19話 変な噂
変な噂
その日。いつもは物事をはっきり言う編集長がためらいがちに言った。めったにないことなので、余計に怖い。
「佐々木くん、ちょっと。」
オレはなんとなく嫌な予感がした。オレは部下なのだから、用があるときは名前の呼び捨てだけでいいのに。
「なんでしょうか?」
「その、お前の担当作家は元気か?」
「春男のことですか?今日、会いに行く予定ですが。どうかしましたか?」
編集長が春男のことを聞くのは珍しい。普段はどちらかといえば、あまり好いていない言い方をする。
「じつはな、これだ。」
編集長は一冊の本をトントンと叩いた。たくさんの書類が積み上げている編集長の机の一番上には雑誌が乗っていた。付箋のあるところをめくると、オレは目を丸くした。
『主婦になった男たちの作者、春男にはゴーストがいる!』
「ゴーストライター?まさか!」
「いないんだな?」
「あたりまえでしょう?春男はいつも、オレの前で打っていますよ。オレも前でネタの話もしていますし。」
「そうか、それならいいんだ。」
編集長はほっとしたようだったが、オレは驚きが隠せなかった。春男の家に行っても、それが抜けなかったようだ。春男にもすぐに見破られたくらいだ。どうも隠し事は苦手だと自覚している。
「どうしたのさ?」
「それが…。」
初めは黙っていようと思ったが、言わないと仕事に集中できないと春男が脅すので雑誌の話をした。
「べつに、書くスピードが速いわけでもない。話の内容はバラバラだけど、書き方には差があるわけじゃないし。なんで、そんなことになったんだろう。」
「なんだ。そんなことか。僕は基本的に顔を出していないからね。ゴーストがいてもおかしくはないかもね。」
「しかし、名誉毀損だ!」
「いいじゃないか。僕の名前が広がることだし。」
春男は、自分が雑誌を読まないせいか、あまり気にしていないようだった。もともとがあまり、物事にはこだわらない性格だ。しかし、オレは気になる!
次の日、その雑誌社の記事を書いた人を訪ねていった。オレは抗議したが、相手の女性の方が口調が流暢だった。
「もし、ゴーストなんていないとおっしゃるなら、出てきて抗議したらいかがですか?それとも、あなたがゴースト自身かもしれませんね。」
カチンときたオレは、無言で帰った。春男のゴーストなど、冗談でも嫌だ。冗談でもできるものではない。
春男の家にそのまま行き、言い表せなかった怒りをオレは、ひたすら春男にぶつけた。
「お前が、顔を出さないから悪いんだ!」
春男はしばらく、無言で聞いていたが、ふと言った。
「それ、今度の話に使うね。」
次の作品が上がった。顔を出さない作家にゴースト疑惑が上がり、その存在を否定するために作家が小説家をやめてしまうという話だ。作品を発表してから本当に春男が書くのをやめるのではないかと、ファンからの電話に会社は追われた。雑誌社の方はファンからさんざん抗議が上がったらしく、謝罪してきた。
「さて、これで、しばらくは僕のゴースト説もでないだろう。」
そう春男はにっこりと笑ったが、本当は腸が煮えくりかえるほど怒っていたのではないかとオレは考えている。




