11話 海
海
夏と言えば、海……だった。過去形なのは、最近海に行っていないからかもしれない。はっきり言って、行きたくもないが。焼けると痛いし。とくに海に入りたいとも思わない。
そんなに海に興味があるとは言えないほうなのかもしれない。同じ海に行くなら花火でも見に行くほうがよっぽどありそうだ。
ところで、この暑い中、オレは両手に資料を持って春男の家に向かっていた。だるすぎる。しかし、仕事だ。この考えを繰り返しながら一歩一歩足をすすめていた。
ようやくたどり着く。
「あー涼しいってなんだ、これ?」
春男の家の中はクーラーで涼しかった。昨日は蚊も出なかったようで、線香の煙だらけ、ということもない。ところが、家中に海の写真集が広がっていた。
「これ?海の写真。」
「そんなものは見ればわかる。」
そんなことよりも、これだけの写真集があったことに驚いた。どこにあったのだろうか。
「こんなにたくさん、どうしたんだ?」
「友人から借りたんだ。いまは使わないって言うもんだから。ダンボール箱で送ってきたんだけど、配達の人もちょっと重そうだったよ。」
春男の家にはエレベーターがない。坂の上の方に家があるせいか、オレでも、手に資料を持っているときは息切れがする。絶対に年をとったからじゃない!
「友人?」
「うん。写真家なんだ。海は趣味で撮っているものなんだけど、きれいだろう。本人は今度、北へ行くんだそうだ。それも出来上がったら見せてくれるらしいんだ。」
オレは自分が持ってきた資料を置いて、写真を見た。たしかに、美しい。
「こんなに、きれいなら行ってみたいなぁ。なぁ。」
「僕は海、嫌いなんだけどね。」
あっさりと春男が言った。
「お前、泳げるよな?」
高校時代の水泳の授業を思い出しながら言った。どうしてそんなことを覚えているか。オレが泳げないからだ。泳げないというよりも浮かない。どうして、あんなにスイスイとみんなが泳げるのか不思議でしょうがない。
オレはそのころ、水泳の授業をサボる理由をさんざん考えたものだった。夏の間はカナヅチとからかわれた嫌なな思い出しかない。
「泳げるけど。あの、波が嫌いなんだ。プールは平気だよ。」
春男と何年一緒にいても、春男の完全理解まではまだまだ遠いようだ。どうも、よくわからない。
「波?あの、よせてはかえす、あれか?」
オレはたまに自分の日本語の表現力を呪いたくなる。
「あの、揺れを見ていると、自分までゆれているような気分になって酔うんだ。絵でも本当は見たくない。波のはいった曲もいやだ。」
じゃあ、この写真集の山はなんだ?オレが怪訝な顔をしていると、それを読み取った春男が付け足していった。
「これはね、波の写っていないページを開けてあるんだ。あとは、海の中とかね。勝手にページを変えないでね。気分が悪化したら、仕事に影響が出るよ。」
すっかり脅迫方法をおぼえた春男である。それにしても、泳げるのに海が嫌いなやつがいるとはオレにはそっちのほうが驚きだ。海嫌いが、二人、どこにも行かずに夏がゆっくりと過ぎていく。




