第1回 ロックンロールの誕生 1954年~
第1回は、ロックンロール創生の立役者についてお話しします。
現在のロックミュージックと呼ばれる音楽ジャンルの基礎を築き上げ、後進のロックミュージシャン全てに影響を与えた偉大な先人達です。
ロックンロールは、1950年代に生まれました。
それまでにも、ロックンロールに近い演奏を行なったミュージシャンやバンドはいましたが、どれも既存のジャンルであるブルースやジャズやカントリーの要素が色濃く出ていて、ロックンロールのサウンドとしてはまだ過渡期という状態でした。
上記のような理由で、ロックンロールを創始したのは誰か、という問いに対する明確な答えはないのですが、それに最も近いのは、チャック・ベリーであると言われています。
1955年に、ベリーがテネシー州のシカゴにあるブルースの名門チェス・レコードから発表したシングル『メイベリーン』が、その後のロックンロールミュージックの方向性を決定付けました。
(その前年にビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが『ロック・アラウンド・ザ・クロック』を発表してヒットさせていて、こちらも初期のロックミュージックとして大きな影響力のある曲ですが、サウンド的には、ロックンロールではなく、ロカビリーというダンスを踊るための音楽に属します。)
ドラムの力強いリズム、小規模なバンド編成、シンプルなコード進行、かき鳴らされるエレキギター、従来の音楽よりも直情的な歌詞、興奮をあおるようなボーカル。現在もロックミュージックの基礎となっているこれらの条件を備えたベリーの音楽は、新しく刺激的な音楽を求めていた当時のアメリカの若者の間ですぐさま大流行しました。
現代の若者が当時の彼の音楽を聴くと、どこがすごいのか分からないくらい素朴なロックンロールに聴こえるかもしれませんが、ロックンロールの概念さえあやふやだった当時の音楽シーンの中では、実に刺激的で革新的なスタイルだった、という点を踏まえた上で聴く必要があります。(そして、理解が深まるにつれて、シンプルだと思えていたベリーの音楽に、実に奥深いカッコよさがある事に気が付く事になります。)
その革新性を、現代の若者にも理解できるように紹介した映画があります。何度もテレビで放映されておなじみの、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』です。主演のマイケル・J・フォックス演じるマーティが、1955年にタイムスリップして、高校のプロム(ダンスパーティー)でチャック・ベリーの『ジョニー・B・グッド』を演奏します。観客の、とまどいながらも、徐々にノリノリになって行く様子が、当時のロックンロールに初めて触れた若者たちの心情をほうふつとさせます。(映画では、マーティの演奏をチャック・ベリーが耳にして、自身の演奏スタイルに取り入れた、という設定になっています。)
面白い事に、チャック・ベリーが登場したのと時を同じくして、シカゴから南へおよそ800kmのテネシー州メンフィスからも、エルビス・プレスリーというロックンロールの創始者のひとりが登場します。
エルビスがサン・レコードというマイナーレーベルで初録音を行なったのは1954年の事なので、チャック・ベリーのデビューシングル発売よりも前という事になります。
エルビスはこのセッションで、自身の好きな、黒人音楽のリズム・アンド・ブルースや、陽気なカントリーウエスタンのカバー曲を録音しましたが、その跳ねるようなリズムや直情的なボーカルには、ロックの萌芽を感じさせる新鮮な荒々しさが宿っていました。『ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス』では、エレキギターのスコティ・ムーアの活躍もあって、ロカビリーの枠からはみ出した若者らしい大胆で挑発的なサウンドを生み出すことに成功しています。
興味深いのは、ロックンロール創生の最大の立役者が、黒人(ベリー)と白人(プレスリー)である、という事です。
当時のアメリカは、黒人に対する差別の解消と権利の向上を目指した公民権運動が盛んになって来た頃でした。
つまり、当時はまだ黒人に対する人種差別が国や州の政策として公然と行われていて、音楽シーンにおいても、黒人の音楽を白人が楽しむこと(その逆もしかり)に眉をしかめる人も少なからずいたのです。
そんな中で、チャック・ベリーやエルビス・プレスリーの活躍は、人種に関係なく、多くの若者に受け入れられ、当時の文化や思想にまで影響を与え、ロックンロールが大衆音楽の中心になる事に大きく寄与しました。
それ以前にも、ジャズの分野で、黒人と白人のミュージシャンが共演するなど、人種の壁を越えた交流を進める動きはあったのですが、より大きな規模の聴衆の間で人気を博するロックンロールというジャンルで、黒人と白人が共に活躍し、双方の人種から受け入れられた、という事が、後年の人種差別撤廃に果たした役割は、本当に大きかっただろうと想像できます。
ロックンロールというのは、その出自からしてセンセーショナルだったのです。