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第19回 テクニック重視のロックと、ロックの本質 ジョン・レノン ニール・ヤング 1969年~

ロックシーンは、1970年代に入ると、ジャズやクラシックの影響を受けた、複雑で難解な演奏を得意としたバンドやミュージシャンが台頭し、人気を集めるようになります。

こういった傾向のロックは、総称して、『プログレッシブ・ロック』とか、略して『プログレ』などと呼ばれています。


プログレに関して、ロックの歴史に深く関わっているジャズの歴史を通して考えてみると、1960年代半ばまで、ジャズは最先端の音楽として、他の音楽ジャンルの追随を許さないほど高度に発達してきたのですが、1960年代後半に入って、ジャズの枠内でのあらゆる技法が研究し尽くされてしまい、発展に限界が見え始めたことから、ジャズミュージシャンたちは、これまで影響を与える存在だったロックから、影響を受ける形で、新たな方向性を模索するようになります。

しかし、ロックの商業主義を受け入れた事により、ジャズの先進性は失われ、耳馴染みは良いけれども真新しさが感じられない音楽が、売れ筋として量産されるようになり、本来のジャズが持っていた、歴史の重みや挑戦的な試みといった魅力の大部分は、失われてしまう結果となります。


プログレッシブ・ロックは、この、ロックを受け入れた大衆向けのジャズから、主な影響を取り入れているという点で、厳密な意味では、伝統あるジャズの影響下にあるとは言えません。


ただ、ジャズが衰退期を迎えた時、ロックとジャズを融合する試みが盛んになった、という点は、ロックとジャズ双方の歴史を語る上で、重要な部分だろうと思います。

(第17回と18回の補完コラムで、多くのジャズミュージシャンや、ジャズの歴史を紹介したのは、そういうわけです。)


プログレッシブ・ロックの人気は当時相当なもので、第15回と16回のコラムで挙げたバンドだけではなく、有名無名、数多くのバンドが登場し、その技巧や個性の競い合いによってシーンを盛り上げていました。

一方で、シンプルなロックのカッコよさに惹かれるロックファンは、技巧を競い合い、ひけらかすようなプログレの音楽性を過剰だと感じ、チャックベリーやエルヴィス・プレスリーといった初期のロックンローラーに見られた、荒々しく衝動性しょうどうせいき立てる、技巧よりも感情表現の巧みさを備えたミュージシャンを求めるようになります。

言わば、ロックというジャンルを定義づける、ロックンロール誕生時の心意気を継承する音楽を、少なからぬ人々が聴きたいと望むようになったのです。



:ジョン・レノン:

1970年のビートルズ解散後、ジョン・レノンは不安定な心理状態を克服するため、「原初療法」という精神治療を受けます。原初療法とは、幼いころまで記憶をさかのぼって、心の痛みの原因を知り、それを今の自分が表現する事で、心を解放し、癒すという治療法です。

この治療で、ジョンは自分を捨てた母親との死別という体験が蘇り、大声をあげて泣き叫んだそうです。


1970年12月に発表されたジョンのソロアルバム『ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)』には、この治療の結果生み出された楽曲が、数多く収録されています。

中でも、強烈な印象を受けるのは、アルバム冒頭の「マザー」という曲です。

母に捨てられ、意図せず父を傷つけた自分の悲しみと、両親に伝えたかった本当の望みを、ジョンは痛々しいほど切実に歌い上げています。

演奏は非常にシンプル。ピアノ(ジョン)と、ドラム(リンゴ・スター)、ベース(クラウス・フォアマン)が、ゆっくりとしたテンポで、一音一音を力強く刻んで行きます。

このシンプルなメンバーと編曲で、ここまで奥深いグルーブ感を感じさせるのは、ひとえに、参加ミュージシャンそれぞれのたぐいまれな音楽的才能によるものでしょう。

ところが、この曲は、「狂気じみている」という理由で、アメリカでは放送禁止にされたそうです。

愛というものは、美しく整った姿でなければならないという、常識人と呼ばれる人たちの偏った考え方が、この処分には表れています。

ジョンの表わした愛こそ、愛の本質の一面を表わした、虚飾のない正直な作品なのです。

このアルバムに収められた作品は、どの曲も、ジョンの代表曲と呼ぶにふさわしい、印象深い名曲ばかりです。このアルバムの成功によって、ジョンはビートルズという大看板を離れて、ソロアーティストとして歩んでいくための、大きな足掛かりをつかみました。

なお、ソロアーティストになって以降のジョンの作風には、日本的な研ぎ澄まされた感覚や、わびさびの心をジョンに教えた、パートナーのオノ・ヨーコさんの存在が大きく反映しています。

エレキギターではなく、ピアノが主役の楽曲が並んでいるのに、これほどロックを感じる作品も、珍しいのではないでしょうか。ロックというのは、楽器構成ではなく、心のありようなんだという事がよく分かります。

このアルバムの後にも、数多くのソロアルバムを発表しているジョンですが、私が好きで、一番聴くのは、この〝狂気じみた〟と揶揄された『ジョンの魂』です。



:ニール・ヤング:

1966年に、バッファロー・スプリングフィールドというフォーク・ロック系のバンドのメンバーとしてメジャーシーンに登場したニール・ヤングは、その古き良きロックンロールを愛する素朴な音楽性によって、次第に評価を高めて行き、1969年以降のソロ活動で、カリスマ的な人気を獲得するに至った、ロックの本質を語る際に欠かすことのできないミュージシャンです。

弱々しく繊細なハイトーンボイス、さりげなく高度なアコースティック・ギターの腕前、エレクトリック・ギターのうなるようなサウンドの個性と豪快さ。

彼の生み出す楽曲は、デビュー時から現在まで、ストリングスを加えたり、打ち込み楽器を導入したりと、若干の変遷へんせんはあるものの、サウンドや方向性の基礎は一貫していてほとんど変わらない、というところに特徴があります。

似たような編曲、似たような楽器編成、似たような伴奏、似たようなサウンド、似たようなソロ演奏、にもかかわらず、それぞれの曲が個性を持って輝き、次々に聴きたくなる。

これは、ボブ・ディランの弾き語りの曲の魅力に通ずるところがあります。

ディランの場合は、伴奏が歌詞のメッセージの補助という位置付けであり、歌詞の素晴らしさがあればこそ、単調なメロディの繰り返しでも魅力的な曲にできるわけですが、ニールの場合は、彼が掴んでいる「ロックの魅力とは何か」という部分が確固としてあるために、ロックの神髄を体験したいと思って彼の音楽を聴くファンは、いつも最上の体験をさせてもらえる事になるのだろうと思います。

変拍子を多用した練り上げられた編曲も、超絶技巧のソロも、着飾った甘いルックスさえも、ロックの本質には必要が無いのです。

ロックに欠かせないのは、感情を掻きたてる衝動、ただそれだけ。

彼のソロ2作目のアルバム『ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホース(Everybody Knows This Is Nowhere)』(1969年)には、そういったロックの真実が、余すところなく込められています。

サウンドの加工による派手さに頼らずに、音楽をあくまでも感情表現のツールととらえた彼の姿勢は、長い音楽活動を通して徹底されており、のちのニルバーナのような、虚飾を排してロックするグランジバンドのスタイルに、大きな影響を与えることになります。




挿絵(By みてみん)





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