第13回 ハードロック黄金時代の幕開け 様式美の確立 ディープ・パープル 1968年~
長らくお待たせしました。
『音楽を聴く媒体の変遷』を3編に渡って語り終えたので、いよいよ本来の目的である、ロックミュージシャンの紹介コラムを再開したいと思います。
前回の紹介コラムでは、レッド・ツェッペリンの登場によって、ロックがより技巧的でドラマチックな方向に変化して行ったところまでを話しましたが、1960年代末頃になると、この「技巧性とドラマ性」が、より計算された形で、バンドの個性としてアピールされるようになって行きます。
その代表的な例が、イギリスのロックバンド、ディープ・パープルです。
ディープ・パープルのレコードデビューは、レッド・ツェッペリンよりも早く、1968年のシングル盤『ハッシュ』でした。しかし、この頃のディープ・パープルは、クラシック音楽を取り入れたウエットな曲調にユニークさはあるものの、まだビートミュージックを主体とした、過去のロックの流れを汲む多くのバンドの一つという印象でしかありませんでした。
1969年に、バンドメンバーが、イアン・ギラン(ボーカル)、リッチ―・ブラックモア(ギター)、ジョン・ロード(キーボード)、ロジャー・グローバー(ベース)、イアン・ペイス(ドラムス)という、より強力なラインナップになり、作曲の主導権がジョン・ロードからリッチー・ブラックモアに移ったことで、音楽性もよりハードで明確な個性を打ち出したものにシフトして行きます。(同時期にアメリカでデビューして評価を高めていたレッド・ツェッペリンの音楽性に感化されて、強力なリフとビートの音楽を志向するようになったと、後にブラックモアが語っています。)
メンバーの充実による最初の音楽的成果は、1970年に発表したアルバム、『イン・ロック』に刻まれています。
1曲目の〝スピード・キング〟で、ブラックモアは、これまでの曲を装飾するような抑え気味のギター演奏から、他楽器よりも前面に出た叩きつけるような激しいギター演奏への鮮やかなイメージチェンジを図り、その驚異的な速弾きの才能で、ロックファンの注目を一気に引きつける事に成功します。
また、10分を超える〝チャイルド・イン・タイム〟では、初期のバンドの特徴だったクラシック的な緩急のある構成を生かしながらも、ぬるい所のない攻撃的な演奏を披露することで、様式美と迫力の両立という、明確なバンドの個性を確立した事を証明します。
ただし、このアルバムは、イギリスでこそヒットしたものの、市場規模のより大きなアメリカではそれほど評価されず、アメリカで決定的な名声を確立するのは、1972年のアルバム、『マシーン・ヘッド』の発表を待つ事になります。
『イン・ロック』で示された、様式美と迫力の両立というバンドの個性には、『マシーン・ヘッド』で、もう一つの要素、〈無駄のない、シンプルな演奏〉という、新たな魅力が加わります。
その特徴は、〝ハイウェイ・スター〟と、〝スモーク・オン・ザ・ウォーター〟という、バンドの代表曲でもある2曲の収録曲に凝縮されています。
これらの曲は、アマチュアバンドがコピーすることの多い、カバー曲の定番としても知られているんですが、そこまでロックファンから愛奏される曲として普及したのは、この曲の譜面が、ある程度楽器演奏が上達してきた人なら、頑張れば演奏できる程度の、程よい難易度だったからです。
アマチュアでも演奏できるなら、大した曲ではないのでは?と思うかもしれませんが、面白いのは、シンプル=単純、ではない、という事です。
これらの曲には、ディープ・パープルのバンドとしてのサウンドの個性や、リフやフレーズの特徴、各メンバーの力量の高さ、それらがバランスよく組み合わさった統一感が、簡潔にして余すところなく表現されています。
だからこそ、私たちはこれらの曲でディープ・パープルらしさを満喫でき、何度聴いても飽きる事のない味わい深さを感じる事ができるのです。
ディープ・パープルは、『マシーン・ヘッド』と同じ1972年に、日本でのライブの模様を収めたアルバム、『ライブ・イン・ジャパン』を発表しています。
このアルバムは、ロックのライブアルバムの定番として、今でも世界中のロックファンから非常に高く評価されており、日本人がディープ・パープルに特別な親しみを感じる所以にもなっています。
偉大なロックギタリスト、リッチー・ブラックモアの絶頂期のギタープレイが、ライブならではの高揚した雰囲気の中で豊富に堪能できるので、このコラムを読んでご興味を持たれた方は、ぜひ聴いてみて下さい。
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注
『リフ』というのはリフレインの略、つまり、繰り返しの事です。
短いメロディが繰り返されながら曲が進行して行くパターンを指します。