第23回 ルーツ・ミュージックの味わい ザ・バンド 1968年~
ザ・バンドは、カナダ人四人と、アメリカ人一人という、当時のアメリカのロックシーンでは珍しいメンバー構成のバンドです。
ザ・バンドという名前になる前の1960年代半ば、彼らは「ホークス」と名乗って、地道なライブ活動を行なっていましたが、縁あって、フォークミュージックからロックに活動の幅を広げようとしていたボブ・ディランのバックバンドに起用される事となり、彼らは突如アメリカの音楽シーンの最前線に躍り出ました。
しかし、彼らとボブ・ディランの協力関係は、決して順風満帆の船出ではありませんでした。
というのも、それまでのボブ・ディランの演奏スタイルは、アコースティックギター一本による弾き語りが特徴だったのですが、そのディランが、エレキ楽器やドラムが加わったバンド形式のロックに取り組み出すという事で、ロックを嫌う生粋のフォーク愛好家たちの中には、ディランがファンを裏切ったとして、激しく非難を浴びせる者も少なくなかったのです。
ですから、ディランとホークスの全米、オーストラリア、ヨーロッパを股にかけたコンサートツアーは、客席からの喝采とブーイングが入り混じって起こるという、何とも異様な雰囲気のもとで行われる事になりました。
そんなツアーを終えて間もなくの1966年7月、ディランがバイク事故で負傷し、ニューヨーク郊外のウッドストックで静養する事になり、誘われたホークスの面々は、そこで将来の持ち歌となるいくつかの名曲を含む、数多くの楽曲を、ディランとのセッションの中で録音することになります。
1968年、いよいよ、ホークスは名前をザ・バンドとあらため、バックバンドとしてではない、初の自分たちのアルバムとして『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』を発表します。
(ビッグ・ピンクというのは、彼らがディランと過ごしたウッドストックの家の愛称で、外壁がピンク色に塗られていた事から名付けられました。)
このファーストアルバムには、彼らの音楽の特徴が、早くも余すところなく表れています。
それは、ロックンロール、カントリー、フォーク、R&Bといった、アメリカのルーツミュージックへの敬愛の念です。
当時隆盛を極めていたサイケデリックロックの、荒々しいサウンドとは一線を画する、切なく胸を打つ美しいメロディと演奏。今まで誰も聴いたことがないオリジナリティあふれる楽曲の数々でありながら、過ぎ去った時代への懐かしさを強く感じさせる、不思議な安らぎを覚える温もりのあるサウンド。
この、一聴して感じられる「ザ・バンドらしさ」の、隠れた核になっているのは、キーボード奏者のガース・ハドソンの、幅広い音楽的知識に基づいた複雑な和音を生み出すバッキング演奏です。
曲の中で、彼の演奏はほとんど目立たないのですが、よく聴くと、要所で極めて重要な効果を上げている事が分かります。他のメンバーも彼のバンドにおける役割を重視しており、後年、再結成の話が持ち上がった時、「彼が参加しないなら再結成もしない。」という条件が示されたという逸話が残っています。
ガースだけでなく、ギタリストのロビー・ロバートソン、ピアノ&ボーカルのリチャード・マニュエル、ベースのリック・ダンコ、ドラム&ボーカルのリヴォン・ヘルム、いずれもそれぞれに、作曲や他楽器の演奏など、多彩な才能を持ったミュージシャンズ・ミュージシャンです。
全員の能力の高さがあればこそ、ザ・バンドの、濃厚で奥深いあの音楽の厚みが生み出されたとも言えます。
1969年、2作目のアルバム『ザ・バンド』を発表。
このアルバムには、前作以上に、記憶に残る名曲がたくさん収められています。
「ロッキーを越えて」、「ラグ・ママ・ラグ」、「オールド・ディキシー・ダウン」、「ホエン・ユー・アウェイク」……、もう、好きな曲を挙げようとすると、一曲目からほとんど全曲挙げることになります。^^
前作との違いを考えてみると、柔らかでしっとりしていたと思えた前作が、実はがっちりとした力強い演奏を特徴としており、2作目では、より力の抜けた、まろやかなサウンドになっているという点に気が付きます。それぞれのメンバーの持ち味が楽しめた1作目に対して、2作目は、よく煮込んで具がとけ込んだスープのように、全てが混然一体となって、ザ・バンドという一つの味わいにまで到達している、という感じです。
そして、何より、珠玉のような美しいメロディの数々。
ロックバンドとして、これほど柔らかで奥深いサウンドを生み出し、その独自性によって人気を獲得したバンドは、古今東西広しといえども、ザ・バンドが唯一でしょう。
だからこそ、彼らの音楽は、今でもミュージシャンや音楽ファンから高く評価され、影響を与え続け、聴き続けられているのです。




