35話 喧嘩がない理由
喧嘩がない理由
ドアを開けるなり、怒鳴り声が、いや、それは廊下にまで響いていた。
「作家に書かせるのが、お前の仕事だろうが!」
「でも、気に入らないんです!」
朝からなにやら、口論だ。そんなに珍しい事じゃない。
そっと、隣の子に何があったのかと聞いてみると、ある作家と担当者が喧嘩をして、担当を降りると編集長に直談判しているらしい。編集長はそれを説得中だ。
「佐々木さんは、春男さんと喧嘩しないんですか?」
そう言われてみると。
「しない……かな。」
「仲が良いんですね。」
隣の女の子はそう笑ったが、はたして、オレと春男は仲が良いのか?
仕事でも、プライベートでも怒鳴りつけることはあるが、喧嘩とは違う。かといって、一緒に出かけるほど仲が良いわけでもない。外見は似たようなものの、趣味は合わないし、性格もあまり似ていない。仲が良いから、喧嘩をしないわけではなく、ただ単に怒る理由がないだけではないだろうか。
いや、怒る理由はある。面倒大王だし、わけのわからない作品は書くし、わけのわからない質問はやまのようにあるし、二週間に一度取りに行くのも面倒だ。
しかし、春男のほうが怒っているのをあまり見たことがない。そこまで考えてオレは少し、自己嫌悪に陥った。もしかして、オレの方が大人げないのだろうか。
よく考えてみた。昔から、春男が怒っているところがあっただろうかと。
そして、思い当たった。春男は顔をしかめて怒ることがめったにない。大声をあげることもない。だから印象に残らないのかもしれないと。
「お前、怒ること無いのか?」
春男に直接聞いてみた。
「え?あるに決まっているだろう。ないわけがない。あたりまえじゃないか。怒らない人なんているの?」
あっさりと春男は言った。
「それもそうだが。見たことないなと思って。」
「そぉ?あ、でもそれも面白そうだな、決して怒らない人かぁ。」
なにやら、春男は考えはじめた。上を向いてぼんやりしている。
これが話を考えているときなどと、外から見ている人にはわかるまい。オレもこのときには声をかけてはならないと決めている。ここまで慣れるまでには多少時間はかかったが。
話が春の中で決まると、こちら側、つまり空想の世界から現実の世界に戻ってくる。それをオレはじっと静かにソファに座って待っていた。
「いいねぇ。」
こちら側に帰ってきたようだ。
「いい話でも浮かんだか?」
「うん。だからね、しばらく怒ってみようかと思うんだ。はじめるよ。」
「は?何を?」
「人の話、きいてなかったのかよ!お前、俺の担当だろう!協力くらいしろよ!」
春男は急に怒り出した。
「なに、急に怒り出してんだよ!勝手に一人でやっていろよ!」
オレはムッとして、春男の家を出た。それから、急に思いついた。はじめるぞと言った意味、あれは、これから怒り始めるという意味だったに違いない。しかし、オレは心の広い人間ではないので、演技でも怒鳴られると腹が立つ。しばらく春男の家は行かないでおこう。




