前置き、事の起こり。
今回初投稿。「やってやるか」という気持ちにしてくれた友人たちと、生暖かく応援してくれた彼らと、道連れにまきこんだ尊敬するあの人たちと、それからメガネが素敵なあんちくしょうに最大限の感謝を。
恥ずか死しそう。
本題に入る前に、二三語っておきたいことがある。それは、路傍の石ころのようにどうでもいいことであり、幕が開かんとする舞台の前で高らかに述べられる前口上であり、私がこのたびペンをとるに至った経緯の説明であり、そして偽らざる私の本音である。どうかこの戯言のために、ほんの少しばかり読者の皆様からお時間を頂くことをどうかお許し願いたい。
では、述べさせていただこう。私は、他人から評価され、ちやほやされるために物書きを目指した。もっと簡単に言ってしまえば、他者の目を引く特別な存在になりたくて、この道を志したのだ。
あらかじめ断っておくと私は、この考えは恥ずべきものだと自覚している。本来ならば心のうちにとどめて、それこそ墓場のまで持っていくべき考えだとすら思っている。しかし、こと今回に限っては例外だ。なぜならここで私の思想について覚えておいていただけないと、ここから先の話題の説明に私が難儀することになってしまうのだから。
さて、この思想を踏まえたうえで征暦1879年~1882年について触れていく。今こうして本書を手に取られている読者の方々は、この時期を大きな出来事と共に記憶しておいでだろう。
すなわち、勇者の誕生。そして魔王の討伐だ。
征暦1879年某月某日。この世ならざる場所から世界の壁を切り裂き降臨したとされる彼の勇者は、神のごとき英知と優れた武勇を携えて、この世界から魔王の脅威を打ち滅ぼして行った。毎日のように各地から勇者勝利!と明るい知らせが届き、人々はこの救世主の登場に熱狂した。
当時王都の学生だった私も、当時の事は良く覚えている。良い知らせが一つ届くたび、町ですれ違う人々の表情が日ごとに明るくなった。行き付けの酒場では魔王討伐にかかる日数で賭けが行われていた。疎開していた友人も少しずつ王都に戻り、学校も賑やかになって行った。
そして、征暦1882年3月23日(奇しくも私の卒業式と同日であった)魔王が討伐されると、人々の熱狂は最高潮に達した。街は連日お祭り騒ぎ。朝まで勇者を讃える歌が響く、なんてことも珍しくはなかった。街角には勇者の友人を名乗る酔っぱらいがいて、勇者ゆかりの品という触れ込みで怪しい布きれや棒切れを売りつけようとする詐欺師まがいの連中もいたし、それが商売として成り立つ程度には利益も出ていた。
私が足繁く通う書店にも、この「勇者効果」とでも呼ぶべきものが作用していた。店頭に並べられた本棚には勇者の冒険について記された本が所狭しと並び、それでも品薄になるほどの勢いで買われていく。あれほど繁盛しているところを見たのはその時が初めてだった。そして、私はそれを苦々しい思いで傍観していた。
考えてみていただきたい。当時の私が彼の勇者について書いて、本を出版したとしよう。するとどうなるか。他の凡百の本と同じく、書店の店頭に並べられるだろう。話題の勇者に関する書籍だ。目についた人が手に取って買っていくこともあるだろう。そうして私の本はほどほどに売れ、ほどほどに評価される事だろう。
それで終わりだ。読み終わり数日も時間がたてば、その作品の作者の名前など忘れ去られてしまうだろう。
なぜか?それは、人々が欲しているのが勇者の活躍する話だからだ。運命に導かれし若者が、如何様に襲い来る試練を乗り越えたのか。それを追体験したいのだ。そんな読者の方々にとって、手に取った本を誰が書いているかなど、目を向けるにも値しない些細な問題だろう。おそらくではあるが、物語の途中で作者がすげ変わったとして、彼らの中にそれを気に留めるものもいないだろう。
それでは意味がないのだ。思い返していただきたい。私は「他者の目を引く特別な存在になりたい」のだ。私とかかわった誰かの胸の中に、いつまでもとどまりつづけることができる。私はそういう存在になりたかったから、作家という道を志したのだ。軽々しく世間の流行に乗って、結果として目を向けられることも無く消費されていくだけの存在に成り果てるなどまっぴらごめんだった。
であれば、私が勇者にかかわる事柄の一切合財を、自分の創作活動から切り離したのは、極めて自然の成り行きだろう。
そう決意した日は、同時に私の苦難の日々の始まりだった。なにしろ私が「誰かの特別」となるためには、誰も知らず、それでいて興味深く、刺激的で、なおかつ勇者の冒険譚と並べたとしても、決して色あせることのない物語…それを見出す必要があった。
しかし実りは無かった。紙とペンを用意して机に向かっても成果はなく、ただ時間だけが無為に過ぎていった。焦燥は募り、自暴自棄を起こしかけたこともあった。
とある事情により、生活自体は何とかなってはいたのが幸いだった。
「彼」に出会ったのは、ちょうどそんな時だった。