依頼023
静かな室内には金属が擦れる音が微かに響いている。
その音の発生源はベッドに腰掛ける二人の傭兵の手元からだ。
互いにそれぞれのベッドへ腰を降ろした彼等は各々が愛用する銃器の弾倉へ弾薬を込めている最中だった。
錆止めの為に油を薄く塗った銃弾を整備を行った小銃や狙撃銃の弾倉へ装填する作業は一発毎かと思いきや挿弾子を用いて一気に済ませている。
装填した後、軽く何度か弾倉を叩いて雷管の部分を揃えて不発が可能な限り発生しないよう処置するのも忘れてはいない。
彼等は装填が終わった全ての弾倉を腰へ巻いた弾帯の弾納に仕舞い込んで立ち上がり、武器を纏め、荷物を担ぎ上げると数日を過ごした部屋を後にし、正面玄関で待っていた厚着姿の少女の下へ向かった。
「ーー待たせて済まん」
傭兵の片割れーーショウが軽く謝罪すれば、ジャスミンは無用とばかりに首を横へ振った。
三人が宿の玄関をくぐり抜け、外に出ると肌を灼く暑い日差しが降り注ぐ中、宿の脇に設けられている馬小屋へ足を運ぶ。
過日の街が襲撃に合った際にオルソンが捕まえた三頭のラクダが乾燥したナツメヤシの実を食んでいる。
かつて中東や砂漠で仕事をした際に現地住民から学んだ遣り方で二人はラクダへ鞍を付け始める。
街中で遭遇するラクダには鞍が付けられている個体が何頭も見れ、その位置は中央ーーちょうどコブのある位置にあった。
コブの前後へ鞍を乗せる遣り方もあると彼等は件の現地住民から聞いてはいたが、一番オーソドックスなコブの真上へ鞍を乗せる方法を取る事にした。
一頭当たり10分ほど掛けて鞍や手綱を付け、重い荷物などを括り付ける。
鞍やそれの下へ敷く布、手綱などはオルソンが捕まえた際に全て無料で入手した物となる。
オルソンは昨夜の内にM203を換装した小銃を襷掛けにしたスリングベルトを用いて背負いつつ一頭のラクダを伏せさせたまま鞍へ跨がるとその場に立たせた。
「ーーよしよし…良い子だ」
当然だが元々、人に慣らしている個体のため彼が跨がっても暴れる事はなかった。
「ーージャスミン、そろそろ行くぞ。…ジャスミン…?」
細かい砂塵から守る為に創造した厚手のナイロン生地のキャリーバッグへスコープが取り付けているSVDを納め、それを鞍の側面へ括り付けつつショウが少女へ声を掛ける。
だが返答がない事を訝しんだ彼が彼女用のラクダへ視線を向けるとジャスミンはまだ背に乗っておらず、出てきたばかりの宿を目を細めて見詰めていた。
この場所で亡き両親と日々を過ごしていた記憶が思い出され、瞳が潤んで来る。
これが見納めになる事は承知しているが、出来るだけ脳裏に宿の姿を刻み付けておきたい。
その心情を察する事が出来ないほどショウやオルソンも無粋ではないが、時間が迫っているのも事実だ。
ショウは自身のラクダから離れ、彼女に歩み寄ると肩へ軽く手を置いた。
途端に、はっと彼を見上げるジャスミンの眦から一筋の涙が頬を伝うが、彼はそれを無視して彼女の背中を軽く叩いて騎乗を促す。
無言で頷いた少女が伏せているラクダの側へ戻り、鞍へ跨がった。
「掴まってろ」
警告をした後、ショウがラクダをその場に立たせる。
無事に騎乗出来た事を認め、自身のラクダへ戻ろうとした彼だが少女の荷物の一部の口が緩んでいる事に気付き、紐で縛り直す。
緩んだ口が紐で固く閉じられる刹那、二つの陶器の壺がショウの目に入った。
それが彼女の両親の現在の姿だ。
溜め息混じりに彼は毛並みを撫でた後、自分用のラクダへ戻るとスリングベルトで吊った小銃とRPG-7を背負ってから鞍へ跨がった。
オルソンが跨がるラクダを先頭にショウ、ジャスミンの順番で彼等は宿を後にする。
少女は次第に小さくなっていく宿の姿を目に焼き付けようと見えなくなるまで視線を送り続けていた。
ーー集合場所は街の北西と打ち合わせていた。
辿り着いた地点では何隊かの隊商が地に伏せたラクダへ荷を積載し、或いは水や餌を与えて出発の準備に追われている。
雇い主は何処か、とショウが準備の最中のいくつかの隊商へ視線を遣りながら目印を探す。
あれは違う、あれも違う。
目を向けた隊商の人員に目印をした者が発見出来ない度に彼は次々と別の集団の中を探し、やがて事前情報の通り17名の構成員、20頭のラクダを擁する一団を見付けた。
