仕送り遮断落とし穴
「くっ、全然抜けない」
人と魔の交じり合う曖昧な世界。
天と地はここよりもずっと近く、人が獣を狩るのと同じように獣が人を狩り、天災が人を殺すのと同じように神が人を殺す、ペンと本よりは遥かに剣と魔法が力を持つガルガンシアと呼ばれる時代があった。
そして、人と魔が交じり合うまさにその最先端の世界というものがここ、ダンジョンである。
「落とし穴か。大丈夫か、ヴァスカマリア」
「どこが大丈夫に見えるのよ、さっさと助けなさいよ」
男女二人のパーティー、魔女のヴァスカマリアと盗賊のニッキのコンビが探索しているのもそんなダンジョンの一つであった。
「助けるも何も、今の状況が分からないと動きようがないだろ。慌てて藻掻くとより深みにはまるトラップとかもあるからな。穴にはまってる下半身の感覚はあるか?」
当然ながら「落とし穴」のトラップというものは相手をびっくりさせるために仕掛けるものではない。
戦場では敵を負傷させるため、そうでない場所では、多くの場合「捕食するため」に存在する。
「こ、怖いこと言わないでよ。この穴が『感覚遮断落とし穴』だとでもいうの?」
― 感覚遮断落とし穴 ―
落とし穴系トラップの一種。
簡潔に言えば穴に落とされた半身の感覚をシャットアウトしてしまい、全く状況の把握ができなくなるトラップである。現在、ヴァスカマリアは胸から下が落とし穴にはまっている状態であり、もし感覚遮断系ならば、下半身の感覚がなくなってしまうことになる。
大抵の場合はエロトラップ系の罠であり、下半身があられもない状態になっていたり、悪質なものだと寄生系のモンスターの苗床にされてしまったりする。
「ちょっ、冗談じゃないわよ。そんなのいや! ねえ、助けて、助けてよ!」
「落ち着けって! だから今の状況を教えてくれよ。モノによっては返し針があったり、抜け出そうともがくのがトリガーになってさらに被害を広げるやつもあるんだから」
「状況って、言われても……」
しかし、ニッキの言葉でヴァスカマリアは少し冷静さを取り戻した。落ち着いて状況を確認してみれば、脚は穴の底についている。感触は、ある。衣服が肌に触れている感覚もあるし、落とし穴の横壁をつま先で蹴ることもできる。動かせる。
「感覚遮断じゃ、なさそう……」
さらに深く精神を集中する。自らの発する魔力のさざ波の、その反射を見る。原始的な物理罠ではない、何か魔法力を使ったトラップらしいという事は分かる。
「他には?」
「……何か、精神を集中すると焦燥感みたいなものを感じるんだけど」
聞いたことのない症状だ。ニッキは唸り声をあげて周囲を確認する。何か大掛かりなトラップなら周りの状況からヒントが得られるかもしれない。
「ん? このプレートはまさか」
すると、穴のすぐ横に小さなプレートを見つけた。
「なに? なんて書いてあるの?」
「なんとか……落とし穴」
鉄製のプレートに「落とし穴」と書かれている。まさか、この穴の説明であろうか。
「クソ、錆びててよく見えないな」
明示がしてあるという事はもしや、誰かがテスト的に罠を設置したものなのだろうか。しかしプレートが錆びていてよく見えない。ニッキは鍵開けの七つ道具を使ってプレートの錆を削り落としていく。
「ん……しゃだん、落とし穴」
「やっぱり感覚遮断落とし穴じゃないの!? 遅効性なんだわ! きっとこのまま私、ぐずぐずになるまで穴という穴を犯されて、モンスターどもの苗床に作り替えられて……」
本当はそういう願望があるんじゃないのかと言いたくなるくらいに具体的な叫び声をあげるヴァスカマリア。まだ余裕がありそうだ。ニッキは小さく「黙ってろ」と呟き、さらに錆を落とす。
「なんだこれ……仕送り遮断落とし穴?」
ぞわり。
ヴァスカマリアの全身の毛穴から、汗が噴き出る。
「え……? ヴァスカマリア、お前まさか」
先ほどの、焦燥感の正体は、これであったか。
「たっ、助けて! ニッキ! 早くこの穴からッ!!」
「え、ちょっと待って。お前実家から仕送りしてもらってんの?」
先ほどまでとは打って変わって必死の形相で叫ぶ。
「早く助けろって言ッてんだろーが!! 間に合わなくなるぞッ! このダボがァッ!!」
「落ち着けと言ってるだろうが。お前、本当に仕送り受けてるのか? いい年して」
「くっ……」
ようやく冷静さを取り戻した、しかしそれでも狼狽した精神を隠せていない様子が見て取れる。苦しそうな表情で歯ぎしりをするヴァスカマリア。
「だって……ッ、仕方ないじゃない。こんな不安定な自由業で……家を出たはいいものの、食うや食わずの生活続けてたら、たまに実家帰った時に『生活費が、必要なんじゃないか』って言われたら、だれだって『あっ、じゃあ、申し訳ないけど』ってなっちゃうわよ!」
一息にしゃべって、ヴァスカマリアは大きく深呼吸をする。
「……それは別に、いいじゃない。いいから助けてよ。仲間が罠にはまってンのよ」
それはそう。
しかし、ニッキはあくまで慎重な姿勢を崩さず、落とし穴にはなかなか近づこうとしないのだ。
ヴァスカマリアがいくらせかしても彼女には近づかずに周囲の状態を調べ始めるし、そのことを問い詰めても「二次災害の危険がある」などと言い訳をする。
確かに二人きりのパーティー、両方が罠に落ちてしまえばおしまいなのではあるが、しかし、このトラップ、仕送りを受けていない人間であれば危険性はないはずではないのか。
「……あんたさあ、まさかとは思うけど、あんだけ人の事バカにしておいて、自分も仕送り受けてんじゃないの?」
「はっ? なん、なに言ってんだよ。俺は自分の力だけを頼りに生きる冒険者だぜ? そんな無頼漢が親の仕送り受けてるとか、そんなわけ」
見るからに怪しい態度で否定しながら一歩、二歩と後ずさりするニッキの姿が不意に消えた。
いや、穴に落ちたのだ。
今やヴァスカマリアとまるで鏡写しのように胸から下が床下に沈み込み、何とかそれを腕で堪えてる状態。
「は……ははっ、落ちてやんの。ざまーみろ」
パーティーの命綱が罠にはまってしまったというのになぜか嬉しそうなヴァスカマリア。
「まさかッ!」
しかし当然ながらニッキの方は必死の形相。すぐに穴の脇にあった小さいプレートに気付き、爪で擦ってその錆を落とす。
その金属製の小さなプレートには、こう書かれていた。
― 生活保護遮断落とし穴 ―
「ちぃっっっくしょおおおぉぉぉぉぉッ!!」
「無頼漢が生活保護受けてんじゃねーよッッ!!」




