち、少しずつ聴いてみるようになったのも、元はと言えば、この、ロリーのブルース演奏の「物足りなさ」のおかげなのです。
つまり、ロリーの演奏の素晴らしさから、本格的なブルースの良さを知ったのではなく、模倣のブルースの限界を感じ、より深みのあるブルースを求めた事で、濃厚で本格的な黒人ブルースに触れる機会を得、その魅力を知る事ができた、というのが、私のブルース愛聴の始まりだったのです。
こういう事って、音楽に限らず、けっこうあるものです。
最高の存在ではない、むしろ不満を感じるものから、最高の存在に対する理解を授けられる、というような体験です。
もし、ロリーのブルースに出会えなければ、私の黒人ブルースに対する理解は、今でもそれほど深まっていなかったかもしれませんし、そこからまた翻って、ブルースの影響を受けたロック・ミュージシャンの、真の腕前を聴き分けるという楽しみ方も、できるようにはなっていなかったかもしれないのです。
こんなふうに言うと、ロリーのブルースを、質の低いつまらないもののように思ってしまう方もいるかもしれないので、彼の名誉のために言い添えますが、聴いてもらえば分かる通り、彼のブルース演奏は、白人のロックミュージシャンによるブルース演奏としては、超一流の部類に入ります。
ただ、黒人の一流のブルースは、そのさらに上を行く深みがある、という事なのです。
この事実は、他の一流の白人ブルース奏者、例えば、エリック・クラプトンや、マイク・ブルームフィールド、ジョニー・ウィンターなどにも当てはまる事です。
今回のコラムの序盤で、「音楽の発達には、国民性や、伝統音楽から来る好みの違いという、国単位の枠組みが、けっこう重要な意味を持つ」、と述べましたが、人種の違いや、そこから来る歴史の違いによっても、根本の音楽性が異なってくる場合がある、という事が、黒人と白人のブルースの違いを聴く事で、分かるようになります。
それを、ロリーのブルース愛溢れる演奏は教えてくれた、という事を、私は皆さんに伝えたいのです。
このコラムに、ロリーの項を設けたのは、その感謝の念からです。