その中の人物が青いヒジャブを頭に巻いているのを認め、オルソンとジャスミンへ待つよう告げると手綱を捌いて一団に歩み寄る。
一直線に近付く彼を警戒したのか16名が携えている武器へ手を伸ばす中、青い布を巻いている人物が手を掲げてそれを制した。
「待たせて申し訳ない」
何時何分という概念がない以上、陽がこの位置に来た頃ーーという曖昧な時間での待ち合わせになる。
とはいえ相手が先に辿り着き、準備に追われているとなれば後々の面倒を増やさない為にも謝罪は必要と判断したショウは鞍へ跨がりながら頭を下げた。
しかしラクダに限らず、馬上から目上の者や貴人と言葉を交わすのは酷く無礼になるのはこちらでも同じだったようで一団の構成員達は彼の姿を見ると眉根を寄せて不快感を示す。
「構いません。ローランド殿、我々は出発出来ますが…そちらは?」
「こちらも直ぐに出発できる」
雇い主である王女に頷いた彼は右手の親指と人差し指を銜え、指笛を甲高く吹いて離れた所で待機していたオルソンとジャスミンを呼び寄せた。
「あら?」
近付いて来る二人の中にジャスミンを認めた王女は少女が被っている日差し避けの布のほつれが酷い事に気が付くと彼女が跨がるラクダへ歩み寄った。
「それでは日差しを防げませんよ? これを使いなさい」
王女は懐から真新しい布を取り出すと頭上へ掲げてジャスミンへ差し出した。
「い、いえ! そんな…畏れ多い事です!」
ジャスミンは慌ててラクダから降りようとするがどうすれば伏せてくれるのか分からず、飛び降りようとする始末だったがそれを制した王女は少女の手へ差し出した布を握らせる。
「体調が悪くなってはいけません。少しでも気を遣いなさい」
穏やかに告げた王女は布を返される前に元いた場所まで戻って行く。
それを呆然と見送ったジャスミンはどうしたら良いかとショウやオルソンへ助けを乞う視線を向ける。
「…施しなんだから素直に受け取れば良いんじゃね?」
「もうそれはジャスミンの所有物だ。捨てるのも使うのも自由だからな。好きにすれば良い」
オルソンは肩を竦めて当たり障りのない返事をするが、ショウの返答は随分と辛辣だった。
どうするべきかと逡巡した少女だったが、やがて意を決して頭へ巻いていた布を解くと下賜されたと言える布で改めて頭を覆い、古いそれは懐へ仕舞った。
「ーー皆々、準備は宜しいですか?」
王女が周囲を見渡しつつ尋ねれば一団の青年や護衛の兵士達が力強く頷く。
それに引き換え、二人の傭兵は軽く手を挙げただけで返事を済ませた。
全員の準備が整った事を確認した王女は日覆いを設けた荷車へ乗り込むと全員へ出発の合図を出す。
一団の先頭を警戒の為に兵士が跨がるラクダが一頭ずつ進み始め、隊列の中間で王女が乗る荷車が静かに車輪を回して動き出した。
「そういえば行軍序列は決めていなかったな。……オルソン」
「あいよ。俺はジャスミンを護衛すっから相棒は連中を頼まぁ」
「頼んだぞ。周辺警戒は怠るな。砂丘の陰で動く物が見えたら直ぐに報告してくれ」
「分かった。先制攻撃が出来るように、だな」
オルソンへ頷いた彼は次いで不安気なジャスミンへ視線を向ける。
「ジャスミン。オルソンから離れるな。はぐれたら命はないぞ」
ショウの忠告に乾き始めた唇を固く結んだ少女が無言で頷く。
「では夜に会おう。それまで無事でな」
相棒と少女へ告げた彼が手綱を捌いて行進する一団の中へ混ざるべく進み始める。
集団の最後方を警戒する兵士がラクダへ跨がって進み始めるとオルソンは用意していた綱を少女のラクダへ結び付けた。
はぐれる心配はこれで限りなく低くなった。
「よっしゃ。じゃあ…行くか」
「はい…」
結び終わったオルソンがラクダを進ませるとジャスミンが跨がるそれも自然に歩き出す。
少女は肩越しに振り向き、見納めとなるかも知れない住み慣れた街の姿を見た。
暫くの間、少しずつ小さくなっていく街を見詰めていたジャスミンだったが、目を閉じて何度か大きく深呼吸をする。
ーー振り返るよりも前を見ようーー
そう内心で呟いた少女はラクダが進む先を見据え、二度と背後を振り返る事はしなかった。
過去を振り返って己を鑑みるのは大切なこと。
だが過剰すぎると毒にしかならない。
鬱になって、やっとそれが骨身に染みて分かった。
……まぁたまに思い出してしまって落ち込むんですがね。