雨のち晴れるよ
「傘持ってねぇのになぁ…」
靴箱に出ると雨が降っていた。
しかもけっこうなどしゃ降りで。
朝の天気予報によると傘マークは出ていなかったはずだが。とんだ詐欺である。
周りを見ると自分と同級生らしき奴等が右往左往している。
きっとこいつらも天気予報に騙されたんだろう。
御愁傷様。
俺と同じ穴のむじろだな。
「はぁ、どうしよ」
待ってたら止むだろうか。
とりあえず一旦教室に戻ろう、と踵を返すとポンと肩を叩かれた。
まがうことなき俺の友人だ。
手には折り畳み傘が握られている。
「女子か」
「もしもの時のために準備しておくのは常識でしょーが」
どこの世界にロッカーに折り畳み傘常備している男子高校生かいるんだよ。俺の常識が間違ってんのか。誰か、教えろ。
「なぁーに? 帰りたくないの?」
「はぁ!? 帰りてぇに決まってんだろ!?」
6時から見たいアニメが始まるのだ。今、5時30分ちょっと過ぎ。まずい。まぁ、予約はしているけどな。しかし、リアルタイムで見たいってのは悲しいオタクの性だろう。
ちなみに俺の目の前でニコニコ笑ってやがるこいつもオタクである。俺より底なし沼の奥底までズブズブ沈んでるレベルのオタクである。最も巧妙に隠してるおかげで俺だけがオタク扱いだけどな。解せぬ。
「相合い傘……する?」
「しねーよ。誰が悲しくて男ふたりで相合い傘しなきゃなんねーんだよ。バカか」
「じゃあ先帰るね。バイバーイ」
「てめ、ふざけんな! 待てや、ごらぁぁああああ!!」
薄情にも自分だけ傘を差し帰ろうとしやがった彼の背中を追いかけ、屋根から完全に出る前に割り込むことに成功した。
「強くなってきたねぇ」
「何が」
「雨が」
折り畳み傘の小ささ故、俺は左肩が、友人は右肩がはみ出ていて濡れている。
言われてみれば確かに学校を出たときよりも強くなっている気がしないでもない。
「最近勉強どう?」
「それ聞く?」
「だって僕たちもう3年だよ。受験だよ。夏なんかあっという間にさ、過ぎてくじゃん。そしたら、秋が来て、冬が来て……試験本番でさぁ」
「あー、お前一般入試かぁ」
「君は指定校だっけ。いいねぇ、早く決まって」
まぁ、確かにあっという間だ。こいつは冬だが、俺はそれより早い秋には決まる。
今のところ無遅刻無欠席で定期試験もそれなりの点数は取っているから合格はそれほど心配はしていないが、逆に落ちたら大慌てだ。笑えない。
「天気みたいだよねぇ」
しみじみと隣の彼が呟いた。
意味がわからない。
「は? 何が?」
「人生ってさ天気みたい。今は雨だね。弱くなったり強くなったりしてさ、傘持っててもさ、でも、ゆっくり確実にさ、こうやって服を濡らしていくんだ」
彼とは背の関係上、俺はうつむいて歩いている。
彼がどんな顔をしているのか残念ながらわからない。
「いつになく弱気だな」
「僕もたまには不安に為るんだよ。ううん、どっちかというとね、不安だらけなんだ。色々なことに。受験だけじゃなくてさ、君のこともね」
「俺……? いっつっ……」
頭を上げたら傘の先に直撃した。地味に痛い。ついでに、傘が揺れたせいで体がさらに濡れた。もうこれ傘の意味ねーんじゃねーの?
「受験終わったらすぐ卒業で別れるじゃん」
「別にそれ、一生の別れでもねーだろ。そりゃ会う機会は減るだろうけど、それこそケータイっつー文明の利器で……」
会おうと思えば会える。
よな、と隣を見ればじと目で睨まれた。何だよ、不機嫌だな。
「そうじゃなくてさ、こうやって……"学校帰りに相合傘"なーんてことは卒業したら一生できなくなるだろう?」
「俺は一生したくなかったよ」
「ひどい。親友に対してその言いぐさ。君はそんなに冷たい人間だったの? あの夜に言ったことは嘘だったのね!」
「誤解の招く言い方はやめろ! っていうかどの夜だ、どの!」
「えー、こんな公衆の前で言っていいのー?」
「やめろ!」
ノリ悪い、と彼は口を尖らせた。現役男子高校生がやるな。気持ち悪い。
「っていうかケータイって。もうこの世の中スマホ一色だよ。ケータイなんて捨てられた文明だよ」
「捨てられてねーよ! ガラケーバカにすんな! まだ残ってるわ! なんなら俺が拾ってやろうか!」
「それは警察に届けた方がいいよ」
「そういうことじゃねーんだよ!」
そうこうしているうちに俺の家に着いた。
その頃には何故か雨は止んでいた。
「意味がわからない。狐の嫁入りってやつ? ……離婚すればいいのに」
「呪詛を吐くな。可哀想だろう。結婚生活謳歌させてやれよ」
彼は傘を折り畳むのに悪戦苦闘している。
その様子をしばらく眺めて、
「こうやってさ、雨はいつか止むんだろうが」
「は?」
やっと畳んだ折り畳み傘を落とし、彼は「何言ってんだコイツ」という目を俺に向けた。
割りとへこんだ。
「お前が言ったんだろ。今の人生は雨だって」
「……あー、言ったねぇ」
忘れてんのかよ。
俺は真剣に考えたというのに。
「それが?」
「お前な……。だからさ、お前の人生が雨でもさ、傘差せばいいだろう。ああやって」
「折り畳み傘は厳しかったけどね」
「だいぶ濡れたもんな。で、相合傘はもうお断りだが、こうやって一緒に帰ることはできるだろ。それで、お前の雨がいつか止んで、晴れ間が射したらさ、出掛けようぜ。ほかの友達も誘って」
「男だけでお出掛けかぁ。なんとも灰色の未来予想図だねぇ」
「灰色で悪かったな」
仕方がないだろう。男子高校生なんてこんなものだ。彼女のいるリア充というものは雲の上の存在なんだ。
「で、どこ行くの?」
「あ?」
「晴れたら連れていってくれるんでしょ。灰色の未来に」
「灰色言うな。あー、そうだなぁ………………アニメイト?」
オタクには咄嗟に気のきいたオシャレスポットなんぞ出てくる訳もなかった。
「いつでもいけるじゃん」
「うっせぇよ。最近受験勉強で行く暇ないんだよ。指定校落ちたら終わりなんだよ。たとえ、指定校受かっても、テストと面接あるんだよ。行きてぇんだよ、アニメイト! ガチャガチャしてぇんだよ!」
「あはははは。鬼気迫るモノを感じるね」
ひとしきり笑ったあと、「じゃあね。また晴れの日に」そう言って、彼はくるりと背を向けて歩きだした。折り畳み傘を前後に振って、時々水溜まりに足を突っ込んで水しぶきが起きる。
楽しそうに鼻歌歌いながら、歩く。歌に合わせて身体が左右に揺れている。俺も知っている歌だった。
そんな背中が曲がり角で見えなくなったところで、俺はようやく玄関の扉を開けた。
(雨のち晴れるよ)
空はもう鮮やかな青色をしていた。
虹色の橋が天高くかかっている。